2008年5月21日 (水曜日)

レッドデータブック混浴

Bathいまだに混浴の温泉は存在します。

が、減っていることは間違いないようです。

この本のテーマの一つに、何故混浴が減ってきているのかの考察があります。

それに因りますと、江戸時代から町民・国民・市民の気持ちや思いを潰すように世の為政者が混浴を禁止してきた歴史があると言います。

何時の世も、為政者というものは下々の気持ちなぞ分からないのです。

その犠牲となり、二百年を掛けて混浴は絶滅危惧種になってしまいました。

しかし、絶滅してしまうかと思わせておいて、実はそんなことはないかもしれないと筆者は、ドイツの混浴温泉の例を紹介します。

どうやら間違った衛生観念等の見直しが温泉での混浴を復活させるかもしれないと言うのです。

詳しくは本書で。

2008年4月 7日 (月曜日)

美又温泉

Mimataspaこんなタオルがありました。

島根県金城町美又温泉のタオルです。

今日は花冷えでしたね。

温泉に入って温まりたい気分です。

美又温泉は透明でお肌ツルツルになる単純アルカリ温泉です。

とっても鄙びた温泉です。

石見銀山見学に行ったついでのついでついで位に行ってみたいものです。

2008年2月13日 (水曜日)

DID?

371この本を読むことになったのは、矢貫隆著の「刑場に消ゆ 点訳死刑囚二宮邦彦の罪と罰」を読んだのがきっかけでした。

矢貫隆氏は、自動車雑誌などに記事を書く社会派ルポライターですが、「刑場に消ゆ」も月刊”Navi”に連載されていたものだそうです(ちなみに、氏は現在京都のタクシー運転手に従事しながら取材し、タクシー運転手の現実を”カーグラフィック”誌に連載中です)。

ところで、「刑場に消ゆ」は、二宮という死刑囚が1500冊もの点訳を死刑になるまで続ける顛末を記したものです。

読みながら二宮への共感を禁じ得ず、死刑という罰則に対する疑問も起きました(死刑廃止論者ではありませんが)。

ここまでなら、人は芯からの悪人なぞおらず何かのきっかけで堕ちていく弱い存在なんだなという再認識し、まぁ良い本を読んだなという読後感で終わるはずでした。

ところが、この本の最後で、著者もどう理解してよいのか迷わされた画像の本のことに触れています。

「足音が近づく 死刑囚・小島繁夫の秘密通信」の小島(仮名)は明らかに二宮に違いないと矢貫氏も断言していますが、その余りに拘留中の状況が異なることが理解できないとしているのです。

二宮については彼の手紙と拘置所に関わりのあった複数の人の証言によって明らかにされていますが、小島は殆ど本人の手記(巧妙な手段によって獄外に出されている)のみによって輪郭化されています。

となると、二宮の手紙と小島の手記には共通点があって良いはずなのですが、余りにも異なっているとのことなのです。

書いてある内容もそうですが、書いているトーンも異なるのです。

共通するのは筆跡や書き方の癖です(これを同一人物が書いたものに間違いないと矢貫氏はしています。要するに「足音が…」はフィクションでないと言ってるわけです)。

そうなると、二宮はいわゆる多重人格(解離性同一性障害:DID)なのかもしれないとしています。

ただ、二宮に関わった人からの声からは、小島(同一人物の仮名ですが)の人格は浮かび上がってこないようです。

確かに、死刑が確定すれば多くの人は「これは現実ではないんだ。どこか違う世界のことなんだ」と違った世界か異なった人間に起きていることだと認識したくなるのは当然かもしれません。

その結果、違った人格が形成され現実から逃避しようと試みても不思議ではないでしょう。

ですから、両書にあることはどちらも事実と理解すべきだとは思います。

しかしながら、私居酒屋コーチには、どうしても小島には共感し難いところがあります。

小島の自分中心的な面が強くあるからでしょうか(自己中でない人間なぞいないと思いますが)。

そういう意味では、元々の人格が小島であって、DIDになってからの人格が二宮なのかもしれません。

何れにせよ、「足音が近づく」を読んでこの二宮という死刑囚に関わることが後味悪いものになってしまいました。

しかし、こう言った矛盾や混乱を含んだものが現実というものなのでしょう。

読んだ両書はフィクションではないのですから。

2007年3月15日 (木曜日)

春!

Nanohana 寒さがぶり返していますが、日差しはすっかり春です。

菜の花には蜂が飛んできました。

私居酒屋コーチは、まだ花粉症に悩まされていますが、春の日差しは凄く気持ち好いので、すっかりとは言えませんけどかなり忘れてしまいます。

河原の柳も日当たりの良いところでは芽吹いてきました。

鶯もまだ余り上手く鳴いていませんが楽しそうに鳴いています。

若い時は春は眠いので余り好きではありませんでしたが、ご他聞に漏れず春が好きになってきました。

やっぱり、昼が長くなり新しい命が生まれ、動物や虫が動き出し、木は成長していく姿は気持ちを緩くして優しくしてくれるからでしょう。

さぁ、背筋を伸ばして大股で歩くぞ!

2007年2月19日 (月曜日)

次は3月18日

Ca340283 今年初めての献血に行って来ました。

待ちたくなかったので、早めに行って整理券1番をゲット!

1番は初めてでしたが、書類の作成・血圧問診・採血・献血と余りにスムーズに進み過ぎて、水分の補給する間もなくアタフタしてしまいました。

それでも、気分は悪くないもの。

何たって前に誰もいないんで、みなさん私のことを待ってくれるんですから。

デパートや催し物で1番に並びたがる方の気持ちがよ~くわかりました。

お陰で献血用の太い針を刺すときも殆ど痛みも無く(どういうお陰?看護師さんの腕が良いだけ!)、平穏に「血を抜いて(ろ過して)戻して」の3サイクルを終えることが出来ました。

最後に針を抜く際、ヌルヌルっとホンのちょっと痛かったのが残念でした。

寒い時季は血液が足りなくなると言われていますが、確かに昨日は献血に来ている方は多くなかったようです。

初めから待っている方が一巡してしまうと、殆ど待っている方がいなくなってしまいました。

それでも若い方が結構多いのが救いのような気がします。

統計的には知りませんが、中高年の方が少ないような感じがします。

その世代は時間が取れなくなることは確かに良く分かりますが、献血を必要とするのは中高年なのですから、年金じゃないですがやっぱり問題なような気がします(高齢者は無理としても)。

年に2~3回くらいの成分献血の1時間半を、ボランティア活動として参加されたらなぁと思います。

案外、施設が遠く1日仕事になる可能性もあるので、うんと早く計画を立ててしまうことをお奨めします。

余談になりますけど、献血のような「重要だけど、緊急でない」ことを大きな石ののように、ど~んと計画の中に置いてしまうことは有意義な人生を送る上での基本になるからです(緊急で重要に追われていると病気になります)。

何せ何時輸血の世話になるかわからない世の中でもあるのですから(健康診断にもなりますし)。

そういう私居酒屋コーチは3ヶ月に2回(年8回)を目標にしたいと思います。

3月18日(日)に予定を書き入れました。

2007年2月 5日 (月曜日)

挿入完了!

070205_20250001 大腸内視鏡検査に行ってきました。

2年前に、定期健診で引っかかり(痔でしたが)、2年に1回受ければ安心出来るというので受けました。

お陰さまで、異常はなくて一安心しました。

これで、2年安心していられます。

内視鏡検査は、俗に、痛いと言われるようですが、痛くはありませんでした(医者の力量はあるようですが)。

二の腕に麻酔薬を注射され、眠っている間に1.5mもの内視鏡を入れられた感触は全くありませんでした。

暮れに胃カメラを飲んだ時は、カメラの先端が胃壁を突っついて気持ち悪かったですが、全然違いました。

目が覚めたときは、もう既に終了しています。

おもけに、しばらくして立ち上がると酔ったみたいにふらふらしてとっても気持ちが好いです。

ただ、この検査でキツイのは、2リッターの腸洗浄剤を飲むことです。

ちょっと塩辛いやや重たい水を30分~60分で飲まなければいけないのです。

2年前、初めての時はかなり苦しかったですが、今回はスポーツクラブ通いで、無酸素運動の息の上がる運動をすると、あっという間に喉が渇くなる体質になってきているので、軽くスクワット等をして、300cc位を一息で飲みながら、30分で2リッターを飲みきることが出来ました。

これがなければ大した検査ではないので、是非受けることをお奨めします。

2007年1月23日 (火曜日)

むずムズするっ?

Ca340238_1 本当に今年は暖かいですね。

昨年の1月は、前年の12月に比べれば寒くなかったように記憶していますが、今年ほどではなかったですね?

実は記憶が曖昧なのです(歳ですねぇ)。

何れにせよ昨シーズンは凍った池も今年はまだ凍ってないようです。

例年この時期になると、怖くなってくるのが花粉です。

同病で悩んでいらっしゃる方は分かっていただけますよね、あの辛さ!

ちょっと暖かくなると何となく鼻がムズムズとしてくるので、何時もは急いで医者に行って抗アレルギー剤「アレジオン」を処方して貰います。

私居酒屋コーチは、アレジオンと「インタール点鼻・点眼薬」があれば何とかしのげるのです。

でも、昨年は花粉の飛散量が少なかったので、アレジオンは全く、点鼻・点眼薬も殆ど使わずに過ごせました。

今年も予想では、昨年並かそれ以下のようで例年よりずっと少ないようです。

そうであれば今年も、薬のお世話に余りならずに済むはずで、嬉しい一言です。

ということで、医者に行かずに済まそうと思っている居酒屋コーチです。

2007年1月 8日 (月曜日)

ノロウイルスもいじめのネタ

Vfmi0065 年末年始の番組や猟奇的事件などで、「ノロウイルス」のニュースはめっきり少なくなりましたが、まだまだ流行しているようです。

先日、ラジオであるコメンテータが話していましたが、これだけ「ノロ。ノロ」と言われると、画像のような苗字を持った子供が、いじめにあう数が増えているんじゃないかと。

確かにそうだと思います。

苗字や名前でいじめられるケースは多いからです。

ところで、日本人の苗字の種類は世界でもかなり多い方だと思います。

明治維新で全国民に苗字が許され、一説では30万以上の種類があると言われています。

ですから、一生を通じて見ることも聞くこともない苗字もたくさんあるはずです。

にも関わらず、私たちは、「変わった名前だ」「初めて見た・聞いた」「普通は○○と読むよね」とか良く言ってしまいます。

極く一部の苗字にしか接していないにも関わらず、自分の知っている知識だけで、主観の言葉を発しているのです。

これが、いじめの要因の一つになっていると思います。

変わった苗字と言われれば、人によっては傷つくこともあります。

出来れば、名前のことで感じたことは心の中で思っても口には出さない習慣です。

何も口にださなければ、苗字や名前でいじめられることは少なくなると思います。

戒めなければならないのは、私たち大人です。

親である大人が子供の前で、苗字や名前のことをとやかく言えば、子供は同様の価値観を持つことになります。

価値観は、正しいことでも間違ったことでもありません、その通り○○観つまり観方であって、真実や事実を表しているわけではないのです。

その価値観を表に出してコミュニケーションをすれば、当然のことながら摩擦が生じて、時によっては諍いが起きることになります。

つまり、いじめも起きるとということなのです。

異なった価値観をお互いに認め合うことが、いじめや諍いをなくすことです。

先ほども言いましたが、苗字や名前に関しては人の前でコメントしないように努めることでも、多様な価値観を受け入れる気持ちを形成することにもなると思います。

決して無関心になれというわけではありません。

どうしても、苗字や名前について知りたいことがあれば、判断を加えずにその方に聞いてみれば良いのです。

「私は、○○というお名前を初めてお聞きしました」と事実を一度伝えて、相手の反応を待ってか更に話を続けるかどうか判断すれば良いんです。

別に苗字や名前に何とも思っていない方は、由来や出身等について語ってくれるでしょう。

こうすれば、摩擦は生ぜずにお互いの理解を深め合うことが出来るのです。

事実に基づいて話す姿勢、これを注意をしてコミュニケーションしましょう。

2006年12月23日 (土曜日)

地球は眩しい!!

Earthray2 今日は月齢2.5、「上弦の月」です。

奇麗に、「地球照」が見えています(撮れています)。

太陽の光が地球で反射して、月の暗部(夜の部分)を明るく照らしているのです。

月上の夜では、地球の眩しさのおかげで懐中電灯は要らないかもしれません。

地球が眩しいということは、いま居酒屋コーチがいる以外の地球の何処かが明るく太陽に照らされているということです。

実に、当たり前ですが。

私たちは、ついつい自分のいるところを基準として考えてしまいますが、現実は同時刻に全く異なる世界が存在するということを忘れがちです。

かように、習慣・文化・思想・宗教や価値観など、心に由来するものも、人によって異なることが多いことも忘れがちです。

それを忘れて、自分を軸に天動説のように振舞ってしまい、誤解や諍いを生むことになります。

貴方は天動説で行動してはいませんか?

地球照を見たら、自分の心を振り返ってみましょう。

2006年12月15日 (金曜日)

線路は並ぶよ何処までも!?

Rail 線路が交わっては具合の悪いことになるので、何処まで行っても、2本が並行のまま続いています。

私たちの会話でもこんなことはないでしょうか?

会話ではないですが、カラオケボックスでは間違いなくこんな状況でしょうね。

誰も自分以外の歌は聞いちゃいません。

会話でもそういうことはないですか?

相手の話を聞いていない。

自分の次に言うことを考えている。

国会答弁なぞでは、見かけることが多いですね。

野党の質問に対してはぐらかしたり、べき論で応じたり、大きな声でまくし立てたり…。

こうした議論では何も成果を生みません。

国会では、力と数で押し通すことも少なくありません。

会社や社会でも、強引に押し通すことも多いですね。

そうなった時、結局誰かがしっくりしない思いを持ったまま、座をはずしたり怒ったり、家に帰らず呑み屋で愚痴をこぼしたりします。

こんな人たちが、毎日毎日生産されます。

残念ながら、こういった人たちが街や家庭に溢れるのは健全とはいえません。

あなたが、もしこういう人になりたくなかったら、会話を線路のようにではなく、交差をさせてみましょう。

相手の言っていることをキチンと受け止めることです。

キチンととは、相手の立場に立って聞いてみるということです。

相手は、何らかの理由があって発言をしているはずです。

その理由の正当性や良し悪しは考えずに、相手が話してる背景を考えてみることです。

合意する必要はありません。

共感してみるのです。

「なるほど」「ふ~ん」と言ってみるだけでOKです。

現実には、線路のように並行のまま、「ふ~ん」さえ出ない会話も多いのですから。

「なるほど」「ふ~ん」のある会話と、ない会話では結論や結果に差が出ることあります。

全ての会話が変われば良いといってるつもりはありません。

100のうち3つでも変われば良いと思っています。

3%が変わっても、何日・何ヶ月・何年と積み重ねていくうちに大きな変化をもたらすからです。

皆さんも学校で、キリストが1年を今まで預けていたとしたら、2000年で途轍もない額を手に入れたという例えを聞いたことがあると思います。

あの例えと同じです。

小さな変化でも、何れ大きな変化を導くのです。

もう一度、愚痴っぽい怒りっぽいままでいたくなかったら。

明日から、いや今いまから、「なるほど」「ふ~ん」と声に出してみましょう。

何かが心の中で変わってくるはずです。

2006年10月25日 (水曜日)

内面を写してみましょう

Lighthouse ヘッドランプハウジングに写ったセブンです。

ご覧のように、半球形に写り込んだ画は、魚眼レンズと呼ばれる超広角レンズの画に似ています。

プラスチック製の筐体は、成型が不完全で表面が凸凹しているので、写り込んだ画も暑さに歪んだアスファルトのようにウネウネしています。

かように、鏡も歪んでいれば、実像を正しく見ることが出来ないことも多々あります。

自分の内面の姿を写す鏡は、「人」だと言いましたが、その「人」が歪んでいれば正しい?(何が正しいかなんて世の中にはありませんが)像を見ることは出来ません。

しかし、どんな鏡でも歪んでいない訳はありません。

あの、ハワイ島マウナケナ山頂の最新鋭「すばる望遠鏡」の8m鏡でさえも歪んでいます。

歪んでいたら観測は出来ませんので、絶えず補正をします。

「すばる望遠鏡」の場合、厚さ20センチ(8mですから超薄っぺらい!)の鏡の裏は伸び縮みする沢山の棒で支えられていて、その棒1本1本をコンピュータ制御で伸ばしたり縮めたりして、鏡面の精度を保つ補正作業をしています。

しかしながら、私たちが自分の内面を写す、「人」を補正することは出来ません。

自分を変えることは出来ますが、自分以外を変えることは決して出来ないからです。

どうするかと言うと、質問の仕方を変えることです。

昨日は、「私のことどう思う?」と問いかけようと言いましたが、「どう思う?」に対して聞かれた方は、服装のことかな?体形のことかな?それとも、髪型・声・健康・話し方・話の内容…かな?と、その時の気分・雰囲気・天気などによって思いつくことは異なりますから、答えは違ってきます。

ですから、それを出来るだけ避ける質問をする必要があります。

質問の仕方を大まかに言うと、「オープンクエッション」と「クローズドクエスッション」の二つに分けられます。

「オープンクエッション」とは、先ほどの「どう思う?」と言う答えのジャンルを限定しないで、答える側が自由に考えて答えられるような質問の仕方です。

対して、「クローズドクエスッション」は、答えが「はい」や「いいえ」あるいは、一言で答えられるような質問の仕方です。

例えば、「私の今日の服装、似合っていると思う?」と言うような聞き方や、「好きなクルマの色は?」などです。

お分かりのように、「クローズドクエスッション」は、聞く側の思いが入ってしまうので、バイアスがかかった答えになる可能性があります。

つまり、鏡に例えると鏡を歪めてしまう可能性があります。

とは言うものの、「どう思う?」のようなオープン過ぎるクエスッションでは、答えるほうも緊張してしまい、鏡としては歪んでしまいます。

実際には、クローズドとオープンを上手く使い分ける必要があるのです。

さて、あなたは「オープンクエッション」と「クローズドクエスッション」どちらが多いですか?

2006年10月23日 (月曜日)

内面を写す鏡

Mirror サイドミラーのハウジングの磨きがもっと丁寧であれば、黄色いサイクルフェンダーと焼けたエキュパイが奇麗に写りこんでいたのでしょうが。

ところで、私たちは鏡を使って自分をことを良く見ます。

映像業界の方に関わる方は、ビデオ等で自分の状況を見つめることもあるでしょうが、通常は鏡面に写る左右の逆さの姿を見ています。

鏡面がきれいに拭きとってあるとシャープに写りますが、全てを写してはくれません。

それでは、どうやって私たちは自分自身の姿を見つめているのでしょうか?

自分自身を見つめると言った時、多くの方は自身の内面の姿を見つめることを想像したと思います。

鏡を2枚以上使えば、外面の殆どは見ることが出来るのを知っていらっしゃいますから。

当然ですが、鏡で内面を見つめるには役に立ちません(内側は、内視鏡を使えば見られます)。

私たちは、自分自身を見つめるためには、「人」を使っているのです。

そうです、「人」は鏡なのです。

この「人」と言う鏡を上手く使えれば、自分をより精確に見つめることが出来ます。

一番簡単なのは、「あのさぁ、私のことどう思う?」と言うように、家族・友人・知人に問いかけてみることです。

問いかえられた相手は、何らかの反射光線を発してくれるはずです。

鏡ほど、わかり易くはないですが、あなたのことを見せてくれます。

あなたは、鏡で可視光線を通して自分を見るように、「人」を通して自分をどのくらい見ていますか?

2006年5月14日 (日曜日)

「みたま温泉」と「社会の鏡」

山梨県市川三郷町(旧三珠町)にある「みはらしの丘・みたま温泉・のっぷいの館」に行ってきた。
残念ながら雨模様で甲府盆地の夜景を臨む事が出来ず残念であった。
温泉は茶褐色のアルカリ性温泉で、言われてみると若干「木」の匂いがするような気がする?柔らかい湯である。
P060513_2027_1 画像には「県外」とあるが、利用客を「町内」「県内」と分けて統計を取りながら入場券を販売している。
パーソナルコーチ「居酒屋コーチ」は、20世紀末に携帯電話屋としてサービスエリアの拡大・改善にあくせく働いていたので、思わず「圏外!」文字が頭のど真ん中に浮かび、ケータイのバーを確かめてしまった。
風景を眺めていても、ツイツイ携帯電話無線基地局を見つけて、「あれは○○携帯会社の局だな!?」と考えてしまう職業病の後遺症である。
ちなみに、駐車場に停まっているクルマは「山梨」ナンバーが多かった。

さて、皆さんも温泉の大浴場に行くと、大きな鏡に自らのバディを写してみることも多いと思う。
見て惚れ惚れとする方・ため息をつかれる方・よぉーし痩せるぞ!と意欲の沸く方・いろいろいらっしゃると思う。
私たちは、少なくとも「鏡」を1枚は使わないと自分の全身を見ることは出来ない(顔は鼻先くらいしか見えないし、背中は殆ど見られない)。
こと左様に、私たちの性格・感情等の内面にあるものも自分だけではすべてを見ることは出来ない。
つまり、ある種の「鏡」を必要とするのだ。
これを「社会の鏡」と呼ぼう。
「社会の鏡」とは、自分以外の誰かからのフィードバック(陰口・噂も含む)のことである。
「あなたは何時も○○だ」
「なぜ、おまえは△△しているんだ」
「本当に、良く××するね」
このような言葉は、往々にして発言する方の思い込みや偏見に因っていることが少なくない。
つまり、社会の鏡は歪んでいることがあると言うことである。
社会の鏡を見ることは必要だが、その社会の鏡だけを見て(聞いて)、「自分はこう言う人間」なんだと自己認識することは、実は非常に危ういことである。
自分のことは自分だけでは見ることは出来ないので、(社会の)鏡が無ければ正しい姿を見ることが出来ない。
だから、「社会の鏡」を正しく見る能力を持つことが必要である。
これを手助けするのが、パーソナルコーチング「居酒屋コーチング」である。
是非参考にしていただきたい。
<参考文献:S・R・コヴィー著「7つの習慣」第1の習慣・主体性を発揮する>

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