2008年12月27日 (土曜日)

冬の筍

Hyojun

今冬一番の冷え込みになった今日の朝、こんなものが出来ていました。

私いざかやコーチも水道では初めて見ました(雪国ではツララの下で見掛けます)。

氷のたけのこで氷筍と言うそうです。

ちなみに、鍾乳洞にある鍾乳石の下に出来ているのを石筍と言います。

前回、来た人が水道の元栓をよく閉めていなかったのか、蛇口からポタポタと適当な量が滴っていたんでしょう。

ウィキペディアによると、氷点下3℃程度から出来るそうですから、全くの屋外のこの蛇口の辺りはその位の冷え込みだったのでしょう。

いざかやコーチの子供の頃は、家の中(横浜ですよ)でも水道が凍って出なくなったものです。

そんな時は、出なくなるのを見越して汲んであったやかんでお湯を沸かしてかけて溶かすのです。

学校の外の水道なぞは陽が当たるまでちっちゃなツララが付いていて、水が出ないことは日常茶飯事でした(流石に、北国のように蛇口から常に水が流れ出るようにすることはありませんでしたから)。

2時間目と3時間目の長い休み時間でドッジボールをした後、手が洗えなかったこともありました。

洗ったとしても冷たいのでよく洗わずそしてよく拭かないので、当時は手によくひびが切れたりしてて、ホント痛かったものです。

2008年12月 6日 (土曜日)

新幹線3

P050218_1552新幹線の特徴的なところは、その速さや景色の単調さに加え「音」でした。

独特な、「ゴン・ゴン」という連続的な音が何処でも聞こえるのでした。

テレビ等で新幹線内の場面が出てくると、その独特な音がするかどうかで本格的かどうかを判断してしまったものです。

ところが、この音が新幹線全てに特有なものでないことを、東北新幹線に乗って初めて知りました。

東北新幹線には、あの「ゴン・ゴン」という音がしなかったのです。

原因は、東北新幹線が在来線や東海道新幹線のように砂利の上に枕木・線路が敷かれずコンクリートの上に直に線路が敷かれている構造の故か、200系という新しい車両のせいか何れかだろうと思っていました。

その後、東海道新幹線の100系に乗り違う音がしたことで、あの「ゴン・ゴン」いう音は100系車両の独特なものと分かりました。

最近の新幹線も在来線もサイリスタという部品から似たような種類の音が出るようになり、絶対的に静かになったように思います。

しかし、如何にも新幹線という雰囲気の音が消えたのがちょっと寂しい気もします。

2008年12月 5日 (金曜日)

0系新幹線2

P050204_163300

生まれて初めて乗った新幹線は、「こだま」号でした。

湘南電車に乗って小田原で降り、地下通路を抜け近代的な新幹線ホームは如何にも新しい時代を感じさせました。

行き先は確か京都だったと思います。

当 時(昭和41年頃)、「こだま」号の特急料金より「ひかり」号は高く、名古屋と京都以外には絶対停まらないひかり(潔いよなぁ)に乗るには東京まで戻ら なければならないので、必然的にこだまに乗ることになったのです(小田原~東京間はずっと後になるまで乗ったことがありませんでした)。

ビュッフェのある車両に棒線式の速度計があり、それが210キロになるのを見てドキドキしました。

窓から見える景色が飛ぶように走り去る速さよりも、途中駅で抜かれる時のひかりの速さと音がびっくりものでした。

でも、一番の印象に残っているのは単調な景色でした。

残念ですが、これには本当にがっかりしました。

小田原を出るとすぐトンネル続きで熱海に着き、また新丹那トンネルで、あとは田んぼや山ばかりで記憶に残るような風景が殆どないのですから。

その時は冬だったのですが、富士山が見えたかどうかは残念ながら全く思い出せません。

見ていたとすれば、もう少し印象深かったのではと思うのですが。

2008年11月16日 (日曜日)

The Road

Theroad

またも救われない話です…。

もろ、ネタバレですね。

2007年のピューリッツァー賞受賞作品だそうです。

そして、米国では170万冊以上の大ヒットとのこと。

作者コーマック・マッカーシーの前作「ノー・カントリー」も、何とも砂を噛んだような後味の良くない救いのない話でした。

私にはどうしてこういったモチーフの作品が書けるのか残念ながら理解できません。

ですから、殆ど共感もできませんでした。

この作品はSF(ScienceFictionというより、SpeculationFiction)で、実在しない仮定の状況・環境を設定して、そこにおける登場人物等の思考や行動を描かれます。

しかし、大規模な核戦争が行われ世界が崩壊した地球を設定としているようなのですが、核爆弾が使用された世界の描写に全く現実性が感じられないことです。

私は日本人ですから、広島・長崎の核爆弾爆裂後の惨状・地獄図をストレートにイメージします。

ですから、この書にあるような状況設定はどうしても理解できないのです。

あまりに楽観的に描かれています。

そう言えば、2002年の映画「トータル・フィアーズ」で、米国内で核爆弾の炸裂後の状況描写もお気楽そのものでした。

やはり、米国人は相変わらず核爆弾の怖さを十分に理解をしていないようです。

作者は究極の状況下での人間の振る舞いを通して、人間の良心を描きたかったのでしょうが、残念ながら私には伝わりませんでした。

2008年11月 5日 (水曜日)

オバマ圧勝!

Election米国大統領選挙が終わりオバマ氏が勝利しました。

何もせずに現在の金融危機を招いた共和党政権が去り、もう少し健全な経済環境が再興してくれることを祈ります。

ところで、今回の選挙は、画像の本によると、「相対多数投票」という方式で行われました。

有効投票のうち最多の票を獲得した候補が勝利する方式です。

今回の選挙では最多得票の候補が選挙人を獲得するのですが。

この相対多数投票は、日本の総選挙の小選挙区制選挙や学校の学級委員長の選出等で採用される極く一般的な投票方法です。

多数決で当選者を選出する場合これが一番公平で不満がないように思えますが、この本では必ずしもそうでないことが提示されます。

相対多数投票では、当選しなかった候補に投票した票が完全な死に票になることです。

つまり、1票差でも落選した候補への票は全く評価されないわけで、落選した候補に投票した有権者は民意が繁栄されていると感じないことが少なからずあるはずです。

こういった不満を少なくする投票方法があることをこの本は紹介しています。

長くなるのでその方法は紹介はしませんが、かなりの昔からより投票者の不満を少なくする投票方法が検討されていたそうです。

その中には相対多数方式より投票者の満足度が高いことが統計的に確認されている方式があるにも関わらず、国家レベルの選挙では採用されていません。

集計が煩雑という欠点があるのですが、今はコンピュータ全盛の時代でそれは解決されていると考えられます。

しかし、それの採用が表立って議論されないのは、実は民意を反映させ有権者の満足度の高い選挙が実施されることが、選挙される人間にとっての満足でないということにあるのだと思います。

だから、「なぜあの人が選ばれるのか?」という不満が常につきまとうのでしょうね。

2008年11月 3日 (月曜日)

天守台

Tesyudai_3

皇居の見学を終わると、東御苑を見ることができます。

お目当ては、江戸城の天守台です。

天守閣が聳え立っていた台座をこの眼で確かめたかったのです。

江戸城天守は、振袖火事と呼ばれた明暦の大火で、落成後僅か19年で焼失しました。

その後、再建は果たされずに現在に至っています。

さて、その天守台ですが、高さは大したことはありませんが(当初より低いとの由)、流石に巨大です!

この上に本丸天守が建っていた威容さを想像するに、初期の徳川政権の力強さを馳せることができます。

しかし、現在の天守台の上からは、高層ビル群が立ち並ぶ、お世辞にも美しいとは言えない旧都心の風景がまとわり付いて見えるだけです。

2008年10月31日 (金曜日)

そうだ、皇居に行こう!

Tsukiyama

竹橋に行く用ができたので、皇居見学の予約を取り、出掛けてきました。

団体と一緒で総勢250~300人の大人数です。

ゾロゾロと引率者に引き連れられて、宮殿を始め、櫓などの要所を見て回ります。

宮殿脇に庭があるのですが、外から画像の築山のような二つの瘤が見えます。

実はこれは山でなく、20数種の木による6mもの高さの刈り込みなんだそうです。

「どうやって丸くするんだろう?」と疑問に思ったのですが、同じように考える方が多いのでしょう、説明がありました。

機械を使ったり、外側に足場を組んだりするのではなく、植木屋さんが中から顔を出して剪定バサミで刈り込むんだそうです。

考えてみればそれが一番安上がりで確実ですよね。

2008年10月20日 (月曜日)

タックスヘイブン

Caman

旧AC艇エンデバー号は、まだベイサイドマリーナにいます。

停泊バースの位置が変わっていたので、クルーズに出たのか何らかの動きがある・あったようです(HPによると11月末までいるとの予定ですが、この景気ですから???)。

スタンに掲げてある旗を調べたところ、カリブのケイマン諸島のものと分かりました。

同国(自治がある)は、税金が安いこと(タックスヘイブン)で知られ、米国等の証券投資会社が籍を置いたりしています。

船舶でも同様なのか、このエンデバー号も米国のチャーター船にも関わらず、ケイマンに籍を置いているようです。

ところで、ケイマンの国旗は地色が青のようですが、エンデバー号のそれは赤に代わっています。

海上自衛隊(旧海軍)が、日章旗の代わりに旭日旗をあげているようなものなのでしょうか、さて?

2008年10月17日 (金曜日)

落語の国?

Horii落語には江戸時代の庶民文化が描かれていることが多いです。

この書では、落語に表現された、現在と異なる文化についてダラダラと紹介してくれます。

例えば、「時そば」に出てくる時刻の表現の仕方なぞです。

勘定を上手くちょろまかす時は「九つ」で、真似をして失敗した時が「四つ」というのは、当時の時刻表現を理解していないで、現在のように時刻は増えていくものと考えると余りに間抜けな野郎ということになりますが、実際は現在の時刻でも精々1~2時間程度しか違わない(早い)のです。

そんなことが、縷々書かれています。

文化は落語に限らず、書籍や絵画・彫刻等様々な方法で表現され残っているものですが、落語で表された分野は非常に庶民性が高く、その当時では余りに当たり前で書物等に残そうとされなかった部分が少なくないと思われます。

そういった点で、落語から江戸時代を考えるのは面白いですね。

2008年10月 7日 (火曜日)

よかった元気で

Hiking

横浜市の自然地形で一番高い辺りを通り鎌倉天園に抜けるハイキングコースがあります。

夏場は朝5時前からウォーキングを業とされている方など大変多くの方が利用されています。

それだけ沢山の方が利用されているにも関わらず、ゴミが少ないのがこのハイキングコースの特徴です。

街中はペットボトルや吸殻のポイ捨て、粗大ゴミの放置等が一向になくならないのにです。

それは、行政がしっかりやってる訳ではなく、Mさんというボランティアの方のお陰なのです。

朝一番でご自宅の周辺も含めてハイキングコースを市境まで数時間掛けて、ゴミ袋とゴミバサミを持って歩きます。

もうすぐ後期高齢者だから夏は辛くなったねとも言いながら、健康のためと続けています。

2年ほど前、雨の中で滑り手首を骨折して以来、雨の日は止めているようですが毎日毎日コツコツと歩かれています。

ここ数ヶ月すれ違えなくなっていたので心配していたのですが、先日の日曜日に久し振りに元気な姿に会いました。

段々年取ると早く眼が覚めるので早く出発しているんだよとのことで、ひょっとして病気でもしてるんじゃないかと思っていたので安心しました。

お陰でその日は朝から心の充電が高まり気分の好い一日でした。

2008年10月 2日 (木曜日)

国際航空宇宙ショー

950520822_16 昨日から、2008年国際航空宇宙展がパシフィコ横浜で開催されているようです。

ずっと以前は、国際航空宇宙ショーという名称で催されていた展示会(商談会?)で、自衛隊の基地で催されていました。

昨日だけ、ブルーインパルスが横浜港の上空を飛ぶ予定だったようですが、天候不良で中止になったようです。

私も、かつて行ったことがあります。

1976年の入間基地で行われた時です。

この時は、航空自衛隊のF-X(次期主力戦闘機)選定の真っ最中で、米国メーカーが売り込みが来ていて派手なデモフライトが催されました。

目玉は、もちろんF-15とF-14!

F-15は米国独立200年記念の白っぽい塗装の2座機で、F-15は海軍塗色そのままの機体です。

入間基地の滑走路をあっという間に浮き上がり、天に登る龍のような角度でF-15は曇天の空に舞い上がって行きました。

戦闘機と言えば、F-104や零戦くらいしか見たことのない僕にとって、あの馬鹿でかい機体が軽々と飛び上がる様は、まさしく「信じられな~い」瞬間でした。

F-14はそれよりどっしりと離陸しますが、飛び上がってから滑走路の端の先でUターンしたかと思うと、それまで広げていた主翼を畳んで、我々が見ている目の前を500ノット(800キロ)で通り過ぎました。

その時の凄まじい地響きに蹴倒されそうになりました。

マクダネルとグラマンの真剣なガチンコ勝負でした(裏で勝負は決まっていたようですが)。

しかしながら、F-14は既に退役し、F-15も日本ではF-X選定がいろいろ言われるようになってきました。

時代は流れたものです。

それより、この5年後このパンフレットの商品を手がけるようになるとは、もちろん神のみぞ知るです。

2008年9月 9日 (火曜日)

家守

Yamori家の階段を下りていると、バサッと何かが落ちる音が。

足元を見ると、茶色っぽいものが。

良く見ようと顔を近づけると、サササッと逃げます。

ヤモリです。

我が家で見るのは初めてでした。

外の壁にいるなら構いませんが、家の中にいるのはどうも気分が良くありません。

捕まえて外に放そうととしましたが、思った以上に速く逃げられ箪笥の裏に逃げられました。

まぁ、悪さをする訳ではないし、家を守るヤモリなので放っておくことにしましょう。

2008年8月21日 (木曜日)

疲れた・・・。速い!

1930ホント、疲れました。

2試合とも手に汗握る接戦で、まるで甲子園の決勝を見ている気分でした。

タイブレーク方式と言うのは、とても胃が痛くなるルールです。

しかし、ソフトボールなぞは4年に一回しかTV放映されないので、見るととても新鮮です。

野球の悪弊をかなり省き合理的にしてあるところを見ていると眼から鱗です。

20秒ルール好いですね、あれ。

プロ野球にもあったはずですが全然守られてなく、ダラダラを見せられるのは堪りませんので、すぐに実行してもらいたいものです。

敬遠のフォアボール申告も合理的ですね。

プロ野球では、極く稀に変な球を投げたりしてとんでもないことになることもありますが、そんなことよりさっさとピッチャーとバッターの勝負を見せて欲しいものです。

細いバットに興味が引かれて調べたら、複合材製のものは3万5千円以上もするのがあるようで、硬式野球の木のバットより遥かに高価です。

ある意味、野球より進歩的なのです。

しかし、米国チームはユニフォームも素敵(黒いストッキングはしびれます)で、ポニーテールが良く似合っていました。

コスプレでは、全く日本は歯がたちません!

でも、疲れました昨日は…。

今日はどちらが勝っても好いですけど、もう少し動きのある試合を望みます(疲れちゃうので)。

さて、ウサイン・ボルト、本当に黒い稲妻でした。

一歩いっぽの力強いストライドでまるで地球を動かして、他の選手を後ろに追いやっているかのようでした。

驚異的な記録とか破られないのではとか報道は喧しいですが、冷静に見てみましょう。

200mの19.30秒は今迄の記録を0.10%更新しています。

100mでは、0.41%です。

ちなみに、北島の平泳ぎでは、100mで0.37%、200mでは0.79%(五輪ではありませんが)更新しています。

こうやって見ると、ボルトの記録更新度合いは必ずしも脅威的とは言えないかもしれません。

競泳と短距離では、完成度に差がある(水着の問題も)ので、一概に比較するのは無理があるかもしれませんが、ある競技だけに囚われることなくもう少し冷静に記録を眺めてみる必要があるようです。

数字から推測してターゲットになる記録を設定しトレーニングやマテリアルの開発をしていくことも勝負の世界では必要なのですから。

2008年8月19日 (火曜日)

ガリガリトンボ

Garigaritombo近年はすっかりトンボが少なくなりました。

それも、シオカラトンボや赤トンボです。

あんなにいたのに…。

このガリガリトンボはそのトンボではありません。

細い丸棒でカリガリと音をさせてギザギザの部分を擦ると、先端に付いたプロペラがあら不思議回りだします。

この画像のモノは、右に傾けてガリガリやるとプロペラは右回りします。

逆に左に傾けると左回りを始めます。

どうやら個体差が大きいみたいなので、手作りするのが楽しそうです。

2008年8月 6日 (水曜日)

広島原爆記念日

Dome

63回目の原爆記念日がやってきました。

原爆の悲惨さを語る生き証人が少なくなっていくなか、どうやって後世にその悲惨さを含め事実を伝えていくかが問題になっています。

広島に5年いた経験から感じるのは、原爆や被爆者について必ずしも客観的事実として語られる訳でなく、時の政治や社会の状況によって多分に主観的事実として語られてきているということです。

つまり、原爆や被爆者を利用してきた政権や行政があったのです(現在も)。

ですから、本来保護されるべき被爆者が隠れなければならない状況に置かれたり、爪弾きやいじめの対象にさえなったりしたのです。

生き残っている被災者(被爆者)が、こういったことも語って欲しいと思いますが、高齢化も含めて現実的には難しいと考えられます。

今日の福田首相の言葉にも具体的な解はありませんでした。

私居酒屋コーチはこう考えます。

当たり前のことですが、原爆も悪いですが戦争をしたことがもっと悪いことです。

そんなことは誰でも判っているさという方は少なくないと思います。

ですが、現実的には世界のあちこちで戦争は起きています(日本だって、イラクやアフガンで加担をしています)。

つまり、戦争が悪であると思っていない方がとても多いということです。

そういう人達を一人でも減らしていくことが必要なのです。

これには、やはり教育が大切です。

そして、特に大切なのは、近代史です。

日本にとっても、その他のナショナリズム台頭も、近代から現在まで連綿と続いていて、それが世界大戦や地域紛争・テロルを生んでいるのです。

その近代を正しく知ることは、戦争・紛争を防ぐ知識になり言動になるはずです。

居酒屋コーチの経験では、歴史のカリキュラムは遅れ遅れて殆ど昭和さえも教わった覚えもありません。

それも、大急ぎで表面的な内容で深く考える内容ではありませんでした。

多くに方がそうであったと思いますので、歴史は古代・中世史と近代史は絶対に分けて理解させるべきなのです。

現代の日本を必ずしも形作っているわけではありませんが神代の時代や雅の時代を知ることも必要でしょうが、これから資源も居住地さえも厳しくなる将来を如何なる国や地域に住む人にとって、明るく豊かな生活を営めるようにしなければならないのです。

旧西ドイツのワイツゼッカー大統領が、「過去に眼を瞑るものは、未来においても盲目になる」と語りましたが、その過去は第2次世界大戦までのことです。

遠い過去ではない近い過去をどんな国の国民よりも正しく深く理解すること、これこそが原爆を受けた国民の責任だと思います。

2008年7月19日 (土曜日)

30数年振り

Manaduru真鶴半島に行きました。

中学の遠足以来、30数年振りです。

海岸での集合写真以外全く覚えていません。

三ツ石に向かう細い道に入ってびっくりしました。

樟や松の巨木が一杯です。

魚付き保安林と言うらしいのですが驚きました。

もちろん30数年で巨木になったとは思えないので、当時も立派な林だったのでしょうが、全然覚えがありません。

今度はゆっくり歩いて鑑賞したいものです。

2008年7月11日 (金曜日)

時代は変わった

Sukasenスカ線の踏み切りです。

数年前から、湘南新宿ラインが乗り入れるようになり、オレンジとグリーンの湘南電車が走るようになりました。

居酒屋コーチはこういう風景を見ると、国鉄動労の順法闘争の時代を思い出します。

当時の国鉄は荒れに荒れていて、75年暮れには8日間もの間国鉄がストで止まるという暴挙も起きました(とんでもないことです)。

ですから、湘南電車もスカ線も車両がごちゃ混ぜ状態で、オレンジとアイボリーの車両が斑になって走っていたものです(組合員による落書きもありました。イタリアを笑っちゃいられません)。

勿論、今はそんなことはありませんが、半分固まった頭にはスカ線でオレンジ色の電車を見るとかつての無秩序な状況を思い出してしまいます(歳とった証拠かな)。

2008年6月29日 (日曜日)

10年前の今日7

Goodbye釜山には土曜に着きましたが、実はその夜釜山の街を楽しんでいません。

私居酒屋コーチは、特にサッカーファンではありませんが、流石に98年のこの日は日本が初めてワールドカップに出場したので、焼肉を食べて友人宅に帰り、クロアチア選を応援してしまいました。

結果はご存知の通り負けてしまいましたが興奮しました。

で、市内の夜も楽しまず、翌日はちょこちょこっと観光して、ビートルの人になりました。

2008年6月28日 (土曜日)

10年前の今日6

Antena10年前の韓国の携帯電話基地局(送受信アンテナ)です。

3~4階建てのビルの屋上に設置されています。

当時の韓国の主流はTACS(日本ではIDOの東京フォンや○○セルラーで採用されていた米国の主流方式)だったと思いますが、随分と大胆な設置の仕方です。

日本のドコモがNTT電話局の屋上に設置した円形状のものに似ていますが、美観上も頭でっかちでカッコ悪いですね。

それに、日本では電磁波の問題もあり、画像奥の家屋の2階辺りの目の前に位置するので、この高さでは認められないと思います(国によって規制は違いますから)。

ところで、昨今の携帯電話基地局は、電柱(電気用電柱)1本のモノもありますので、あなたの気がつかないところに何時の間にか設置され圏外でなくなっているかもしれません。

2008年6月27日 (金曜日)

10年前の今日5

Photo太宗台(テジョンデ)遊園地と呼ばれる景勝地です。

釜山市街から南の方に向かった岬の突端です。

と言っても襟裳岬のように尖ったところでなく、幅も高さもだだっと広いところです。

遊歩道は海面から随分高いところにありますが、沢山の人が岩場の方に下りて行っています。

海は当然のことながら日本海です(かの地では東海と主張しているそうですが)。

山陰等で見る日本海と違い雄大な男っぽい印象です。

空気が澄んでいれば対馬が良く見えるそうです。

対馬には、朝鮮半島的なところがあると聞きますが、確かにそうでしょうね、見えるくらいですから(九州からは見えるのかしら?)。

果たして平和になっていたか?

Israelイスラエルという国について理解が進みました。

超右翼で誰も信じない国家という印象がありましたが、その理由が分かりかけました。

本としての全体はかなり難度が高く分かり難いのですが、幾つか分かったことがあります。

1つ目。

現在、イスラエルで話されているいる公用語「ヘブライ語」は、現イスラエルが建国?されて約2000年振りの復活した言語であるということ。

著述には使われ続けていたらしいのですが、極く限られたことなので、人の口にのぼることは2000年振りとのことです。

こんな長期にわたって使われなかった言語が復活するのは、当然ですが他に例がありません。

驚きです。

ヘブライ語が新生イスラエルにとって象徴以上に不可避だったのでしょう。

2つ目。

ご存知の通り、イスラエルはユダヤ人だけで構成されている訳ではありませんが、本来は必ずしもユダヤ人だけの国家として建国されてはいないことです。

正確には、ユダヤ人だけの国家としようとする勢力(政治シオニスト)によって建国されたのですが、実態はアラブ系モスレムも含んで独立しました。

そのため、常にアラブ人を排斥しようとする力学が働いて、何回かに亘る中東戦争や内戦(PLO等と)が引き起こされています。

元々、離散していたユダヤの人々が欧州において行き場を失いつつあった(国民として認められない。ナチのホロコーストはその極端な例)中で、自分たちの国民国家としてパレスチナの地に新生イスラエルを作ろうと20世紀になって動き始めたわけです。

しかし、自分たちが国民として認められずに迫害されたにも関わらず、ユダヤ人(この定義もあやふやな面が)でなければ国民として認めない国家を建設することは自家撞着になります。

ですから、ユダヤ人以外の国民を認めるべきであると主張する文化シオニストが存在しましたが、残念ながら、建国時点においては文化シオニストは政治シオニストを凌駕することはできませんでした。

もし(歴史やスポーツにもしは禁物ですが)仮に文化シオニストが優位を占めていたら、現在の中東の様相も大いに異なっていたと思われます。

ただ、平和の方向に向かっていたか、その逆かは分かりませんが…。

2008年6月26日 (木曜日)

10年前の今日4

Ichiジャガルチ市場、釜山370万人の胃袋を満たす水産市場です。

活気に満ち満ちています。

日本海で獲れた魚が一杯です。

沖縄の魚屋さんだといろんな色の魚が並んでいますが、ここには日本と同じごく普通の魚が並んでいます。

面白いのは、日本では仙台・三陸で多い「ホヤ」が一杯あることです。

そうです、韓国ではホヤを味噌汁に入れて食べたりするようです(ホヤ入り味噌汁は余りおいしくありませんでしたが。キュウリの味噌汁が美味しくないのと同じ)。

築地も確かに活気はありますが、どちらかと言うと卸中心なので雑然感はそれほどありません。

ところが、ジャガルチ市場は混沌としたカオス的雰囲気があって楽しい場所でした。

2008年6月24日 (火曜日)

10年前の今日3

Pusan釜山タワーからの港を眺めた画です。

関釜フェリーの停泊している埠頭の先に、派手に白い航跡を残して乗ってきたビートルが博多に向けて出港していきました。

釜山はご覧のように、自然の半島等に囲まれた良港です。

韓国第2の都市に発展するのもよく分かります。

前年(97年)の金融危機もなかったように街は活気に溢れていました。

街を歩いている人々を見ていると自分がアジア人だなぁとの思いが強くなります。

日本にいると、他国人に遇うとつい意識しがちですが、違う国にいざ入ると意識のしようがなくなります。

そして、良く眺めると、どの顔つきも日本で見ていて、その構成比が違うだけに気づきます。

つまり、日本も韓国もアジアの一部だからなのです。

違いを重箱の角を突くように比べるより、同じか似ているところを大切にすべきだとつくづく感じました。

2008年6月23日 (月曜日)

2年振りくらいのお好み焼き

Komachi月島に用があり行ったので、お昼にお好み焼きを食べました。

NHKの朝ドラ「瞳」のポスターがあちこちに貼ってあり、多くの観光客が来ていることが予想されます。

私、居酒屋コーチはお昼を少し過ぎていたにも関わらず、月曜のせいで休みが多いのか、暖簾をくぐった店は結構混んでいました。

野郎一人でもんじゃも食べたくないので、お好み焼きを注文しました。

焼いてくれると言うので、お店の方に焼いて貰いました。

流石に「そば入り」メニューはないので、「豚天」という品です。

豚を別に焼いて、メリケン粉とキャベツ等が入った本体に載っけて、ひっくり返して出来上がりです。

粉がどの位入っていたか分かりませんが、広島焼きに比べるとお腹にドンときました。

たまには広島風も食べたいなぁ。

2008年6月21日 (土曜日)

10年前の今日2

Daewoo

3時間弱後、釜山の港内に入ると多くの造船所で大型船の建造が真っ盛りです。

ただ、見た風景は日本のそれと余り変わりがなく、3時間足らずの船旅では大した変化はないのは当然だなと言う雰囲気でいました。

しかしながら、いざ桟橋に着き、簡素な入国管理所を抜け街に出ると、やはりそこは異国でした。

看板やビルに掲げられている表示が全く読めないのです。

元々、駐在の友人に頼り切るつもりでしたから、全くハングルの勉強なぞしてなく本当に一文字も理解できないのです。

背中を走る孤独感と、友人に会えなければどうなるんだろうと言う恐怖感に近いものに襲われました。

幸いすぐに友人と会えたので、それもつかの間でしたが、船での僅かな時間は大したものではないと思ったのは間違いでした。

何かと大ごとな飛行機と違い、ひょいと乗って2次元の海面を滑るようにやって来た船旅が、余計距離感を感じさせないのでしょうが、自分の感覚と現実の違いに唖然としたのでした。

2008年6月20日 (金曜日)

10年前の今日

Beetle210年前の今日は、博多湾にいました。

友人が赴任先のプサンからもうすぐ帰国すると言うので急いで出発しました。

当時、私居酒屋コーチは広島に出向していましたので、「日韓合同セマウル切符」を活用しました。

広島駅から新幹線で博多まで行き、そこからジェットフォイル「ビートル」で釜山に渡り、そこから特急セマウル号でソウルまで行けるキップです。

友人は釜山にいるのでセマウル号には乗りませんでしたが、それでも個別に購入するより安いのです。

ジェットファイルは、水中翼船と呼ばれる船舶の一種で、原型は飛行機で有名なボーイング社で、名称をボーイング929と呼ばれており、日本では川崎重工が造っています。

時速80キロで走ることが出来、博多~釜山を3時間弱で結びます。

居酒屋コーチが釜山に向かった日はご覧のような快晴でしたので、至極快適な船旅でした。

(続く)

2008年5月20日 (火曜日)

やっぱり富山?

ToyamaJR富山駅にやっぱりありましたこのキャッチフレーズ。

昔から富山県(富山市)の薬売りは有名ですね。

医薬品の生産額では、大阪がトップで富山は8位だそうです。

生産額ではなく、配置薬で有名のようです。

その配置薬では、全国の半分を占めます。

ただ、我が家には富山の薬売りはもうやって来なくなりました。

今では欲しくはありませんが、やっぱり紙風船は懐かしいですね。

2008年5月18日 (日曜日)

5年前2

Yathuo金沢でちょっと呑み過ぎて、電車で富山駅へ。

富山から高山線に乗り、越中八尾駅で下車。

風の盆の舞台は、ここからバスで行かないといけません。

2008年5月 6日 (火曜日)

もう叶わない

Rinboリンボウ先生の「ついこの間あった昔」です。

昭和30年代を中心に30枚のモノクロの写真にリンボウ先生がコメントをつけた本です。

林望氏は私居酒屋コーチより少し先の世代ですが、コメントの一つひとつに納得するものばかりでした。

中には涙してしまうものもありました。

表4(裏表紙)の口絵は、「行水、束の間涼し」という画と同じものです。

「この写真のお母さんも、まるで輝くような笑顔で、二人の男の子の表情にも、暗い影など微塵もない。明るいのは夏の午後の光ばかりでなくて、この母子の何もかもが明るく輝いていて、見ている者に不思議な幸福感を与えてくれる。それはたぶん、多くの人がそうであったように、また私自身もそうであったように、幼年時代というものが、親の愛情を一身に受けて、人生のもっとも幸福な時代だったからなのだろう。」

「・・・このお母さんの下駄を突っかけて金太郎の腹掛をしたおにいちゃんも、頑是ない表情をして行水を使っている弟も、そしてこの若く美しいお母さんも、みなおっとりと魅力的で、あの懐かしい行水の幼年時代に、ふと戻ってみたくなるような写真だが、それはむろん叶わない。」

もちろん、涙しました。

2008年5月 2日 (金曜日)

屋根より高い!かな?

Carps_2 居酒屋コーチが子供の頃には、農家や大きな家の庭には鯉幟が揚がりました。

それこそ、屋根より高く泳いでいたものです。

今は全くと言っていいほど見かけることはなくなりました。

その鯉幟は何処に行ったのかしらと思ったら、こういったところでリユースされているようです。

全国いたる所で河川の両側を渡す鯉幟が見られますが、そこで泳いでいるのは嘗て家庭の庭で泳いでいたものだと思います。

ということは、現在家庭で鯉幟が泳いでいない現状から考えると、そう遠くない日に河川で泳ぐ鯉幟もいなくなるということでしょうか。

2008年4月26日 (土曜日)

咲き始めました

Ebineかつて、エビネは日本の山野に何処でもあったと言います。

前回の記事で書きましたが、何かが話題になるとそれが全てのように、蟻が砂糖に群がるように行動する日本人の悪い癖でもはや野生のものは殆ど見られなくなったと言います。

情けないですねぇ。

2008年4月25日 (金曜日)

美味しそう

Yae実に美味しそうですよね。

葉っぱを見ると、桜餅を包んだ塩漬けの葉を連想させます。

花びらは柔らかそうでそのままでも食べたくなります。

が、私居酒屋コーチは、ただただ甘いすあまを食べたくなります。

「素甘」と書くようです。

鳥がたまに花びらを食べていますが、羨ましくなりますね。

2008年4月13日 (日曜日)

嗚呼「しらせ」

Fujistern南極観測船「しらせ」が帰投しました。

今週には、母港?長浦港に戻るのでしょう。

しかし、82年に就役したしらせも寄る年波には勝てず今回の任務が最後でした。

海上自衛隊も、護衛艦でないこれだけ大きな船を維持していく費用も持っていないので、「宗谷(お台場)」「ふじ(名古屋港)」のように引き取り手がなければスクラップになるとのこと。

この画像は、81年か82年の南極から帰った時の「ふじ」様子ですが、喫水線の上も氷でペイントが剥がされボロボロで、過酷な航海の様子が窺い知れます。

ひょっとして、このペイントの剥げも補修されずに放置され解体されるのでしょうか?

ちょっと可哀想ですね。

2008年4月 2日 (水曜日)

満開

Sakuraソメイヨシノが漸く満開になりました。

今年は都心部と郊外では随分と開花の速さが違うようです。

この桜は比較的若いようなので「てんぐす(天狗巣)病」にはやられてなく元気に空に向かって枝を伸ばして気持ちの好い樹です。

ヤマザクラも一部咲き始めました。

白いヤマザクラの花は緑の少ない里山にとても清楚で似合います。

これからが本当の里山の春です。

2007年12月27日 (木曜日)

今冬2回目

Iceこの冬、2回目の氷が張りました。

前回(先々週?)より少し薄いようです。

昨日は天気予報で4℃で張ってなく、今日は3℃らしかったのでこの1℃辺りが凍るかどうかの分かれ目のようです。

一昨年は寒い冬でしたので、家でも結構氷が厚く張っていましたが、さて今冬はどうなるでしょうか?

私居酒屋コーチが子供だった頃はもっと寒かったので、氷は張るはツララは下がるは水道管が凍るはで、氷に絡む事柄が多かったものです。

氷が張ると言えば、その頃は田んぼに冬でも水がはってあったので、冷え込んだ日には子供が乗っても割れることがないくらいの厚さになったものです。

大体2~3センチくらいはあったと思います。

田んぼに張った氷の上に乗ると楽しかったのは、田んぼに住んでいる金魚(緋ぶな?)が真上から見えることです。

もちろん、捕まえようと考えるのですが、氷を割ると自分の居場所がなくなるので、やたらに割るわけにいかず殆ど捕まえられなかったものです。

ワカサギ釣りのように丸く穴が開けられば幾らかは安心でしょうが(薄くて駄目かも)、子供がそんな穴を開ける道具も持っているわけもなく、畦道に近いところ以外は手が出せなかったものでした。

氷の上から赤い金魚を眺めながら氷の上をソロソロと歩く(とてもスケートはできない)感触が懐かしくなってきました。

2007年12月25日 (火曜日)

よくぞ

Hakkakudo_2八角堂の形をした幼稚園です。

鎌倉比企谷(ひきがやつ)の妙本寺境内にある幼稚園の園舎です。

如何にもお寺さんの幼稚園という形です。

寺院の雰囲気や鎌倉という土地柄によく合っています。

八角堂と言えば、法隆寺の「夢殿」を思い出しますが、鎌倉では八角堂はないと思います。

あと、思い出しますのは北の丸公園の「日本武道館」ですね。

「八」は、東西南北とその中間の八方を指すようですが、この建物が角がきちんとその方向を向いているかは分かりません(おそらく向いていると思いますが)。

また、建造物としても六角では細身に見えて安定感に欠けるという点もあるでしょう(八角は常に四面見える)。

実際に中に入ったことがないので、部屋がどのようにレイアウトされているかわかりませんが、まぁ何とか什器もさほど無駄な隙間を作らずに設置できる限界な形なのかもしれません。

多少の不便さを忍んでも、周囲との景観を破らないように、よくぞこの形を選んだお寺さんには拍手をしたいと思います。

2007年12月11日 (火曜日)

今年は2トーン?

Xmas 駅前のケヤキのイルミネーションが今年は2色になりました。

といっても流行のブルーLEDではありません。

白っぽいものが追加されました。

細い枝に見え隠れしてユラユラと光が揺れるのが魅力的です。

いよいよ今週から忘年会が始まります。

呑み過ぎないようにしないといけませんね。

2007年11月29日 (木曜日)

技能五輪で考える

Micro_2 先日まで、静岡で技能五輪が開催されていて、日本選手が16種で金メダルを獲得したようです。

参加されて頑張った選手にエールを送りたいと思います。

1980年代までは日本は多くのメダルを獲っていましたが、一時期は韓国や豪州等にお株を奪われていた状況でした。

技能五輪はさまざまな職種における理論や技術でなくスキル(技能)を争うものですので、その職種の職工さんによる大会です。

日本は古くから、ひとつの技術を窮めて窮めていく技能を高める伝統が優れていました。

これを徒弟制度と呼ばれる下働きから始め、先輩・親方の技術を学ぶより盗んでいく方法で技量を高めていくといくものです。

伝統技能を呼ばれる、日本刀・陶器/磁器・漆器・木工・建築などなどが、この徒弟制度で引き継がれたものが基礎になって技術が高められてきました。

理論から現実の姿にする技術を支えているのは、実はこれら職工さんの技量によるものだったのです。

この徒弟制度的なものが非効率的で現代風でないという理由で廃れてくると同時に日本の技能五輪での成績は振るわなくなってきました。

しかしながら、最近は技能が優れてなければ高い技術は成り立たないことが見直されてきて、多くの企業が技能五輪の選手育成に力を入れはじめました。

どんなに高価な機械を使ってもそれを使いこなせる職工さんの技能レベルが高くないと、世界に誇れる品質を提供できないからです。

しかしながら、技能五輪に出場する選手は23歳未満なので、昔的な徒弟制度のやり方ではとても間に合いません。

私のいた会社では、2年おきの大会の期日から逆算して一日でも育成期間が長く取れるように、早生まれの新人社員が五輪候補として選ばれ、その中から技量のあるものを選手として育てていました。

その新人がベテランの職工さんによってそれはそれは厳しく育成されます。

もちろん基礎からしっかりと仕込まれるのですが、一般の社員のようには時間をかけず次から次へと新しい技を身につけていかなければなりません。

そして、数ある予選を勝ち上がらなければならないので、本番で緊張しないように精神も鍛え上げなければならないのです。

座禅や冬の寒い日に滝を浴びたり精神修行にも時間をかけていました。

そうやって育った五輪の育成を経験された職工さんは、仕事の正確さや速さやムラのないことはもちろんですが、人間的にもしっかりした方が多いのものでした。

ある意味「この作業は何故やらなければいけないのか?」と考えたりする時間は与えず、ともかく叩き込むのですが、それを経てきた結果はしっかりとした考えのできる高い人格の人間が生まれてくるという一般的な教育の考え方と矛盾するようなことが起きているのです。

敢えて考えさせないことが深く考えることができるようになるという事実をもっと認めて、教育の体系も作るべきだと技能五輪のことを思いだして考えてしまいました。

2007年11月19日 (月曜日)

あと少し!

Secondrelay 「野口みずき」さん強かったですね。

北京オリンピックに期待したくなります。

敵は汚染された大気だけかもしれません。

いよいよ寒くなり長距離レースの時季になってきました。

あと40数日後、ここで襷リレーが行われます。

画像で見ても結構な上り坂であることが分かると思います。

選手にとっては、権太坂を登り下り、バイパスに入りまた登り下り、矢沢から第2中継所目掛けて最後の登りに入ります。

この第2区間では多くの悲劇が起こりました。

前半順調に走っていた選手が、パイパスに入って突如として脚が鈍ることがしばしば起きます。

そうなると中継所までは地獄の道のりと化します。

走っている姿は全く意識朦朧状態で、まるで走ることが条件反射付けられたパブロフの犬のようになっています。

しかしその姿を見て私居酒屋コーチも感動してしまいます。

襷を次に渡すという使命感に執着心を燃やす姿に美しさを感じさせるからです。

自分の限界に挑みながらも、自分の身体・行為は自分のためではないという無私の行為が美しいのです。

ラグビーでよく使う”One for all,All for one”そのものです。

1月2日の箱根駅伝が楽しみになってきました。

2007年11月18日 (日曜日)

こんな時季にも

Asagao こんな時季に咲く朝顔もあるんですね。

朝顔といえば、夏休みの宿題の定番ですからすっかり夏のものだと思っていました。

浜では春先から咲いているのもありますし、夏休みのために育てた朝顔も秋まで咲いていましたから、この時季にあってもおかしくはないでしょうけど。

でも菊といっしょに咲いているのもさほど変でもありませんね。

柔らかめの菊の花の色をややキツイ配色の朝顔が引き立ててくれて健気な奴です。

これからしばらく野や外の花は少なくなる頃。

咲いている花を愛でながらいきたいものです。

2007年11月 9日 (金曜日)

西から見るとよく分かる

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主に平安時代から鎌倉時代にかけての権力を持った(持ちつつある)者が、自分の力を効果的に発揮するために、「地理的要件」をどのように活かしたかを考察したものです。

権力に寄り添う輩(良きにつけ悪しきにつけ)はどの時代にもいるものですから、当然時代の権力を持った人物が拠点をおいた地域周辺にも、多くの人が集まり都市が形成されていくわけです。


私居酒屋コーチのように京都から遠い人間には、京都は一様に見えるのですが、実際は多くの王権によって様々な地域に拠点が築かれ、拠点ごとに発展していき統合され現在の姿があるようです。

祇園辺りが実は平安京(都)の外であったからこそ今の姿があるというのは、居酒屋コーチのような先斗町に憧れる下世話な人間には想像の外でした。

鎌倉が発展したのもさもありなんです。

湘南電車に乗られる方はお分かりと思いますが、横浜駅を過ぎ保土ヶ谷に近づく辺りから山(丘)が見え始め、東戸塚の手前で小田原までで唯一のトンネル(清水谷戸トンネル)を抜け、戸塚・大船・藤沢と進みます。

そして、藤沢を過ぎると一転して景色が開け、平塚を過ぎるまで山は見えてきません。

これを逆に西から進んでくると、藤沢つまり鎌倉の丘陵の端まで平坦であったものが、ここに来て急に険しくなるのです。

その丘陵を海沿いに少し越えると「滑川」の扇状地である鎌倉に行き着くのです。

つまり、鎌倉は西からの兵を防ぐに適した要害であり、源氏が拠点を作るのに適当であったのです。

ただ、当時鎌倉は古東海道(鎌倉を抜け、三浦半島を越え東京湾を渡り上総に抜ける)ルートに位置していたので、街道から外れた山の方に拠点を築いたようです。

そして海寄り(つまり東海道沿い)にあった「八幡宮」を現在の位置に移し(元は材木座の「元八幡」)、そこを中心に発展していったわけです。

京・鎌倉以外にも多くの都市で、様々な権力によって、たくさんの町が一様でない発展の仕方を遂げ都市化していったのです。

残念ながら、その発展の残滓である古い字が区画整理等でなくなっていくのは寂しい限りです。

ところで、あと2ヵ月後にやってくる「初詣」ですが、頼朝が八幡宮に1月1日に願をかけに詣でたのが始まりとこの本にありました。

40年前くらいは、鶴が丘八幡宮が初詣の参拝者No1だったのは、とっても正しいことだったのですね。

2007年11月 7日 (水曜日)

見捨てないで

Iino 日比谷「イイノホール」の緞帳です。

名前は聞いていましたが、入ったのは初めてでした。

実は建替えのため、先月で営業は終了しているのだそうですが、しがらみ?で幾つかの公演があるそうです。

その一つに行ったわけです。

客席数が700程度のこじんまりしたホールで、現在の大型化しつつある劇場としては小さい部類に入るでしょうか。

一番後ろでも良く見えて、私居酒屋コーチ的には居心地好く感じましたが(居酒屋のように)。

ただ、楽屋が狭く大道具の地上からのアクセスも良くなさそうで人海戦術に頼る施設になってしまったようです。

また、バリアフリー化が不十分でもあります。

ということは、色々と人件費が掛かる割りに実入りが少なく採算的に十分でないことも推測されます。

現在の日本では、コストが掛かることは全て悪と見られる風潮の闇が闊歩していますので、今のままでいるのは許されないのかもしれません(それより、日比谷に9F建てのビルが許されないのかもしれません)。

しかし、今の世の中は「発表」したい人がいっぱいいる時代で、中規模の劇場も要望もすくなくないと思うのですが、応援してくれる方は多くはないようです。

新しいビルにできる?ホールがどのようなモノになるかは知りませんが、大衆演劇や資金の少ない人達を応援するような施設であったら、世の中も捨てたもんでもないと思うのですが。

2007年11月 5日 (月曜日)

ソースカツ丼≒カツライス?

Katsuya 日比谷に用があったので、新橋で昼飯を食べることになりました。

日曜のお昼ですから、地元の店はやっていません。

久し振りに牛丼でも食べたいと思って、みそ汁付きの「松屋」に入ろうとチケット販売機を見たところ、「アメリカ・カナダ産牛肉使用」と書いてあります。

吉牛は米国産の牛肉以外では牛丼を作らないと長らくメニューから外していましたが、松屋まで米国産を使い始めたとは知りませんでした。

今の日本で表示を信じることは難しいですが、はっきり書いてあるのはやはり避けたいのです。

BSEの心配というより米国の態度が気に入らないので食べたくないのです。

とうことで、やはりチェーン店のとんかつ「かつや」に入りました。

この店の豚肉がどこ産か書いてはありませんでしたが、約束の時間もあって妥協しました。

カツ丼とソースカツ丼どちらを選ぼうかと迷いましたが、今年はソースカツ丼に縁があるのでソースカツ丼を選択しました。

構造は、地上から近い順に、丼→ご飯→キャベツ→カツ→ソースという階層です。

カツをソースにドブ漬けするタイプではなく、単なるカツライスでした。

価格はカツ丼もソースカツ丼も同じですから、卵の入った分普通のカツ丼の方が栄養面からも正解だったように思います。

2007年10月28日 (日曜日)

今日は痛くなかった

Giveblood 2007年7回目の献血に行ってきました。

今年は、3ヶ月に2回のサイクルで年8回献血することに決めました。

病気もすることなく何とか順調にいき、毎年している年末の献血に行って目標を達成できそうです。

ただ気になるのが、針を刺すときの痛みが以前よりも痛くなってきたことです。

今日は大したことがなかったのですが、前回は看護士さんに思わず「痛い!」と言ってしまいました。

人によっては、何度も同じところに針を刺すうちに、その辺りの静脈の壁が硬くなり痛くなる人がいるという話ですが、私のは見たところそんな感じではないとのことです。

もちろん針1本なので我慢できない痛みではないのですが、情けないのですが何となく気分が乗らないのが恥ずかしいですね。

報道によると献血する方の数が減っていて、日赤の事業として赤字だとのこと。

赤十字だから赤が良いというわけではないので、対策を求められるようです。

献血する側から考えると、今よりホスピタリティ(この言葉が適切かどうかわかりませんが)を低下させるのは避けて貰いたいと思います。

成分献血で1時間前後針を刺したままの時に、看護士さんが少ないのは不安です。

例えば、停電になった時に速やかに対応して貰えないと、献血している量は絶対的には大したことはないとはいえ、やはり怖いです。

最近、痛みが強いので何かあったら嫌だなと特に感じます。

私が献血をするようになったのは、20歳代の後半からだったと思います。

それまでは、その重要性について学校で理解してなかったように思いますし、余り清潔とはいえないようなバスでの献血には、重要性よりも嫌悪感の方が先にたってしまい参加できなかったのです。

それが払拭できたのは、就職して職場に人が大勢参加するのを見て大丈夫だろうという気持ちになったからでした。

別に強制でもないのですが、同僚が平気な顔をして参加するのを見て、やらなきゃ人間じゃない(ホントは男じゃない)と感じたのもあります。

学校時代にもこんな雰囲気があれば参加していたと思います。

これからの少子高齢化の進む時代では、学校教育の中で何かしら献血の意味とやり方(血液の採取の仕方も私は知らなかった)についてキチンと伝える場を設けることが必要だと思います。

献血に参加する方を増やすことは、日赤の事業採算を改善するだけでなく、優しい心の豊かな社会のためには大切なことですから。

2007年10月27日 (土曜日)

吹き矢になるかな?

Panpas 大きなススキだと思っていたら、「パンパスグラス」という外来種だそうです。

穂もでかい分、背も高く私居酒屋コーチでも届かないくらいです。

落下傘状の種が飛んで裸になった箒も大きいでしょうね。

子供の頃、11月くらい(今は12月以降)になりススキの穂が枯れて箒状になると、ハサミで形を整えて先端に縫い針を付けて吹き矢の矢にしたものです。

竹筒にセットしてふっと吹くと本当に良く飛びました。

形をハサミで調整しながら真っ直ぐ飛ぶようにします。

もしパンパスグラスで吹き矢を作ったらどうなるのでしょうか?

まず太目の長い吹き矢本体を用意する必要がありそうです。

節を抜いて作る必要があるので、道具を持っていない子供には難しそうでしょう。

それと、太い管を吹き抜く強い肺活量が要りますね。

こう考えるとどうも余り飛ばないような気がしてきました。

吹き矢はススキ程度がやっぱり良さそうです。

2007年10月24日 (水曜日)

目のクマがなくなった

Gtr 「NISSAN GTR」が発表されました。

前回05年のモーターショーに展示されたモックアップと比べると、リアは殆ど変わらずでしたが、フロント部はヘッドランプ(本田はヘッドライトと呼びます)下部にあった「目のクマ」がなくなりました。

ホイールのデザインも殆ど変わっていません。

てなわけで、凄い情報の秘匿の割には驚きが少ない発表でした。

値段も、R34-Vspecに約170万円高の740万円で、専用ボディー・シャシーを考えると割安感があります。

全体のデザインモチーフはスカイラインクーペを彷彿させるので、野武士的な無骨さは残していて、「羊の皮を被った狼」的と言って良いと思います。

私居酒屋コーチ的には、もっとごつい方が好みですが、トレンドから言ったら仕方ないでしょうね。

ボディにカーボンを多用しなかったのは正解と思います(R34で採用済みで、然程強度のいらないボンネットフードくらいはカーボンでも良かったと思いますが)。

コレクターズアイテムになった場合、長く持たない(短寿命)のカーボンは好ましいとは思えませんので。

さて、GT-Rというとレースですが、スーパーGT(JGTC)は4WDの出る幕はないでしょうがどうするのでしょう(RWD化する?)。

ちなみに、3.8Lツインターボですから、ターボ係数(1.7?それとも1.4?)を掛けると5.4L以上となりますが、レース出場の場合は有利になるのでしょうか?

トランスアクスル(プロペラシャフトは2本?)にしたのは面白いと思いますが、ボルグワーナー製というのは気に入りません。

内製にしろとは今更言いませんが、せめてJATCOに作らせるべきではなかったでしょうか。

7速シーケンシャルセミオートマでも良かったと思うのですが…。

ここが今の日産の弱点でもあります。

開発能力が足りないのです。

恐らくJATCOも開発力が足りないのでしょう。

所謂、「ゴーン改革」の負の部分です。

社内でのトランスミッションの開発力が殆どないので、専門メーカーと膝詰めでレベルの高い商品開発ができなくなっているのです。

数年前に、ゴーンが「これは(ルノーにも)いただく」と褒めちぎっていた、「トロイダルCVT」の採用車もなくなったのも、そのせいだと思われます。

車種との相性を合わせ細かい設変することができないのだと思います。

まぁ、そんなことは置いといて、このGTRは一体誰が買うのでしょう。

恐らく、初期受注では50歳台以上の方が半数以上を占めると思います。

理由は、他のスーパーカーに比べ廉価であることが一つ(でも若者は買えない)。

そして、C10・C110、所謂「愛のスカイライン」「ケンとメリーのスカイライン」世代が定年を迎えていることです。

当時のGT-Rは手が出なかった高値の華でしたが、今は豊富な退職金と年金と余りある体力を持ち合わせているからです。

そうは言っても、重い操作感や面倒なことは嫌がりますから(切れる老人の域にも入っているので)、安楽な今度のGT-Rはもってこいなわけです。

そう考えると、手を加える余地が少ないこのクルマより、いろんなパーツの揃っているR34或いはR32・R33の方が若者にとっては魅力を感じさせるのではないでしょうか。

さて、今、R34に乗っている方は大事に乗ってください。

お金に余裕ができたらR34を手に入れたいと思うようになってきたので。

2007年10月10日 (水曜日)

ネーミングライツ

Ystadium 日産スタジアムです。

2005年からネーミングライツ(命名権)を得てこう呼ばれるようになりました。

建てるに金を掛けすぎたか財政難で困っている公共施設のネーミングライツを民間企業に売り渡し幾らかでも赤字を減らす窮余の一策です。

この日産スタジアムも、2002年のワールドカップに合わせスーパーサウルスのような巨大な競技場を作ったのですが、観客を一杯にするイベントが少なく困っていました。

そこで、横浜市が日産本社を横浜MM地区に誘致する際に使った優遇税制の引き換えに、日産がネーミングライツを引き受けたわけです。

ところで先日、仙台のフルキャストスタジアムのネーミングライツが返上されました。

不正をしたフルキャストがネーミングライツで自社の宣伝をし続けるわけにもいかないからです。

次にどこの企業がネーミングライツを獲得するのでしょうか。

それより宮城県か仙台市はスポンサーを探すのが大変と思われます。

不正と言えば、グッドウィルドームも西武球場に戻るでしょう。

スカイマークも昨今の原油代沸騰で厳しいと思われます。

全国に幾つネーミングライツの公共施設があるか私居酒屋コーチは知りませんが、NHKでも報道するので新興の企業がブランド力・知名度を挙げるために投資している例が少なくないと思います(老舗の日産の例は珍しいでしょう。ゴーンさんがサッカー好きなので、ディズニーのスプラッシュマウンテンと刺し違いで横浜国際競技場を選びました)。

テレビや新聞広告に比べアピール度が十分とは言えないので、会社業績が良いうちは投資するでしょうが、業績が悪くなると削減される費用です(交際費とともに)。

景気後退感が叫ばれている中、ネーミングライツが返上され困る公共施設が増えそうです(問題の根っこは全く違うところにあると思いますが)。

2007年10月 6日 (土曜日)

何でだろう♪何でだろう?

Thaihouse_2 (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

スコータイ遺跡から更に北に向かい、タイ第2の都市「チェンマイ」に向かいます。

スコータイの遺跡群は本当に立派で見るべきものも多いのですが、昨日も書いたように、ここで触れるには私居酒屋コーチが殆ど分かっておらず記事にするのが難しいのです。

で、先に進めます。

移動はバスで行うので、車中からはタイの人たちの生活ぶりを見ることができます。

とは言っても、大体ジャングルなので遠くは見えず道路際しか分からないのですが。

そんな中でもよく見かけたのが、このような高床式の建物です。

この画像では、居住用の建物が2棟並行に立っていて、もう1棟納屋か住居みたいなものが立っています。

見たところ、電気が来ていないようにも見えますが果たしてどうなのでしょう?

道路脇には電柱が立っています。

こう言った高床構造にしているのは、大雨が降ると水位が上がるからでしょうか?

あるいは、暑さを凌ぐには床が高い方が快適なのかもしれません?(疑問符だらけですね)

結局、昨日の記事同様、再び真偽のほどは分からずの内容になってしまいました。

ごめんなさい、いい加減で。

2007年10月 5日 (金曜日)

あれ、反対向き!?

Budda (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

よく見ないと分かり難いのですが、仏様のお顔が2つ写っています。

右手の仏様は左手を、左下のものは右手を向いています。

つまり、両者はまったく180度違った方向を向いているのです。

仮に右側の仏様が南を向いていれば、左手は北を向いていることになります。

日本で一般的(言い過ぎかもしれません)には、仏様は南を向いていることが多いと思われます。

奈良の大仏も鎌倉の大仏もそうです。

大体、お寺の伽藍の配置は南にある山門(東大寺などは南大門と言ってます)があり、そこから北に向かい参道があり、本堂や金堂があり仏様が安置されているパターンが多く、その境内の中の仏様は、南を向いていると思います(違ってたらごめんなさい)。

京都の三十三間堂などは千躰は全て同じ東を向いています。

もちろん、お寺自体が東や北、あるいは西を向いていることもありますが。

ここスコータイの時代では、現在と思想が変化しているでしょうし、日本とも考え方(宗派というより、かつて大乗/小乗といわれるレベル)が異なるでしょうから、このような仏様の配置も決して不思議ではなかったのでしょう。

こんなことを考える、もっと勉強をしてから観光をすれば、より興味深い旅ができそうに思います。

でも、私居酒屋コーチはそういう事前準備を十分にした旅行をしたことは全然ありません。

実際に現地にいくと考えていた通りの行動をすることができない性質なのです。

ですから、あまり十分な準備をしないのです。

その代わり、帰ってきて行かなかったことやよく見てこなかったことを後悔しながらも、また行ってみたくなる気持ちが沸々と湧き上がるのを楽しんでいます。

2007年9月27日 (木曜日)

匂いの攻撃

Kampanput(この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

アユタヤから、スコータイ王朝の遺跡に向かいます。

少し遠いので途中、「カムペーンペット」の街に1泊します。

この画像は、翌朝ホテルそばの朝市の様子です。

湿度がとても高くカメラのレンズが曇っています(ホテル等室内は冷房がキンキンに聞いているので結露しやすのです)。

朝早くてもこれだけの人出です。

一日分の食材を買い集めにやってきているのでしょうか?

もう気づかれた方は嗅覚で旅や食事の記憶をするのが得意な方かもしれません。

そうです、日本でもそうですが、ご察しの通り様々な匂いがします。

それもとっても強烈です!

日本では大体魚介類の干物のようなものが匂いますが、ここでは香辛料の匂いが矢のように鼻腔を突きます。

全てが香辛料ではないのでしょうが、私たち日本人にはそう思えます。

まとわりつくような湿気と匂いでクラクラするような感覚に襲われました。

匂いというのは案外すぐに順応するものですが、ここでは次から次へとやってくる新たな匂いで全く鼻が休まる暇がありません。

それでも、こんな匂いのカオスは滅多にお目に(お鼻に)かかれるものではありませんので、何とか頑張って見物をした次第です。

2007年9月25日 (火曜日)

中秋の名月

Moon 「中秋の名月」を撮りましたが、余りに明るいので色が飛んじゃってます。

満月の明るさは「マイナス13等級」程度ですから、マニュアル操作でかなり速いシャッターを切らないとウサギさんは写りません。

あるいは、「月餅(げっぺい)」のように写るはずです(中国では月餅を食べます)。

星などの明るさを示す何等級は、マイナスになる方が明るくなります。

ちなみに、太陽はマイナス26.7等級です。

メジャーな星座の主星(α星)は、大体プラス1からマイナス1.5等級(一番明るいのはシリウス)です。

俗に一等星と言います(一等星は、元々一等級の恒星のこと)。

惑星は、木星がマイナス3弱、金星がマイナス4以上になります。

金星のレベルになると、真っ暗な場所だと影ができると言います。

月に話題を戻しますと、先日TNSC(種子島宇宙センター)から打ち上がった「かぐや」が、月までの軌道の一歩手前にいます。

現在、地球を10日程度で回るとっても長い糸瓜のような楕円軌道にいます。

次回地球に接近した後、いよいよ月に向かう軌道に乗るようです。

20世紀のアポロ計画等で、月にウサギさんがいないのは確かめられたようですが、「かぐや姫」の末裔がいないことや「モノリス」がないとは確認されていないようです。

今回のかぐやは月の裏までしっかり調べてしまうので、いよいよ今までの夢は失われてしまうかもしれません。

その代わりに新たな夢の発見をして貰いたいものですね。

2007年9月21日 (金曜日)

六地蔵(その30)

Gumyoji 坂東三十三霊場・第14札所「弘明寺」の六地蔵さんです。

本尊は「行基仏・十一面観音菩薩」です。

鎌倉時代は、頼朝が鎌倉幕府から弘明寺まで参拝に来るくらい、昔から有名?だったそうです(その道を鎌倉街道と言ったそうです。以降は北に伸びたようです)。

こちらの六地蔵さんは、現在は山門を入って右手すぐのところにいらっしゃいますが、以前は本道へ続く参道の階段途中左にあったそうです。

境内裏を通る京浜急行が100周年時に、「身代わり地蔵」を奉納した際に、今の場所に移されたそうです。

このブログでも書きましたが、六地蔵さんのような元々路傍で庶民に愛され守られていた石仏は、明治の廃仏毀釈や道路の拡張などで常にお住まいを移されているようです。

この六地蔵さんは元々どちらにいたか分かりませんが、境内の中でも何らかの力関係で居場所を移されるという憂き目?に遇わされているようです。

どうも六地蔵さんはそんな運命であるかのようです。

それでも、お地蔵さんはいつも子供や私たちを優しいお顔で見守ってくれます。

その優しさが、現代でも誰からも愛され続けるのですね。

2007年9月19日 (水曜日)

遺跡を守る

Head_4   (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

アユタヤ王朝の廃墟にある仏像の頭部です(興福寺にある山田寺の仏頭や臼杵の大仏を思い起こさせます)。

アユタヤ王朝がビルマによって滅ぼされた際に、仏像の頭部が落とされたものが、「榕樹(がじゅまる)」の樹によって取り囲まれたようです。

ビルマも敬虔な仏教国ではありますが、戦争の際には仏像(神)を敬う心も失ってしまうのですね(戦争の恐ろしさは人の心を蝕んでしまうことです)。

それにしても(沖縄にもある)榕樹の生命力は凄いものですね。

建物でも何でもその根っこで覆うってしまい、破壊していきます。

アユタヤの遺跡もそうですが、カンボジアのアンコールワットなども、その被害を受けているようです。

見た目には長い歴史を押し固めていくかのように見えますが、実際はそうではないのです。

遺跡を破壊するのは、榕樹だけではありません。

それを遺していくのは、多大な資金と技術が必要です。

日本はそのための資産を持っています。

是非、世界の平和を推進するためにその資産を積極的に外交に使って貰いたいものです。

2007年9月13日 (木曜日)

川の上は快適!?

Chaophraya (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

タイ、アユタヤ近くのチャウプラヤ川です。

恐らく木造と思われる艀(はしけ)が係留されています。

しっかりと舫いロープで固定されていますので、船上生活者が暮らしていると思われます。

バンコク市内の同川には、現在でももっと多くの船上生活者がいると思います。

水上マーケットというのがあるのですから。

最近の日本では、全く見られなくなりましたが、昭和50年代頃までには、この画像のように艀を川に係留して生活している方がいました。

横浜の元町脇の大岡川(以前、タマちゃんも訪れました)にも、艀が係留されていました。

話によると電気も水道も完備?され、中も広く結構快適だったと聞いています。

その辺はタイとは違う?ようです。

流石に下水は用意できないでしょうから、バキュームカーがやって来て汲み取ったのか、そのまま川へということだったのでしょう。

日本では、防災や衛生面から行政が強制的に船上生活者を排除したので、殆ど見られなくなりました。

しかしながら、相変わらず河川の不法係留はなくならず、ちょっとした町の海のそばの川にはボートやヨットがいっぱいあります。

災害時に水の流れを妨げたりして、災害を大きくしてしまう可能性があるから危険ですから、手を打って貰いたいものです。

2007年9月12日 (水曜日)

もう秋?

Fall 今日は本当にびっくりしました!

まさかこんなに早く辞任表明をするとは!

参院選後の野党との戦いをせずに敵前逃亡とは。

政治のせいかどうかわかりませんが、街はすっかり秋模様です!?

ということではなく、お店の装飾のための商品が並べられています。

ここは、浅草橋です。

この辺りは、商店向けの商品を扱う店が一杯あります。

時間があったら、眺めていくのは楽しそうです。

画像の店は、造りものの葉っぱ等を扱っているので、これから本格的に深まる秋の装飾を先取りして飾って、秋模様の店飾を促しています。

先日の台風9号(フィートウ)の強風で葉っぱが随分擦られて傷ついたようなので、これ程山のモミジはきれいにならないかもしれません。

夜の冷え込みがしっかりあり、寒暖の差が大きければ色づきは良くなると言いますので、せめて秋らしく夜は涼しくしくなってなって貰いたいものです。

今年は紅葉を見に行きたいなぁ。

2007年9月 6日 (木曜日)

安全運転しましょうね

パーソナルコーチ (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

何処(バンコク市内の何処か)の交差点か判りませんが、なかなか凄い様相です。

正面のバスも然ることながら、後方(右手)の車両が素晴らしいロール(傾き)角度を示しています。

日本のバスは左側には、巻き込み防止のパイプが装着されているので、この角度では「ガガガッ」とモノ凄い音を出しているでしょう。

前のバス同様に、ドアからはみ出すほど乗客が乗っていると思われますので、重心が高くなってグラッと傾いているのです。

しかし、こんなに乗客が乗っているのに結構なスピードで走っているのですから、大らかな風土としか言いようがありません。

事故も多かったでしょうね。

ところで、クルマは重心を中心にして傾くのではなく、ロールセンターという支点を軸にして回転します。

ロールセンターを高く設定するとロールし難いクルマになります。

ロールし難くなると、ドライバーは旋回速度の限界を感じとり難くなり危険になります。

クルマは重心点が外側の車輪より外にかかると横転しますので、傾かずにいることはその越える限界をいきなり体感することになるので、感じた時にはリカバリする猶予がなくなり危険なのです。

傾きが大きくなっていくことを体感していれば、速度を落とすようにして横転を防ぐ手段を打てますから。

05年4月のJR福知山線の脱線事故は、殆どロールしない電車の車両が線路のカント角(外側のレールを元々高くして、予めマイナスのロール角をつけておく)を相殺して重心が外側の線路を越え、一輪走行になり脱線転覆横転しました。

クルマの場合はスピンモードなどの横滑りして横転しない状況もあるのに対し、列車は指定された速度を守らないと、レールでしっかり抑えられて横滑りがしないので元々横転につながり易い構造なのです。

さて、現在のバンコクにはBTSと呼ばれる高架の新交通システムや地下鉄ができました。

ですから、バスの混雑も緩和されたでしょうから、少なくともバスでの事故は減ったと思われます。

安全は、大らかだから仕方ないなんて言ってたら、手に入れられないのです。

2007年9月 4日 (火曜日)

咲き始めました

パーソナルコーチ 葛の花が咲き始めました。

豆も生っていますが、食べられないんでしょうね。

葛餅は葛の樹の根からでん粉を採って作るようです。

が、私居酒屋コーチは根っこもでん粉も見たことはありません。

子供にとって、葛は基本的に遊ぶ道具ではありませんでした。

山を切り崩した斜面に生えている場合なぞは、斜面を登る手がかりとしては利用したかもしれませんが、余り頼りになった覚えはありません。

逆に、折角の遊び場所に葛が蔓延ってしまうと遊び難くなるので邪魔でしかありません。

ですから、引っこ抜いたこともないので根っこがどんな風になっているかも知らないのです。

そういえば、今年はまだ葛餅を食べていないように思います。

冷やした固めの葛餅に黄粉とみつをたっぷり掛けて食べたいですね。

みつといえば、餡みつも食べたくなりました。

「榮太楼」の餡みつが食べたいなぁ。

2007年8月31日 (金曜日)

4時間13分!ふぅ~

パーソナルコーチ 10年振りくらいにプロ野球のナイトゲームを見に行きました。

ベイ対ドラゴンズの頂上決戦です!

と言いたいところですが、ベイの連敗脱出をかけたゲームです。

雨上がりの曇りということもあって、三塁側(一塁側は満杯で入れず)は海風が当たって寒いくらいです。

6時のキックオフじゃなかったプレイボールから、三浦大輔はパッとせずランナーがよく出ます。

対する川上も悪くはないのですが、ピリッとしていません。

そんなテンポで、3回が終わったところで8時になりました。

点が入りだすと、3時間は越えそうな厭な雰囲気でした。

案の上、点が入りだすと、どんどんテンポが悪くなります。

8回裏に我がベイスターズが4点を取って6対3。

これで、クルーンが3者をちょっちょと抑えて終わると思ったところ、クルーンが絶不調!

一人相撲で満塁にして2点取られ、もうクルーンと心中を覚悟したところ、Mの止めたバットに球が当たりゲームセット。

終わったのが、10時13分。

疲れました…。

一つだけよかったのは、10時を過ぎるとラッパや太鼓を使った応援がなくなったことです。

あれがなくなると緊迫度が上がってきて、MLBを見ているような雰囲気になってきます(7回以降は禁止にして欲しいですね)。

さて、10時を回ると流石に呑み屋も閉店の準備を始めています。

それでも、何とか一杯呑めましたが、ホント日本のプロ野球の試合時間は長すぎますね。

試合の短縮化についてもう何十年も言われていますが(最近は下火?)、2時間半をターゲットに時間を短縮しないと、結局はお客が離れていくように思います。

遠方から来ている方は、試合途中で止む無く帰らなければならないことになります。

また、一杯やりながら勝利の余韻(敗北の憂さ晴らし)を楽しむこともできないのですから。

世界のスポーツが中継時間に絡んで、短縮化・定時間内決着化の方向に進んでいます。

これを良しとは思いませんが、この流れに逆らうことは難しいと思います。

本当に真剣に3時間以内にゲームが収まるように取り組まないと、野球離れは進むと思います。

昨今、プロ野球のTV中継がされないのも、この流れの一環なのですから。

TVを見ていないと、選手の情報量は全く少なくなりますので、どうしても興味は落ちていくに決まっていますので。

2007年8月29日 (水曜日)

新聞販売所って

パーソナルコーチ 夏から秋にかけてはお祭りに代表される日本の伝統が花盛りです。

しかしながら、衣料や建物などでは、日本伝統のものは生き残れなくなってきました。

コストや利便性を考えると日本古来のものは、洋物に対抗できないのです。

お祭りのようなものは、コストや利便性とは縁遠いものですから、時代に合わせて変化はしても代々存続されています。

画像のような明治・大正期風の日本式建物はすっかり少なくなりました。

鎌倉由比ガ浜通りにあるこの建物は、新聞販売所として使われています。

まるで、城郭や寺院の望楼のような造りです。

鎌倉は関東大震災でかなり揺れていますので、それ以降に建築の可能性もありますが、入母屋風の立派な造形です。

どういった経緯で、こんな立派な建物が新聞販売所になったか不思議です。

新聞は文化的ハイカラな物品なので、進取の精神を持った地域の名士が販売していたと考えると、それに見合った建物を店舗としていてもおかしくないかもしれません。

他の地域の新聞販売所を注意してみたことがありませんので何ともいえませんが、もし上記のような風土があったとしたら面白いですね。

そういえば、西荻女子大通りにもやはり日本的建物の新聞販売所があったことを思い出しました(こちらはお金がなくて立て替えられない雰囲気もありますが…)。

果たして、この仮説は正しいのでしょうか?

確認するには、もう手遅れのような気もしますが。

2007年8月27日 (月曜日)

赤・赤・赤…

パーソナルコーチ 白っぽい夏がようやく終わろうとしています。

今年は昨年に比べ風が強い日が多かったような気がしますが、街を歩くと全てが乾き切った様相は例年以上だったようです。

ただでさえ色の薄い街が更に白っぽく感じます。

最近のクルマの色の売れ筋は、シルバー系が増えているようです。

シルバーは汚れが目立たず、手入れが余り要らないという利点があります。

洗車したりWAXを掛けたりなどという手間を、クルマに掛ける気持ちが徐々に薄れているのかもしれません。

今やクルマは嗜好品ではなく、日常の道具ですから。

また、日々が忙しくて洗車等に時間を使う余裕さえもなくなっているのでしょう。

そういえば、80年代後半~バブルまで、白・白・白の時代でしたね。

案外、白って汚れが目立ちにくいんですよね。

直視すると眩しいので良く見ようとしませんし。

そんな中で、赤色は相変わらず少数派です。

それでも首都圏は外国車の比率が高いので、赤のクルマを見る頻度は高くなります。

外国車のラインナップには、まず間違いなくソリッド(パールでない)の赤がありますから。

ただ、他の色に比べ赤は退色が激しいことは頭に入れておくべきです。

全く洗車やWAX掛けをしないと白く焼けてしまいます。

SPF50以上の日焼け止めを塗りたいものです。

それは冗談として、赤色は塗料の原価も高く、塗装の手間も掛かります(少なくとも、修理では)。

ひょっとすると、原価を抑えたいメーカーは赤色(特にソリッド)は売りたくないのかしれません。

2007年8月22日 (水曜日)

石炭は下仁田…

Tomioka_2 「旧官営富岡製糸工場(現片倉工業)」の見学をしました。

世界遺産暫定リスト候補になり、見学者が急増のようです。

この日も16時の最終組に50人くらいいました。

建物としても、明治5年1872年から130年以上地震国日本でよく耐えてきたものです。

フランス人の技術指導により建てられました。

が、作ったのは江戸時代の大工さんです。

レンガで建てろと命じられましたが、そんなもので建てたことはないので、太い木で骨格を作り、レンガを漆喰で固めた壁面を作ったそうです。

そのお陰で現在まで現存していると説明でした。

確かに、太い柱や梁が入った如何にも頑丈そうです。

製糸場を紹介する記事によく登場する建物(画像も)は、繭を保管しておく倉庫で東西二棟あり、敷地の中で一番の面積を占めます。

当時は年に蚕の繭は1回しかできませんので、機械で大量に糸を生産するために、倉庫に多量の在庫(さなぎを殺した繭)を持っていなければならなかったからです(現代では、繭は年に4回?できるそうです)。

保存した繭から自動繰糸機で絹糸を生産するのが、ここ「富岡製糸場」なのです。

幕末から絹は大切な輸出商品として位置づけられていましたが、手で糸を紡ぎ生産量を増やすと品質にバラツキがでて高価格で売れないという恨みがありました。

そこで、明治政府は富国強兵の資金を作るため、高品質の絹糸を大量に生産することを決定したわけです。

そこで、模範工場として官営工場を設立しました。

技術を高め、熟練工を育てるためです。

立地条件として、原材料(繭や石炭)や水などに恵まれたここ富岡が選ばれたそうです。

石炭はこんにゃくや長ネギで有名な下仁田から、水は工場の脇を流れる鏑川から入手しました。

上州は元々繭の生産も多かったと思われます。

繭は現在どのくらい作られているのか分かりませんが、富岡周辺の路傍には今でもいっぱい桑の木が生えています。

現在では、蚕に食べさせていないので伸び放題で大木になっていますけど。

普段着るには高価過ぎ、実用的でない絹ですが、日本のそれは高品質といわれるので復権を望みたいものです。

現代の日本は自然環境もかなり改善され、それを維持する技術も確立してきました。

きちんと意思をもってすれば、決して明治時代の環境に負けないと思います(石炭の煤煙なぞないのですから)。

ですから、今よりもう少し機械化を進めコスト面を品質に加え、アジア・南米に負けない商品を提供するべきです。

農業製品もそうですが、工業生産的な視点を加えて世界に負けないような農水産商品を提供することは、国家の発言権を高め、外交・防衛面でも効果的だと思います。

2007年8月21日 (火曜日)

かつては下を、今は上を走る

パーソナルコーチ 昨日も書きましたが、寄居駅は鉄道3社が乗り入れるターミナル駅です。

池袋から東武東上線が、八王子から八高線が、熊谷方面から秩父鉄道が集まってきます。

東上線はここが始・終点です。

すべて単線ですが、八高線のみが電化されていません。

寄居駅は橋上共同駅舎で、改札は1箇所で便利です。

南側から、東武・秩父・JRの順でホームが並んでいます。

JR八高線(高崎方面行き)は南から、秩父鉄道の下をくぐって一番北のホームに入ります。

私居酒屋コーチは、祖母の実家が秩父にあるので、まだ西武・秩父線が開通するまでは秩父鉄道に何回か乗りました。

画像の立体交叉で秩父鉄道の下を、八高線の蒸気機関車が通っていくのを見た覚えがあります。

八高といえば渋谷の「ハチ公」しか思い浮かばない子供にとって、蒸気機関車が走る八高線は驚異的な鉄道に思えました。

現在の八高線は、ディーゼルのレールバスが走る路線になり蒸気機関車は走らないようです(八王子~高麗川は電化)。

代わりに、秩父鉄道に蒸気機関車(C58)が季節列車として走っているようです。

時代というには必ずしも進歩の方向だけに動くわけではないものなのですね。

2007年8月 7日 (火曜日)

共存共栄の道を

パーソナルコーチ 昨日、「原爆の日」の実感は広島市郊外では感じられないと書きました。

少なくとも西区草津辺りでは、「8時15分」を示すサインすらありませんでした(1995~99年までは)。

長崎県江迎鹿町では、11時02分にサイレンが鳴っていました。

小さなことですが意識付けていくには、この手の小さなことが必要と思います。

ただし、堅苦しくならないようにすることが必要です。

最近改められたと聞きましたが、桜の花見の宴を「平和公園」ではできませんでした。

眠っている被爆者を冒涜するからというような理由だそうです。

原爆(戦争)で犠牲になった方が、花見ができる平和を享受することに不満をいうはずはないと思うのですが…。

また、平和公園に行った方は感じられたと思いますが、市民が憩う雰囲気に欠けるということです(平和大通りも同様)。

アイスクリームを食べたり、シートを敷いてランチを食べようという感じではないのです(禁止しているわけではないようですが…)。

子孫が幸せにしている姿を喜ばない犠牲者もいないはずです。

どうして、こう堅苦しくなるのでしょうか。

先日、安倍首相が被爆者7団体に対し国に対応を見直すと報道されていましたが、少なくとも広島には7つの被爆者による団体があるようです。

いろいろな経緯があるのでしょうが、7つの団体同士の仲は上手くいっていないように聞いています。

考え方・信条等異なるので団体が複数あることは仕方はないようにも思いますが、団体同士で争うようなことは絶対に避けるべきだと思います。

戦争や紛争の原因に思想・信条(信仰)を異にすることは、中東やアフリカ・東欧などの例を見れば明らかなことです。

そして、お互いが優位に立とうとして、様々な軍備や兵器を保有しようとするわけです。

核もそのひとつです。

思想・信条が異なる同士でも、共存共栄できるということを努力すべきです。

共存共栄できていない被爆団体の行動や発言から、被爆者でない方との壁が生まれるのだと思います。

何かをしようとすると、「被爆者を無視するのか!」「死んだ被爆者を冒涜するのか!」といって、規制や反対をするような態度をとり過ぎるのです。

どんなに写真や遺品あるいは話を聞いても実際に体験していない人たちは、原爆の恐ろしさ・悲惨さを100%理解はできません。

でも、できるだけ理解をしたいと思っています。

ところが、その体験を語る人たちが何かにつけ争おうとしている。

本来、争いを避けるべきであると伝えるべき人たちが争いをする。

この矛盾は、次世代を担う子供たちには厭が上にも伝わっていきます。

ですから、被爆者との壁がなくならず、ギクシャクし堅苦しいことがなくならないのだと思います。

国や行政の不備について糾す戦いは当然やるべきだとは思いますが、その分世代や国を超えた共存共栄の手立てを率先して示すべきだと思います。

広島や長崎の方だけが、何故やらなければならないのかというかもしれませんが、両都市の方こそそれができる権利と能力を持っていると思うからです。

広島・長崎といえば、世界の誰しもが理解できるのですから。

世界を平和に近づけていける能力を、もっともっと効果的に行使して貰いたいと思います。

2007年8月 5日 (日曜日)

とっても快適!

Shokibarai 森の宴会です。

午前中は竹を切り出しご馳走を盛る皿を作ります。

いよいよ木陰で暑気払いです。

台風一過の余波で南風が吹き抜け、ミズキの木陰のテーブルはとても涼しいオープンカフェ。

全く盛夏とは思えず、木陰や風の恵みの素晴らしさを身体で受け止めます。

「越の寒梅」や焼酎・ワインや餃子・ソーメン等の差し入れが盛り沢山。

葉っぱのお皿に載せて戴きましょう。

美味しい料理に素敵な自然環境、言い尽くせない贅沢です。

とても食べ切れそうにないなぁの予想通り、おなか一杯です。

余った食べ物は協力し合って「お持ち帰り」。

森のバランティアが食べ物を無駄にするわけにはいきませんから。

帰り道、たっぷり残る照り返しを歩きながら、木陰の与えてくれる素晴らしさに浸れる幸せに嬉しい私居酒屋コーチでした。

2007年8月 3日 (金曜日)

六地蔵(その29)

パーソナルコーチ 鎌倉・材木座「九品寺(くほんじ)」の六地蔵さまです。

大きな一つの岩に6体掘り込んであります。

隣りのあるのは不動明王のようですから、両方とも別の場所から移されたのではないかと思います。

鎌倉には亀が谷の切通しも一つの石に彫ったものがありますが、鎌倉郡周辺では6体式でない六地蔵さまは珍しいと思います。

材木座周辺は、温暖で海も近く豊かであったと思われますので、一体式はそれなりのいわれがあるのかもしれません。

私居酒屋コーチの六地蔵さま探訪も、推測だけでなくいわれや由来を調べていく段階に入ってきたようです。

それには、時間が足りないのが残念です…。

2007年8月 1日 (水曜日)

変えてみようよ

Shinriver  「細岡駅」で釧路行きの汽(気?)車を待ちます。

やってきたのは、展望車が連結されている「ノロッコ号」でした。

湿原の中で「丹頂」がいる辺りに来ると停止して、丹頂の案内アナウンスがあり、ノロノロ走るノロッコ号の本領?発揮です。

この日は、丹頂の幼鳥を見ることができました。

川の上では会うことができませんでしたが、漸く会えました。

釧路駅でカヤックとパドルとバッグを抱えて改札を出ようとすると、手荷物券はあるかと聞かれました。

どうやらフォールディング(組み立て式)カヤックが大き過ぎると言っているようです。

無人駅の細岡から乗って車掌から切符を買っているので、「無い!」というと渋々通してくれました。

さて、泊まるところを探さなければいけません。

電話ボックス(当時、ツーカーは北海道では使えませんでした)で、何件か電話して東急インに決めました。

ホテルにチェックインする前にカヤックを宅配便に預けます。

飛行機に持ち込めない訳ではないですが、持って歩くには重すぎます。

ちなみに来るときは、川湯温泉の民宿に宅配便で送っておきました。

宅配便を預けたのが「和商」市場のそばだったので、昼飯は和商の中で「いくら丼」か何かを食べました(余り覚えてません…)。

あとは、ホテルに入りシャワーを浴びて、有名なラーメン「銀水」に行き、呑みに繰り出すだけです。

銀水はすっきりとした醤油ラーメンで、昔ながらの味で三時のおやつに丁度好いくらいでした。

「炉ばた」に行こうと思って早めに店の前に行きましたが、7時前にも関わらず満席で入れません。

10数年前に来たときとおんなじ構えのままで、入れなかったのは残念です。

仕方なしに、地元の小さめな店を物色して入りました。

ところで、釧路は霧の町と言われています。

霧は夏に出ることが多いので、夏でも気温が低いのです。

ですから、草や葉っぱがなかなか腐らずに堆積して大きな湿原になっています。

ということで、小さな呑み屋さんには冷房がありません。

とは言いながらこの日は霧が出ていないので暑い一日でしたので、店の中は結構蒸します。

備え付けの団扇をパタパタしながら、「ツブ貝」や魚を楽しみます。

5日間の川下りを思い出し、ママさんと話して、足元の蚊を払いながら世は更けていきました。

今回のツアーで感じたことは、手付かずとは言わないまでも原生地帯を下れると思っていた釧路川も、思った以上にジワジワと開発の手が入っていることです。

川は文明が生まれ文明や文化が伝わる道でもありますから、人間の手から隔絶されるということは殆どありえません。

でも、明治以降の川の開発(川だけではありませんが)は、ただ直線化したり護岸工事をしたりの余りに画一的でした。

科学的に研究が足りなかったことにあるとも思いますが(もちろん開発という名の工事のばら撒きも)、現在は様々な視点からの自然との共存する道が研究されてきています。

日本人の原風景といわれるジブリに出てくる里山も、完全に人の手が入った自然形です。

里山は自然のままではありません。

当時の土木技術レベルでは、時間をかけて変えていくしかありませんでした。

その過程で何かおかしいと思ったら、暫く様子を見ながら手を加えていったので、結果的におきなインパクトを自然に与えずに済んだのだろうと思います。

ですから、現代においても、失敗を恐れずにトライ&エラーで自然と共存できる方法を模索していきたいものです.

2007年7月15日 (日曜日)

捨てない・減らす

Chimny 前回もゴミ焼却工場の廃炉に伴う煙突の撤去について書きましたが、港南工場ともう一つあると今まで書いてきました。

そちらの煙突(上郷工場)の状況がこの画像のようになりました。

こちらもほぼなくなりました。

この焼却場は、鎌倉天園に続くハイキングコースから丸見えでしたので、これでハイキングコースからの景観が改善させます。

正確にいうと改善でなく元に戻ったと言うべきでしょう。

何れにせよ、鎌倉アルプスハイキングコースの佳境に当たる場所の景色が素晴らしくなることは素敵なことです。

ついでにゴルフ場もなくなってくれると最高なのですが…。

焼却場やゴルフ場をなくして景観や気分を改善するのは大変なことですが、私たちができることもあります。

ハイキングコースにゴミを捨てないことです。

このコースには、ボランティアでゴミを拾ってくれる方がいらっしゃいますが、毎日毎日歩いているにも拘らず、ゴミ袋の中にはペットボトルやあき缶・吸殻がいっぱいになります。

どうしてこんなにゴミを捨てる方がいるのかと思うと情けなくなり不思議で仕方ありません。

軽登山靴を履いて本格的な山歩きの格好で歩いている方もたくさんいるハイキングコースで、学生や子供が通学に使うような道ではなので、大の大人が捨ててるに間違いありません!

自然が破壊されるとか嘆くのなら、ゴミを捨てないゴミを少なくするという努力をするべきですよね。

2007年7月 8日 (日曜日)

六地蔵(その28)

Rokujizo 先日の「甲斐善光寺」そばの「東光寺」山門前に祀られている六地蔵さんです。

単独のお地蔵さんでなく、一枚の岩板を祠のような形にし、その中に六体のお地蔵さんが彫りこまれています。

祠の形も三角屋根が多いですが微妙に異なります。

小さな2次元の空間に6体収められているので少し息苦しそうです。

大檀家とか檀家の合同が六体のお地蔵さんを奉納するのでなく、個人個人で手軽な一枚の岩状のものをお祀りする風習なのでしょうか。

ほかのお寺や神社に六地蔵さんがどのように祀られているのか分かりませんが、20世紀の末に富士山の見えるどこかの峠の六地蔵さんの首が落とされるという忌まわしい事件が起きたのも山梨だったと思いますので、どうやら甲斐の国は六地蔵への信仰が篤いようです。

仏教への帰依篤かった武田信玄の時代からの風土が生きているのかもしれません。

何れにせよ、庶民や子供の守り神であるお地蔵さんを大切にする文化に触れると、その地域の優しさを感じてしまいます。

2007年7月 7日 (土曜日)

夏の大三角

Photo_22 七夕ですね。

例年、梅雨の時季なのでなかなか「牽牛」と「織女」の逢瀬を見ることはできません。

牽牛は「わし座」の主星「アルタイル」です。

織女は「こと座」主星「ベガ」です。

2つの星は天の川を挟んで何時も同じ場所にいるので、今日だけ近づくわけではないのですが、夏の夜空の明るい星の代表選手で近くにあるのでこう言った話が生まれたのでしょう。

夏の星の代表といえば、「ベガ」「アルタイル」と白鳥座α(主星)「デネブ」の「夏の大三角」が有名です。

湿度の高い夏の夜空での大三角は、「シリウス・ベテルギウス・プロキオンの冬の大三角」の燦然たる煌めきに比べると余り目立ちませんが、晴れていれば良くわかる存在です。

首都圏の空では天の川は殆どわからないので、ボツッぼつっとただ大三角だけが見えるだけですけど。

夏の星座の観望は蚊の対策が必要ですが、たまには星空を観るのも気持ちが落ち着いて好いものです。

今日でなくても、牽牛・織女を探してみましょう。

2007年7月 6日 (金曜日)

六地蔵(その27)

Kaizenkoji NHK大河ドラマ「風林火山」で甲府の町は賑やかのようです。

信玄が長野の善光寺が戦禍を蒙るのを恐れて、長野から本尊を甲府に移す際に建立した「甲斐善光寺」にあった「六地蔵さん」です。

こちらのお地蔵さんも赤い涎掛けと帽子を身につけていらっしゃいます。

ただ、完全に色が抜けるほど古くなっています。

決して粗末にされている訳ではないのでしょうが(何せ大きなお寺ですから)、檀家さんの考え方が相州とは異なっているようです。

出来れば、もっと新しいのに着せ替えてあげて欲しいですね。

大事な子供を守ってくれるお地蔵さんを大切にする習慣が、子供たちに命やモノを大切にする気持ちを醸成させると思うからです。

2007年7月 2日 (月曜日)

世界遺産に選ばれて

Sanbesan_2 「三瓶山」です。

「鉄腕ダッシュ」に出てくる何でもこなせる素晴らしい人「さんぺい明雄」さんではなく「さんべさん」と読みます。

今回、世界遺産に選定された「石見銀山遺跡と文化的景観」のある大田(おおだ)市にある、石見国の主峰です。

周囲には温泉もあり、冬はスキーも出来ます。

さて、5月13日の記事で、石見銀山跡のアプローチの大変さと山深さを紹介しましたが、これからが本当に色んな問題が噴出してくると思われます。

自家用車で行くのはさほど大変ではないでしょうが、道の狭さや駐車場の少なさ(広いところがない)からくる問題がまず懸念されます。

また、遠隔地からの観光客はバスで入ることになるでしょうが、幅の広く長いバスを停めるスペースとなると更に深刻な問題です。

世界遺産として保護されるわけですから、急いで行く必要もありませんから、みなさん焦らずにゆっくりと時間を作って訪れてください。

そうしないと、そのまま遺しておくべき遺産が人であふれ、本来の良さがどんどん失われていく結果を招きませんから…。

2007年6月18日 (月曜日)

未来へ続くトンネル?

Tokiotrack 中央フリーウェイ左手のビール工場に触れたら、次は右手の競馬場と相場は決まっています。

が、この日は競馬がありませんので、「府中本町」からの空中回廊は未来?へ続くタイムトンネルのようにあの世?のものになっていました。

レースのある日は凄い人なんでしょうが、ご覧の通り誰もおらず、ただただ西陽が差し込んでうらぶれています。

さて、…。

と言いながらこれ以上競馬や馬について書くことが出来ません。

競馬も重賞レースをTVで見ることはありますが、それ以上は何も知らないのです。

馬自体を見たことさえも、生まれてこのかた両手の指で足りるくらいかもしれません(ちょっと大袈裟)。

そうだ!

現代では全くと言っていいほど見ることが出来なくなったのが農耕馬です。

ここ横浜(鎌倉郡ですが)でも、それこそほんの何回か農耕馬が道路を歩いていくのを見たことがあります。

アスファルトに蹄鉄の音を響かせながら、ノッシノッシと歩いていきました。

そして、所々にお決まりのボトボトッとウンコを残しながらです。

余りの大きさに怖かったのか、不思議なものでついていった覚えが全くありません。

一体何処の農家で飼っていたのでしょうか?

馬で田んぼを耕しているのも見た覚えもないので、案外遠い農家だったのでかもしれません。

残念ながら、もはや、知る由もありません…。

東京競馬場へ続く空中回廊がタイムトンネルだったらなぁ。

2007年6月16日 (土曜日)

梅雨入りでも暑いから、サント…

Beer 上京するついでに、サントリー武蔵野工場に寄りました。

本当はサッポロ津田沼工場に行きたかったのですが、予約で一杯(暑いですからね)ということでサントリーに再訪となりました。

前回に比べ工場案内の内容が変わっていました。

モンドセレクション3年連続金賞受賞を達成した広告が流れてますが、そのためのようです。

この賞は3年続けて採ると本モノと言われるそうで、サントリーも今年もと力を入れていたそうです。

ところで、受賞の広告をよく見ると中瓶で受賞と書いてあります。

瓶詰めビールは京都工場のはずなので、受賞したのは京都工場産なのかと聞いてみると、今年は武蔵野工場産の缶も出品したと、ちょっとはぐらかされてしまいました。

ところでただのモルツも4月からモデルチェンジしていたとのことで、ドコドコ天然水の水系表示が全くなくなりました。

味の差も少なくなり「天然水」であることを売りにしているので、表示する意味が余りないので止めたと言っていました。

どうやら水での差異化のアピールは余り効果的ではなかったようです。

サントリーを選択する顧客が少なければ、使った水まで拘らないのでしょう(お気に入りの水のモルツを手に入れるのも難しいですし)。

私的にはもっと味の差を全面に出しても良かっと思いますが、如何せんビールの消費が落ち込んでいる環境ではそれどころではないのです。

昨今はビールを飲む人は丸金(古い!)で、庶民は発泡酒や第3のビールと言うことを是認すると、ただのモルツよりプレミアムモルツの訴求に力を入れた方が賢いということなのでしょう。

確かに自宅でビールなぞ呑まなくなりました。

やっぱり高いからです。

勿論味は違いますが第3のビールでも喉の渇きは潤せますから。

ところで、製造ラインを見たことのない黒いラベルの缶が流れていきます。

26日に新発売のプレミアム黒ビールだそうです。

黒エビス対抗でしょうが私は恵比寿ザ・ホップが気に入っているので、それ対抗品が出ると嬉しいのですが。

2007年6月11日 (月曜日)

ここはパリ!?それとも?

Busstop 何ともオシャレなバス停でしょう!

ここはパリ・シャンゼリゼ?

でもクルマは左側通行!だと上海でもない?

実は、ここは横浜市環状2号線です。

しばらく振りに走ったらこんな停留所が新設されていました。

これだけ屋根が大きいと濡れずに済みそうですが、コストは高そうです。

20年弱前にパリに行った時に、こんなバス停を見てオシャレだなぁなんて思いましたが、まさかこんな田舎に出来るとは。

Diorか何か高級な時計の広告が掲示されています。

こんな停留所を見ると、どうしてもバブルの時代を思い出してしまいます。

広告料で建設・維持する方法は悪いとは言いませんが、極端になると景気が後退したときに高額な広告を出すクライアントがなくなり、かえってみすぼらしくなります。

やっぱり、これはやり過ぎに思うのは、私居酒屋コーチだけでしょうか…。

2007年6月 8日 (金曜日)

アメリカズカップ

Cup83 6月23日からのアメリカズカップ本戦まで、NZ(Kiwi)艇とアリンギ・スイス艇両チームとも修理と改造に忙しい日々を送るでしょうね。

ギリギリの灰汁出しは、Kiwiチームの方に部があると思えますが、全般的に風の弱い地中海バレンシア沖ですので、アリンギSUI100艇(A杯クラス<ACC>100艇目。一番の最新)が固い設計であれば然したる差はないかもしれません。

昨日も書きましたが、Kiwi艇スキッパー(艇長)ディーン・バーカーの成長ぶりが鍵だと思います。

LV杯決勝で、A杯1勝5敗の戦歴を跳ね返すような自信を身につけたように思えます。

かたや、アリンギのスキッパー「ブラッド・バタワース」(彼もKiwiです)は舵は握りませんが、戦術師として経験は十分です。

画像の1983年のA杯が初めて米国から離れた大会の、豪州艇に参加して以来、「ブラックマジック号」で初めてNZにカップをもたらし防衛、そして2003年のアリンギ艇に移ってカップ奪取と華々しい戦歴を持っています。

ちなみに、画像は83年大会の公式プログラムですが、この当時は現在のような巨大艇ではなく、たった?12m(The Twelves)の船で戦われました(現在のACC艇は25m前後)。

まさか、米国からカップが流出するとは夢にも思われない構成のプログラムです。

何せ、1851年以来25回も防衛し続けたのですから。

話を戻しますが、バタワースは前回03年大会ではタクティシャンを勤めてスキッパーは「ラッセル・クーツ」でした。

ところが、クーツはチームオーナーと色々あったようで、今大会には他の艇には乗らないという契約で袂を分かったようです。

ということで、14勝無敗(3大会に出場し14マッチに勝利。5勝先勝なので、あとの1回はバーカーが舵を取り1勝)のクーツに代わりバタワースがスキッパーを勤めるようです。

スキッパーは必ずしも舵を握るわけではないので(イタリア艇もそうでした)、それが大きな不利にはならないと思われます(物凄い荒天候ではわかりませんが)。

何れにせよ、今回のA杯もKiwi同士の戦いであることは変わらず、レースの裏での見えない駆け引きも繰り広げられているようです。

日本ではそんなことは殆どリアルタイムでは報道されず、折角「5オーシャンズ」で「白石康次郎」氏が2位に入り、ヨット界で日本人が注目されているのに盛り上がれず全く残念なことです。

「何とか王子」にうつつを抜かさずに、世界レベルでの公平な情報を流さないと、ヨット界のみならず、何時か日本が世界から取り残されることになり、ひいては何時か来た道を歩んでしまうような気がします。

少し大げさかもしれませんが、報道機関の猛省を促します。

2007年6月 6日 (水曜日)

イ艇万事窮すあとは神頼み?

Photo_18 ルイビトンカップ決勝第4戦は、イタリア・ルナロッサ艇がNZ・エミレイツ艇に大差をつけられ破れました。

これで、伊艇の0勝4敗です。

5勝先勝で優勝ですから、伊艇にとっては本当にあとがなくなりました。

スタートでは僅かに伊艇がリードしたようですが、3戦同様にあっという間に抜かれ、あとはどんどん差が開く一方でした。

右海面にポートタックで出た伊艇と左海面にスターボードタックで出たKiwi艇の風の読みで勝負が決まったようです。

5m以下の弱風のなか、左海面の方が風が有利に働いたのです。

ボートスピードで高さ(上マークまでの)を稼いで、最後は右海面に移り伊艇を従えて走りきりました。

今日のレースでもKiwi艇は手を抜くことはないでしょうから(2000年の防衛戦でKiwi艇は、最終でクーツに代わって、現艇長ディーン・バーカーが指揮を執って手を抜いて?、勝ちましたが)、伊艇には神頼みしか残されていないかもしれません。

ところで、神に頼み・あがめるのは何処でも同じです。

「地蔵崇拝」は、それをとっても庶民的にしたのものです。

家族や村の将来を支える子供の安寧を願って建立されることが多い神さまがお地蔵さまです。

ですから、常に子供を見守っていただくために路傍に立てられることが多かったのです。

昨今では、路傍に立てる場合は、お子さんを事故で亡くし供養するためと、二度と同じことが起きないようにと立てられる場合が多くなりました。

ここで紹介している「六地蔵」さまのような場合(撮るのが下手くそで五地蔵になってますが)は、現代では路傍では場所の確保も難しいので、画像のように檀家寺に奉納されるようです。

でもお寺の中では、ちょっと子供を見守り難いのが残念ですよね。

さて、伊艇は神に願をかけどんな戦いをしてくるのでしょうか?

2007年6月 1日 (金曜日)

いよいよ仕上げ

Nerashi 窯口を閉じて蒸し焼きがほぼ終わったタイミングで、窯口を再度開けます。

口を開けると大量の酸素が供給され、中に残っていたガスなどが燃え上がります。

余分なモノを燃やし切ってしまうことで炭の炭素量を上げる工程です(と思います)。

これを精錬(ねらし)と呼びます。

見事なまでに真っ赤に燃え上がります。

このねらしが上手くいく/いかないで炭の品質が左右されるそうです。

今回は、この工程でどうも十分に温度が上がりません。

原因は何にあるかまだわかりませんが(最後までわからない?)、途中まで順調に思えたのでちょっとがっかりです。

何回も焼いているベテランも首をひねっていましたので、難しいものです炭焼きって。

さて、このまま放っておくと本当に炭(灰)になってしますので、再度窯口に蓋をします。

今度は完全に閉じて空気(酸素)を遮断して火を消して、冷めるのを待つのです。

火持ちが良く重宝される「備長炭」は、口を閉じずに赤いまま中から取り出して、灰を被せて消化・冷ますそうです。

真っ赤に焼けているのは1千℃ぐらいあるので、とても暑い重労働のようです。

私たちの窯は今週末に炭を取り出す予定です。

気になるのは品質と収量です。

さてさて、どんな炭が出来ているやら?

2007年5月31日 (木曜日)

煙の色

Smoke 桜材の本格窯(本窯と呼んでいます)と同時にドラム缶窯2つも火入れをしました。

こちらの炭材は「孟宗竹」です。

本窯に比べ、窯の容量もずっと小さく炭材もスカスカの竹ですから、ずっと早く温度が上がります。

煙突部の温度が80℃を超えると、煙突から出てくる煙の色に変化が現れます。

手前(画像の上)の煙突(窯)は、向こう側の煙突(窯)に比べ温度が低く、白っぽい色をしています。

炭焼きの煙は温度が高いほうが青っぽく透明度が上がります。

現在は、高温も計れる便利な温度計(熱電対)がありますので、我々素人でも温度管理が容易ですが、温度計の無い時代はこの煙の色と匂いを頼りに窯の管理をしていたわけですから大変です。

ですから、煙にも「きわだ」とか「あさぎ」とかいうたくさんの名前をつけて呼んでいました。

私居酒屋コーチのような者には、画像のように比べてみないと違いが分かりませんが、先人の名人はキチッと見極めることが出来たのです。

人の感覚の鋭さは、現在の計測器も及ばないと言われます。

眼も訓練すると、見ただけで0.1mm単位は分かるといいますし、指先はもっと鋭く、1千分の1mm単位で分かるといわれています。

何事にも極めることは本当に敬服することだと思います。

こういった名人と呼ばれる職人が身近から減っていくこと(絶対的に減っている)に胸がきゅ~と苦しくなるように感じるのは居酒屋コーチだけでしょうか。

2007年5月30日 (水曜日)

さぁ窯に火入れだ!

Today 炭焼き窯の「火入れ」です。

今回、釜の中には間伐材の「桜」を中心に約450キロ入っています。

まず、窯口で薪を焚き窯の中に熱風を吹き込んで炭材を乾燥させていきます。

焚いて中の炭材を燃やしてしまう訳ではなく、熱風で窯の中の空気の温度と窯自体の温度を上げて乾燥を進めるのです。

窯の中には十分な酸素が無いので、窯口付近の炭材以外は燃え上がることはありません。

窯の真ん中と煙突部の2ヶ所の熱電対(温度計)で温度を計って、上昇度合を確認しています。

窯のボリュームと炭材の水分があるので温度は簡単には上がりません。

温度を30分毎に確認しながら、ノンビリとほかの作業を進めます。

何かあった時のことを考えて、何時でも手を離せる作業を用意しおくことが効率良いですね。

余談ですが、世の中の商店の店番さんはお客さまがいない間、手持ち無沙汰にしないですぐに手を離せる作業をしていることが大切です。

お客さまが来ないからといって、得意先さまに電話なぞをしてはいけません。

お客さまとの電話は簡単に切ることは出来ませんから、お店にお客さまがやってきた時に対応が出来ないからです。

店を磨いたり(掃除でなく)、ダイレクトメールを書くなど、何時でも手を離せる作業をして忙しくしていることが大切です。

忙しそうにしている店には、お客さまも入りやすいですので。

閑話休題、窯が暖まり炭材の乾燥が進んだところで、ほんの少し空気が入る程度の開口部を残し窯口を閉じます。

あとは、酸素を抑えて炭材の蒸し焼きを進め、「炭化」させるのです。

そうしないと「炭」にならず「灰」になってしまいます。

窯の中の状態を出来るだけ均等に保ち、蒸し焼きにすることが重要なのです。

さぁ、ゆっくりノンビリ温度が上がるのを待ちましょう。

2007年5月25日 (金曜日)

久しぶりの雨

Gama 雨が降ってきたので、喜んでフラフラと出てきたのでしょうか?

ガマ君こと「ヒキガエル」です。

この固体は、大きさや身体の細さから見てまだ若いようです。

若く細いこともあってか、コンクリートの壁を登ろうとに一所懸命跳ねて飛び付こうとしています。

成熟すると跳ねるようなことは殆どなく、ノシノシと歩きます。

ノシノシ歩くようになったら、鏡の部屋に押し込めて、自分の醜さを見てタラリタラリと流れる冷や汗を蝦蟇の油として売る訳です。

春先にヒキガエルが小さな池や水の張ってある田んぼ(昔は冬も水が張ってあり、凍ったらビクビク乗ったものです)にグルグルと長いひも状の卵を産みます。

私居酒屋コーチの小さい時に、バケツに採ってきたものです。

それでも、オタマジャクシになって4つ脚が出るのは殆どいませんでした。

要するに飼い方が上手くありませんでした。

考えてみると可哀相なことをしました。

現在の頭数が少なくなっている要因の一つですね、反省。

ヒキガエルは4つ脚が出てもとっても小さな黒っぽいカエルです。

この点は、ウシガエル(食用ガエル)と随分違います。

ウシガエルは、オタマもとっても大っきいですからね。

ヒキガエルもウシガエルも、脚が出ると飼育に飽きてしまい逃げていくままにしていました。

子供にとっては、小さなハエや蚊を餌としてやるのが大変なんです。

カエルは子供にとって変体を楽しむ存在だったようです。

2007年5月13日 (日曜日)

石見銀山が…

Rakan 島根県の「石見銀山遺跡群」がユネスコの諮問機関から登録延期の勧告が出てしまいました。

銀山としての世界的普遍性の物証が足りないとのことです。

具体的に何が延期という勧告を出されるほどの問題なのでしょうか?

文化庁は、クレームをつけるとのことでしたが、真正面から立ち向って解決する類の問題なのでしょうか?

ところで、広島からでも石見銀山へのアプローチは一仕事です。

R54から、江津川沿いの道路に入り川沿いを浜原ダム湖を過ぎしばらく行って、川から離れ山の中に入っていきます。

更に進み、石見銀山の町並みに入る寸前に、この「五百羅漢」が現れます。

銀山盛時に鉱山で働いていた従業員のために作られたものだそうです。

かなり多数の鉱夫が働いていたそうで、塵肺で苦しんだ方も少なくなかったようです。

それで亡くなった方を弔ったり、塵肺にならないよう祈祷するためです。

手前に「羅漢寺」があり、「五百羅漢」が道路と河川を挟んだ崖に掘り込まれて作られています。

走って来て突然現れる風景に、よくもこんな山奥にと言う印象が嫌が上にも沸いてきます。

往時の繁栄が偲ばれますが、現在は静かな風が川面に流れていきます。

同じように、鉱山までの緩やかに並ぶ街道沿いのお店に立ち寄りながら、ゆっくり流れる時間にただただ身を任せてみましょう。

それがここでは正しいかもしれません。

そうなんです、華がないのですここには。

私居酒屋コーチにはそれで十分なのですが、世界云々となると足りなさ過ぎることも間違いないような気もします。

居酒屋コーチ的には、世界なぞと言う冠無しで静かに町づくりをしていけば良いと思うのですが…。

さてさてどうなることでしょうか?

2007年5月10日 (木曜日)

やっぱりNZ!?

Heel 「ルイビトンカップ ラウンドROBIN2」が終了し、セミファイナルに「ニュージーランド(NZ)」がトップで進出しました。

他の3チームは、「米国」「スペイン」「イタリア ルナロッサ」です。

セミファイナルの組み合わせは、「NZ vs スペイン」「米国 vs イタリア」の組み合わせでトーナメント形式で争われます。

5ポイント先取した方が、決勝に進出します。

仮にNZが勝ち残ると「アメリカズカップ(AC)」本戦は、前回2003年大会と同じ戦いになります。

ただし、ディフェンダー「スイス アリンギ」のスキッパー(艇長)は2003年の「ラッセル・クーツ(」から「ブラッド・バタワース」に代わっています。

ちなみに、ラッセル・クーツは1995年に「ブラックマジック(NZ艇の名前。オールブラックスにちなんでいるのでしょう)」でカップをダッシュして以来、マッチレースで一度も負けたことがありません。

またまたちなみに、95年のカップルーザーは、82年に豪州に負けて世紀のカップルーザー米国デニス・コナーです。

さて、クーツは2003年は、アリンギに乗り換え無敗で勝っています。

が、今大会はいろいろあったようで、アリンギには乗らずACにも参加していません(アリンギとそういう契約を結んだようです)。

片やNZは、前回からのスキッパー「ディーン・バーカー」で変わりありません。

ACはマッチレースですので、絶対的な速さを競うよりも、相手に出かたに合わせた騙し合いのような駆け引きの多い戦いになります。

ですから、スキッパーの頭脳が試される戦いになります(実際は他のクルーとの協議でもありますが)。

その駆け引きは、各レースだけでなくルイビトンカップ予選全体でも行われます。

要するに、最初から手の内、つまり速さや新機構或いは本来の戦術は見せないのです。

昨年までのパ・リーグや今年からのクライマックスシリーズのように、1位で通過する必要がないからです。

極端な話4位でも、セミファイナルに進めば問題はないのです。

それでも、セミファイナル以降は戦術上のミスでの敗戦はともかく、操船やトラブルでのそれは許されません。

そういう意味で、予選は艇の灰汁(トラブル等の問題)出しでもあったのです。

2003年大会では、デフェンダーのNZ艇が新しいデバイスを採用したにも関わらず灰汁出しが十分に出来ずに敗戦した訳ですから、過度の出し惜しみも出来ませんから。

最近の戦いの4チームのセールナンバー(2艇エントリー。新しい船ほどセールナンバーは大きくなります。NZ92・US98・ITA94・ESP97)からすると本戦向けの艇を投入しているようなので、セミファイナルは必死で戦ってくるでしょうから面白いレースが展開されると思いますので、14日からが楽しみです。

2007年5月 9日 (水曜日)

ROBIN2が終わる

Sunrize 先月から開催されている「アメリカズカップ2007」の前哨戦「ルイビトンカップ」の予選が今日9日で終わろうとしています。

前回のカップウィナー「スイス アリンギ」に挑戦するチームを決めるのが「ルイビトンカップ」です。

カップのあるスイスには海がないので、スペインの地中海側バレンシアで開催されています。

9カ国11チームで戦っていますが、残念ながら今回も日本からは参加していません。

アメリカズカップは、2チーム毎に戦うマッチレースですので、総当りで戦いポイント制で勝者が決まります。

予選は総当りが2ラウンド行われます。

ラウンドROBIN1とラウンドROBIN2と呼ばれ、各チーム計20戦戦います。

そのROBIN2が今日で終わるのです。

ROBIN2で勝ち残った4チームが準決勝(セミファイナル)に残れます。

もう進出するチームは決まっていますが、1位で残るか2位で残るかのレース(FLIGHT)があります。

19戦戦った現在、1位の米国と2位のニュージーランド(前回のカップルーザー)がその2チームです。

今日のマッチレースで勝った方が1位で準決勝に進出出来ます。

風が弱く延期になることの多い大会になっていますが、今日は高気圧に覆われているようです。

ちなみに、準決勝に行く残りの2チームは、スペインとイタリア・ルナロッサ(PRADAがスポンサー。イタリアは3チーム参加)です。

前回もそうでしたが、今回の大会も日本のメディアでは殆ど報道されません。

NHKが放映権を取っていた時代はBSでも放映され面白かったのですが、ツールドフランス同様に民放が権利を取ってとつまらなくなってしまいました。

そして前回から、日本では放映権を取る放送局はなくなりました。

前回2003年は「斉藤愛子」さんがネットで逐次報告を載せていましたが、今回はないようですのでHPで見るしかなく今一つ盛りあがりません。

日本から参加していないのが問題なのですが、海に囲まれた国でこんなことになっているのは何か(かなり)おかしいです。

次回に向けて頑張って貰いたいものです(誰に?)。

2007年5月 8日 (火曜日)

六地蔵(その26)

Kurataji 蔵田寺の六地蔵さんです。

最近、地蔵堂が新設され綺麗なお堂の中で風雨から守られています。

ここは鎌倉郡豊田村ですが、最近紹介した三浦郡の形式に似る中央に地蔵菩薩が祀られています。

元々、別々に祀られてあったのを一ヶ所にお祀りする必要のタイミングで、このような形式を選択せざるを得ないと思われます。

ここの六地蔵さんは大きく立派なもので、お顔も悪戯されておらず綺麗です。

当初からこちらの大檀家が寄贈して大事にされていたのかもしれません。

近くには、「出羽山街道」の石標もある「鎌倉道」沿いでもありますから、街道沿いにいらした可能性も捨てられませんが。

ところで、お堂を撮ろうと歩いていると、頭に「ガツン」とショックが走りました。

枝にでもぶつかったと見上げても何もないのですが、一羽のハシブトカラスが飛んでいきました。

どうやら、カラスの攻撃を受けたようです。

巣を守ろうと人を襲う話は聞いたことがありましたが、実際に見たこともありませんでしたので襲われてみてビックリです。

幸いにして帽子を被っていたので怪我はなかったですが、帽子がなければ傷を負ったかもしれません。

カラスの巣を気をつけて歩くと言うわけにもいきませんけど、カラスの声を聞くとビクッとするかもしれませんね(笑)

2007年5月 5日 (土曜日)

鯉のぼりの天日干し?

Carps 「子供の日」もまぁまぁの天気で終わりそうです。

風はちょっと強かったですが。

近くの川で鯉のぼりを干していました。

んっ?違うって!

最近は全国あちこちの川で鯉のぼりを川の両岸に渡す風景が見られるようになりました。

私居酒屋コーチの記憶によると、町の活性化のために自分の家で揚げなくなったり古くなった鯉のぼりを寄せ集め合って川に飾ったというのがきっかけだったと思います。

ということは、自宅で揚げていた鯉のぼりがあってはじめてこの手のイベントが出来るわけです。

この川のも決して新しいのぼりでなく、使い古したようなものが下がっています。

最近では自宅で鯉のぼりを、子供が鯉が空に上って龍になるように偉くなってもらいたいとの祈って掲げる家は少なくなりました。

ですから、川に飾る鯉のぼりを支える環境がなくなりつつあるということです。

これからは、川に渡す鯉のぼりを見たら、「ここでもやっているのか」という気持ちでなく、「これから鯉のぼりが少なくなってしまわないといいな」としっかり記憶に残すように、しっかりと見ておくことにしたいと思います。

観客が増えれば、主催者側の意欲も上がりこれからも開催されるでしょう。

端午の節句に向け鯉のぼりが見られなくなったら寂しいですから。

2007年4月30日 (月曜日)

えびねを見て思う

Ca340437 民家の軒先に鉢に植えられている「えびね」は良く見ますが、自生するのを見るのは久し振りです。

以前は、どこの山でも生えていたらしいですが、乱獲されて数が少なくなったそうです。

交配して色んな種類を作りだすのに必要で高価で売買されたようです。

高山植物を盗むのと同罪です。

盗むのと育てるのは違うといっても所詮同罪です。

私居酒屋コーチには、そんなにしても愛でたいとはちっとも思いません。

確かに、子供の時に「ヤマユリ」を何本か採ってきて庭に植えたことはあります。

子供のやったこととは言え、悪いことをしたと反省しています。

つい母親が喜ぶもんでしたから…(言い訳になりません!)。

採ってきても、1~2年は咲くのですが、何れ咲かなくなってしまいます。

やはり、山林と庭では日当たりや土壌など様々な環境が異なり、通常では育てられないのです。

ですから、ある時からは採って来るようなことはしなくなりました。

こう言った経験があったこそ、大人になった今ではそんなことはやりません。

近くの山林で見て楽しむ機会を失うという高い授業料を払って勉強しました。

自然には、それなりの秩序があります。

もちろん、気候の転移なので少しずつ変化していき、今の秩序が将来においても継続することはありません。

しかし、自然の一つでしかなく、その変異を理解している人間が、変化を早める(秩序を壊す)ような行為をすることは出来るだけ避けるべきだと思います。

その行為はどこまで許されるのかは誰にも正解を言うことは出来ないとは思いますが、「えびね」「ヤマユリ」や「高山植物」はそのままにしておく方が、現在においては多くの方が喜ぶことはもはや自明です。

ただ、現在は子供が経験から学ぶ機会が非常に減っていることは間違いありません。

現在の社会では、その経験則を後世にどうやって上手く伝えていける社会を構築するかが求められていて、私たち大人が常に意識し努力し行動するかが問われています。

2007年4月25日 (水曜日)

六地蔵(その25)

Photo_16 鵠沼の「夢想山本真寺」境内の六地蔵さんです。

とっても可愛い表情をした面々です。

境内を掃いていた檀家の方の話によると、建立され10年くらい経っているかなとのことです。

という事で、見ての通り今風の感じになっているようです。

四頭身の小太りの姿は、子供で言うと三つくらいでしょうか。

基本的には、同じ顔立ちで表情が異なった六体です。

錫杖を持たれたお地蔵さんの表情は何とも言えぬ可愛らしさです。

お地蔵さんは子供の味方で庶民に愛される菩薩さまですから、子供に好かれるこんな感じも凄く素敵だと思います。

欲を言わせて貰うと、路傍にいらしたらなと思います。

そんな町並みが大好きな居酒屋コーチでした。

2007年4月24日 (火曜日)

春季例祭

Ca340421_1 平塚から西に向かい「花水川」を渡ると大磯町です。

「中郡」です。

好い響きですね、「神奈川県中郡大磯町」。

何時かは「郡」に住みたいと思っています。

花水川を渡ってすぐに高麗山を御神体と崇める「高来(たかく)神社」があります。

高麗山は、「安藤広重」の「平塚宿」に見える山です。

また、湘南電車からも大船を過ぎて久し振りに望む山でもあります。

ここに来るのは、中学校以来何年振りか計算したくないほど久し振りです。

その時は、神社を経由し高麗山に登り尾根伝いに「湘南平」までの遠足でした(残念ながら疲れた覚えしかありません)。

高来神社は通称「高麗神社」と呼ばれています。

たまたまこの日は春季例祭でした。

鳥居から続く露天を懐かしみながら抜け、お社に向かっていると、「ゴ~ン」と鐘の音が。

神社に鐘?と訝りながら、社殿を目の前にして納得しました。

そうです、明治まで神仏習合の「高麗寺」だったのです。

ですから、社殿もお寺さんのような様式です。

「高麗神社」と呼ばれはずですね。

ところで、高麗と言われるのは、この地域に朝鮮半島からの渡来人が関わったものから来ているようです。

そういえば、埼玉県日高市の高麗神社も同様の由来ですね。

江戸時代東海道を平塚宿を過ぎ、川を渡ってこの高麗寺を過ぎると大磯宿が現れたようです。

現在もここから、国道1号を少し西に向かい、右手に分かれると東海道旧道が蕭然と現れます。

現在も道路の両脇に黒松や生垣の緩衝帯が残って昔の名残を忍ばせています。

ここには、ほっと安心するような優しい空気が流れています。

この旧道は途中JRで断ち切られていますが、また国道と一緒になるまでしばらく歩くことが出来ます。

住民の方も旧東海道の風情を残そうとされているようで、本当に気持ちの良いところですので是非歩いてみて欲しいと思います。

ちょっとした昔の雰囲気を味わい、肩の力を抜くことが出来て嬉しかった居酒屋コーチでした。

2007年4月17日 (火曜日)

えっさ、ほいさ。えさほいさっさ。

Ehho 「よこはま花と緑のスプリングフェア2007」で「籠」を出品しました。

というよりアトラクションを提供しました。

追いはぎ籠屋ではなく、子供向けの良心籠屋です。

耐加重は20キロくらいです。

籠のではなく、籠かきの肉体的限界です、ふぅ~。

ちょっと大きめの子供が乗ると、ググッと肩と腰にきます。

私居酒屋コーチは六尺の大男ですので、平行に担げる相手がおらず、必然膝を曲げて担ぐので更に足にもきます。

天気も好いこともあって、フェアにはお客さまがたくさんいらしており、子供連れも多いので、お陰さまで大盛況でした。

ということで、大変疲れました!

大体の子供は乗っても案外静かにしていますが、中には結構はしゃぐ子もいます。

そして、一回り50m程度2分弱なのですが、ママと離れられずに結局乗れない子もいます。

今つらつらと考えてみると、居酒屋コーチも子供だけで乗せられるアトラクションは何となく不安になった方でした。

戻ってきて親がいなかったらどうしようと思ったものです。

いざ動き出してしまえばそんなこと考える暇もなく楽しんでいるのですが、動き出すまでは不安で仕方ないのです。

そして、終点に戻ってきて、降りると親の顔を見るまでまた不安になったりもしました。

何でそんな不安に思ったのか分かりませんが、今から考えると不思議なものです。

野生動物の本能的には親から離れたら啼いて助けを求めないと命が危険に曝されるので、不安になるように出来ているようにも思えます。

果たして、この本能は人間にも適用されるのでしょうか?

2007年4月13日 (金曜日)

六地蔵(その24)

Photo_15 離婚後300日後問題の民法改正が先送りされました。

現代のようにDNA検査で本当の親が確認出来る時代に、なぜ改正を渋るのか私居酒屋コーチは理解できませんが、これで誕生について苦しむ子供が減らないことは悲しいことです(代理出産問題もそうかな)。

何時の時代になっても子供の受難はなくなりません。

サラリーマンが上司を選べない以上に、子供は親を選べず生まれたいきさつを受任して生きていかなければなりません。

災害や飢饉あるいは戦争に遭遇すれば生存能力の乏しい子供はいち早く犠牲になります。

疫病でも然り、交通戦争(古い言いかたかな)でもそうです。

子供を一人に人間として育てることの出来ない親のもとで、教育や養育において人格を蝕まれる子供も少なくありません(いじめもここから来ていることも多いと思っています)。

かように子供は苦しみ続けてきました。

こうした子供を少しでも安らかに生きて欲しい、死後も安らかに眠って欲しいとすがる思いでお地蔵さんを立ててきました(そんなお地蔵さんを子供が悪戯するのも皮肉です)。

居酒屋コーチもお地蔵さんを前にする時、妙にそんな思いを感じて悲しくなることもあります(自分の子供はいませんが)。

でも、その優しい眼差しに気持ちが癒され落ち着きます。

ここ「満宗寺」の六地蔵さんもそんな思いで作られたのでしょう。

優しいお顔をしたお地蔵さまです。

比較的新しく立てられてようで痛みを少なく大事にされてきたようです。

こちらも既に記事にした「円蔵院」「東漸寺」のように、真ん中に別の石像が置かれたレイアウトです。

こちらは真ん中もお地蔵さまのようで、一段と可愛らしいお姿です。

旧三浦郡辺りの流行なのかもしれませんね。

さて、民法改正に積極的でない輩には、お地蔵まの前で考えて欲しいと願っている居酒屋コーチでした。

2007年4月10日 (火曜日)

呉の対岸、江田島

Etajima 呉港の対岸に江田島(えたじま)があります。

江田島は一つの島ですが、江田島・東能美島・西能美島と呼ばれます。

平成の大合併で現在は江田島市になりましたが、以前は、江田島は安芸郡江田島町、東能美島は安芸郡大柿町、西能美島は佐伯郡能美町と沖美町と「郡」が入り組んだ島でした。

「大和」に縁があるのは、江田島の西岸にある「江田島海軍兵学校」です。

現在は海上自衛隊「幹部候補生学校」と「第1術科学校」になっています。

ここは一部歴史的建物や展示品の見学が可能です。

自衛官に導かれ、建物や潜航艇、大砲の弾などと「教育参考館」を見学します。

赤レンガの建物も見所ではありますが、やはり教育参考館での海軍兵学校や海軍の歴史についての展示品を見ることが見学の主題になります。

その中でも絶対に見ておきたいのが、日本海軍が発明した(極めて馬鹿げた発明!)「特攻」に行った飛行士の日記や手紙そして遺書です(初めの頃の展示品は適当に飛ばしましょう)。

どんな理由や解釈であれ、機械と共に命を全うするなど、人間の尊厳においてあってはならないことです。

が、当時はまるで正義であるかのように、尊い命で(敵の)尊い命を購おうとしたのです。

そして、特攻に向かう前、自らの存在を確かめるが如きに、思いを紙に書き記してたものが、ここにあります。

とても、書きたいこと全てを書き記せてはいないでしょうが(検閲もありますし)、伝えたい思いは十分に感じとれます。

私居酒屋コーチは涙無しには読むことは叶いませんでした(鹿児島の知覧特攻平和会館でも同様でした)。

二度とこのようなことが正義とされないように努めることが、こうして平和を享受している者の義務だと痛切に感じました。

地の利が良くないのでクルマで行くのが良いのですが、時間をとって宇品港からフェリーとバスで行く方法もあります。

出発の時間と早めにすれば、平和公園と両方を見学することも可能ですので、是非行っていただきたいところです(大和ミュージアムを含めると1日では辛いかな…)。

2007年4月 9日 (月曜日)

大和と丸出だめ男

Dameo 昨晩、「男たちの大和」をTV放映していました。

大和の生き残り役を、過去を背負って生きる男の代表「健さん」でなく、「仲代達也」が演じていました。

映画「ホタル」から余り時間も経ってなく、舞台が同じ鹿児島県の港では具合が悪かったでしょうか?

それはさておき、大和と言えばやはり呉を思い出さざるを得ません。

竣工したのも呉工廠(現在のIHIマリンユナイテッド)ですし、錨地も呉ですから。

映画にも出てきましたが呉のフェリー港裏に「大和ミュージアム」があり、実物の10分の1の模型が展示されています。

長さが20数mもあるので流石に目を見張るものがあります。

何せ本体は造船所で建造され進水式を経て、呉港まで海を曳航され、建物が完成する前に内部に納め、艤装したとのことですから。

量感・質感とも圧倒的なものです。

その中で私居酒屋コーチが傑作だと思ったのは、数体乗船している乗組員の模型のうち幹部クラスの一つが、全く「丸出だめ男(森田拳次作)」にそっくりなことです。

見て思わず嬉しくなってしまいました。

スマートな人形なぞ置かず、「戦争はとんでもないジョークなんだよ(だから現実にしてはいけない!)」とでも言いたいのだな理解しました。

戦争なぞ決して格好の良いものではありません。

どんな完全無欠に見えても、必ず落とし穴があるものなのだから、謙虚にならなければならないというメッセージと受けとりましょう。

2007年4月 4日 (水曜日)

桜は見続ける

Amarube 昨年12月30日にも書きましたが、山陰線餘部鉄橋が架け替えられます。

予定ですと、もう工事が先月29日より始まっているはずです。

維持費と運行の定時性にこだわるJR西日本は、歴史的建造物を残して欲しいという声を無視しました。

この段階になっては、住民も静かにして欲しいという気持ちが強いとのことですから、粛々と新しい橋への架け替え工事が進んでいくのでしょう。

当事者の住民が望まないことに、外野の人間がとやかく言うべきではありません。

物見遊山の人が集まることが、メリットになることもあるしデメリットになることもあるのですから。

夕張市のように人が集まりさえすれば町が豊かになるという御託宣に騙され、現在のような辛酸を嘗めることもあるからです。

町の発展(この言葉自体が人を欺きますね)は、そこに住む人が本当に幸せを感じるかどうかが重要です。

「話す・聞く」という人間にしか出来ないコミュニケーションが、家庭や日常生活の買い物・娯楽などで、十分に出来る住環境が保たれない町は幸せではないと思います。

この度震災にあった輪島市の門前町では、近隣の方同士がお互いの健康状態などを持ち合っていたことが幸いしたと報道されていました。

A内閣官房長官が会見で「独居老人が・・・」と、あたかも過疎で不幸せであるかのようなニュアンスの発言がありましたが、決してそうではなかったのだと思います。

人生経験の豊かな人たちが、摩擦や軋轢を上手く避けながら暮らしていたのです。

そういったところへ、物見遊山の人が集まれば豊かになるみたいな方便で、デベロッパーが騙してきたケースが如何に多いことか。

日本の何処に行っても、ミニ東京みたいになって詰まらなくなってしまった原因お多くはそんな結果でしょう。

そして、更に寂れすさんでいくのです…。

そんな様子を、きっと桜はずっと見続けるのでしょうね。

2007年4月 3日 (火曜日)

地元を楽しむ

Iwatebank 昨日から、NHKの朝ドラが変わりました。

「芋たこなんきん」の大阪弁は、漫才師のそれと違って耳に心地良いもので楽しんでいました。

特に「○○してはる」の「はる」が私居酒屋コーチは大好きなんです。

今度の「どんど晴れ」は東京制作で、舞台が盛岡だそうですが、どんな景色や風土が紹介されるのかが楽しみです。

1回目には、風景として岩手山や開運橋、お城と岩手銀行(画像)などが出てきたようです。

居酒屋コーチが盛岡を初めて訪ねたのは、新幹線も開通する前、北海道に渉る途中でした。

ですから、盛岡らしさに接したのは、「わんこそば」ぐらいです。

ユースホステルで紹介された「東屋」で70杯食べました。

ただ、その時は60杯までは給仕してもらい、最後の10杯は自分で注いで食べたので、ちょっと悔いが残ってます。

一度競い合って食べてみたいのです。

もちろん70杯なぞ食べられないでしょうが…。

そんなことで、残念ながら地元の方と殆ど話したことがないので、どんな気風なところか良くわかりませんが、昨日の放送で「盛岡は外の人を優しく受け入れてくれる風土だ」と言っていました。

初めて訪れた10年くらい後に、八幡平の「松川温泉(好い温泉ですよ)」で、たまたま風呂の中で一緒だった盛岡の方にいきなり「うちに遊びにおいでよ」と言われ驚いたことが思い出され、そういうことだったのかと今になって、思わず膝を打って(合点して)しまいました。

流石にそんなことを知っていても行かないですけどね(もし盛岡に戻る旅であったら、外で飲んで話をしたかもしれませんが)。

今度何時盛岡に行けるかは分かりませんが、地元の人としっかり接するチャンスを楽しみたいと思っている居酒屋コーチです。

2007年4月 2日 (月曜日)

六地蔵(その23)

Photo_14 横須賀市武「東漸寺」の六地蔵さんです。

こちらも山門の外に置かれています。

銘文によると、屋根は別に新築(改築?)されたようです。

「六地蔵(その20)・円蔵院」も中央に、六地蔵さん以外の石像が祀られていましたが、こちらには「地蔵菩薩」がいらっしゃいます。

正確には?、七地蔵さんになっています。

以前はどこか別々に祀られていたのが統合されたのかもしれません。

お祀りしたい方の信仰によって、路傍に置かれる石像は異なってくるので、町には様々な種類の石像があるのです(最近は交通事故で亡くなったお子さんのためにお地蔵さんを祀るケースも多いです)。

それが、宅地化や道路拡張などから守られるためにある場所に集められる場合は、ダブって(重なって)しまうわけですね。

さて、こちらのお地蔵さんですが、比較的新しいようで5頭身くらいのスマートなお姿をしています。

お顔も悪戯された様子もなく綺麗なままです。

東漸寺の周辺には、温暖な気候にも支えれて温和な優しい信仰深い方々がお住みになっているのかなと勝手に想像して嬉しくなってしまった私居酒屋コーチでした。

2007年3月30日 (金曜日)

六地蔵(その22)

Photo_13 金沢八景の一つ「野島の夕照」で知られた「野島」の「染王寺」山門横の六地蔵さんです。

「野島」の半分は公園になっていて小高い丘の頂上は、某自動車会社のテストコースが良く見通せるので、長いレンズを持ったスパイ?行為をする方や投稿マニアがやってきます。

一説によると警備員が公園に控えていて、怪しい奴が来ると無線で連絡し、新車を隠すとのことです。

江戸時代はそこから江戸湾に沈むお日様を拝んで夕照を楽しんだのでしょう。

というのは全く嘘です。

東にある東京湾にお日様は沈む訳がありません。

恐らく三浦丘陵に沈む太陽が平潟湾に照り返す様子を楽しんだのでしょうね。

閑話休題。

六地蔵さんですが、お寺の敷地内ではありますが、山門の外と言う微妙な位置にいら

っしゃいます。

こういった山門の中でない位置にいらっしゃるケースは少なくありません。

ゆかりは正確にはわかりませんが、明らかに境内の中ではないという位置なのではないでしょうか。

もし私居酒屋コーチが住職だとしたら、檀家との関係を考えてしまうでしょうね。

檀家が寄進してくれるなら、墓所の前など明らかな境内に置くと思います。

しかし、路傍に祀られた六地蔵さんを引き取るとしたら、微妙な判断を強いられるでしょう。

明らかな境内では、夜になって山門を閉めてしまうと、元々路傍にあって誰もが何時でもお参り出来た環境が変わってしまいます(江戸時代は夜はそんなに出歩かないですが…)。

そんなことなどを考えて、山門のおもて脇にいらっしゃることが多いのではないかと居酒屋コーチは勝手に思っています。

居酒屋コーチのような興味本位で六地蔵さんに会いに行っている者にとっては、山門の前にいらっしゃるのが好きです。

やっぱり山門をくぐると特別な雰囲気に圧されるものですから、元々庶民的なお地蔵さんに会うには、気軽な雰囲気が好きだからです。

本来はこんな中途半端なブログに登場いただくのも失礼なことですが、そこのところはお許しいただきたいと思っています。

2007年3月29日 (木曜日)

出て来ましたよ!

Ca340383 ピンボケでごめんなさい。

青大将くんです。

私居酒屋コーチの親指くらいの若い固体です。

暖かさに誘われて出てきたようですが、まだちょっと動きが鈍いようです。

寝ぼけているのかもしれません。

居酒屋コーチの小さい頃は、この位の青大将をよく捕まえたものです。

少なくとも1回は金魚鉢の中で飼いました。

田んぼの畦に行って、ピョンピョン跳ねているアマガエルの小さいのを採ってきて、餌にします。

カエルを食べるところを見て喜びました。

卵を産まないかと楽しみにしていました。

それらしきものを産んだのですが孵りませんでした。

そうですよね、1匹じゃ孵る卵を産めないですもんね。

まして、そのヘビがメスだとどうして考えたんでしょうか?

もちろん、今でも雌雄の見分け方はわかりません。

子供の考えることは面白いです、メスだと思いこんで飼ってたんですから。

それは5割の確率で当たるわけですが、無性卵については考えも及びませんでした。

当時は、現在のように性に関する情報があふれていませんでしたから、親も教えるわけにも行かなかったのでしょう。

教えるチャンスだったのかもしれませんが、親は親なりの考えもあったのでしょう。

何れにせよ、こういった性のことや弱肉強食の意味や生や死などを知るきっかけが、昔は実体験を通してありました。

要するに知識として学習するのでなく、知恵として身体に思え込ませるチャンスがあったのです。

最近は土や野生に触れ合うチャンスが少なくなり、知恵を身につけ難くなっているのが、頭でっかちばかりを増やすのでないかと、どうしても心配になってしまう居酒屋コーチです。

2007年3月26日 (月曜日)

六地蔵(その21)

Photo_12 暖かくなってきましたので、六地蔵探訪に出掛けました。

金沢文庫「龍華寺」の六地蔵さんです。

境内、鐘楼の後ろ、墓所の入り口のところにいらっしゃいます。

舟形光背の大きなお地蔵さまです。しっかり墓所を守っていただけそうな頼り甲斐のある印象でした。

舟形に「南無阿弥陀仏」と彫り込まれています。

龍華寺は「真言宗御室派」のお寺さんです。

真言宗は「南無阿弥陀仏」と唱えないと思いますので(浄土宗で唱えます)、このお地蔵さんが初めに置かれた場所は、龍華寺の境内ではないと思われます。

廃仏毀釈の頃、路傍で打ち棄てられかけたところを助けて貰ったのでしょうか?

こうしてクルマの排ガスなど浴びずに、境内で静かに暮らされるのはお幸せだと思います。

既に紹介してきた路傍の六地蔵さんも、ほぼ例外なくどなたかが赤い涎掛けなどやお花を奉げてくれますが、私居酒屋コーチはその姿を見ると、日本人の優しい心根に頭が下がりますし、日本人で本当に良かったと思います。

今の子供はお地蔵さんに悪戯なぞしないでしょうから、もう天敵?は殆どいません。

あとは風雨にやられるだけですけど、どんなに小さくなっても大切にしていただきたいと思います。

2007年3月24日 (土曜日)

大きいモノは空からに限る!

Nakamozu 中百舌鳥上空辺りでしょうか、仁徳天皇陵が見えています。

鹿児島からの大阪空港へのアプローチでこんなによく見えました。

羽田からは左側に遠く見えるのかもしれませんが、私居酒屋コーチは見たことはありません。

仁徳天皇陵は地上からだと、ただの小高い丘(標高44m)にしか見えませんが、流石に空から見ると「鍵穴」の形が良く分かります。

お分かりでしょうが、「前方後円墳」ですから左の方(南方)が前部です。

居酒屋コーチの美的?感覚では、丸い方向が上すなわち前部の方が好きなのですが、古墳では違うようです。

もちろん何か理由があるのでしょうが、バランスが悪くやっぱり変ですよね。

2007年3月22日 (木曜日)

目標を見極める

Ca340364 先日NHKで放送された「アンジェラ・アキ」のドキュメンタリーを録画で見ました。

彼女は、2003年9月に3年後に「武道館に立つ」と言葉にして、3年3ヶ月後見事に武道館のソロライブを実現しました。

明確な目標を設定しそれに忠実に向かい行動した成果でした。

その努力は大変立派だと思います。

同様に誰でも実現したい現実的な目標を明確に決めれば、夢の実現は決して不可能ではないのです。

目標が明確になれば、夢はもう夢ではありません。

目標を登る山の頂上に例えれば、頂上を常に意識できれば、頂上を見通せる状態に自らを置こうと努力し、行動にブレがなくなります。

また、頂上を見通すことで自らを鼓舞しエネルギーが充填されます。

もし仮に、行動にブレが生じても頂上が何処にあるか明確であれば、修正も難しくありません。

アンジェラ・アキの夢の実現は、正しく「目標」の持つ大きな力を表すものでした。

さて、今日は13都道県の知事選の告示でした。

話題の東京では14名もの候補者が名乗りをあげました。

昨日も触れましたが、東京をより住みやすい街にしようと各候補は主張を繰り広げるのでしょう。

政策とは別に、候補者自身も何らかの目標を持っているはずです。

貢献・福祉・名声・地位・権力などいろいろあるでしょうが、私たち有権者は彼ら彼女ら自らの目標は何んなのかを掴み取ろうと努力をすべきだと思います。

彼ら彼女らの自らの目標が、明確でない場合は何れ行動にブレを生じ、引いては住民・市民にとって良からぬ結果を導くことになるからです。

つまり、現職知事のように公私混同・強権政策をするようになるのです。

行動のブレに付け込む力によって更にブレが大きくなり、最後には「裸の大様」化するのです。

そして、その悪影響を被るのは、私たち市民・住民です。

これは東京に限ることでなく、福島・宮崎もそうでした。

投票には、候補者自身の「目標」は何なのかを、見極めるよう努力しようではありませんか。

それが、結局は私たちの夢「目標」の実現につながっているはずですから。

2007年3月20日 (火曜日)

桜が咲く時期に思うこと

Sakura 東京で染井吉野が開花しましたね。

いよいよ本格的な春です。

もう花粉症も軽くなってきたので、お花見が楽しみです。

今日3月20日は12年前に地下鉄サリン事件があった日ですね。

早いものでもう12年も経ったのです。

主犯の浅原彰晃は死刑が確定しましたが、事件の動機等の全容がよく分からずに終わってしまうのが残念です。

ともかく指名手配になている「平田」「高橋」「菊池」3人を、あと2年の時効前に逮捕して少しでも事件解明を進めて欲しいものです。

私居酒屋コーチは当時広島に赴任になって5ヶ月経っていましたが、朝9時少し前、NHKラジオで「地下鉄で異臭が発生し運休になっている」と言うニュースを、会社に向かう「京橋」の上で聞きました。

その時はまだこの凄惨な事件であることは分からずにいたのですが…。

この日から、テレビのワイドショーで、「オウム真理教」が話題になっていく訳です。

事件の起きた時期は、1月17日の阪神淡路大震災の直接の被害から漸く脱却し、世間が落ち着こうかと言う頃でした。

そんな時に、人間によるテロが人々の安寧を再び破ったのです。

当時、この毒ガスによるテロは、社会の安全を根本的に覆すパンドラの箱を開けてしまったと言われたものです。

幸いにして、毒ガスのテロは世界でも起きていないのは幸いです。

我が国においては、あれ以来テロは起きていませんが、世界では9.11やスペインとロンドンの公共交通機関のテロ等が発生しています。

我が国だけが起きないのが不思議でなりません。

しかし起きていないのは事実です。

公安による治安が保たれていることも否定しませんが、それ以外の要因もあるように思います。

我が国は、この事実を文化や伝統的背景も含めて解明し、その成果を世界の平和のために国連等で提案すべきではないかと思います。

世界の嫌われ者とも言われる日本が、テロに合わないのはそれなりの理由があるはずですから。

2007年3月18日 (日曜日)

六地蔵(その20)

Ca340354 春の日差しに誘われて佐島方面に行ってきました。

日差しは確かに春なのですが、寒さは一級でした。

もうすぐ太陽が赤道を越えるの訳ですから、紫外線が強くいま顔が少しヒリヒリします。

昨年7月7日に書いた、「子産石」のそばの「円乗院」の六地蔵さまです(久し振りですね)。

真ん中に「聖観音」を共にされ並んでいます。

画像では判り難いですが、一番左のお地蔵さまの頭が失われています。

路傍にあった時に頭が失われて置き換えられたのでしょうか?

でも流石「子産石」の産地、肩の上に「子産石」が置かれています。

もうお彼岸なので、お墓と共に花が供えられていました。

境内墓地からは、久留和の「ひねもすのたりのたりかな」の海が良く見えて、疲れもすっと引いていきました。

2007年3月17日 (土曜日)

空の0系?

F50 火達磨のボンバルディアDHC8-Q400が、これまでに7回胴体着陸事故を起こしているとの報道がありました。

ただQ400の運用前の時期にも3回あったとあるので、DHC-8シリーズで7回あったようです。

何れにせよ、キチンと問題解明し改善を進めて欲しいものです。

地方空港間を結ぶ貴重な飛行機ですから。

どこの空港に行っても、羽田にある機体じゃ楽しくないですからね。

ただでさえ、日本はどこに行っても金太郎飴化してつまらなくなっているんですから!

折角遠い街に行って、「白木屋」「魚民」「和民」…の看板を見せつけられる寂しさは極力減らして欲しいと思います。

今回、事故を起こした「エアーセントラル」は、以前「中日本エアラインサービス(NAL)」と呼ばれていた名鉄系の会社でした。

それが最近ANAの資本が入りANAグループ会社化したようです。

NAL(航空宇宙技術研究所みたいですね)当時の機材が、画像のフォッカーF50です。

昨今のCDを下げるためのウェッジシェイプ(クサビ型)のノーズに比べ、いかにも流線型(何とも懐かしい言い方ですね)で、0系新幹線のような愛らしい顔つきです(赤鼻のワンちゃんのようでもあります)。

「フレンドシップ」と呼ばれ、昔は羽田でも見ることの出来た機体の後継です。

室内の広さはダッシュ8やCRJと同等で、2+2の四列シートです。

そこそこ快適です。

前にも言いましたが、YS11のような閉所感はありません。

エンジン音はそれなりにありますが、やはりYSのような不安になるような騒音ではありません。

YSのエンジン音は、いかにも目一杯回っているという緊張感のある音で余裕感がありませんでした(エンジンが壊れプロペラが室内に刺さるのではと杞憂したものです)。

F50の飛行高度はジェット機よりも低いので、地上が良く見え楽しいフライトです(YSも低く、自分の影が地上に写っているのが見えました)。

F50も順次Q400に替わってしまうようなのが寂しいですね。

大事に大事に使って欲しいものです。

いくら旧いと言ってもジェットよりは、低燃費だとは思いますので。

LOHASにいきましょうよ!

2007年3月16日 (金曜日)

やえもん

Ca340337 懐かしい絵本です。

西鎌倉の県道(手広~腰越間)沿いにある”サニーサイドキッチン(sunny side kitchen)”という店に置いてありました。

本屋さんにも売ってるんでしょうが、絵本のコーナーには行くことはあまりありませんからね(”葉っぱのフレディー”を買って以来でしょうか?)。

作が「軍艦長戸の生涯」の阿川弘之氏とは知りませんでした。

私居酒屋コーチは古いものを大切に出来ない性格なもので、新しいおもちゃなどが手に入ると古いものは壊す運命になり、最後はバラバラになってゴミとして捨てられました。

プラモデルは、2B弾や爆竹で破壊され燃やされました。

お陰でいろんなものの構造などを知ることは出来ましたが。

本は子供として敢えて捨てた覚えはないので、親が捨てたのかとんでもないところに隠れているのかもしれません。

押入れに入っているものを引っぱり出すと面白いものが出てくるかなぁ…。

2007年3月12日 (月曜日)

歩けませんが動きました

Ido_1 あと数年で拡張される道路の交差点にあった石像が、お堂ともども移動していました。

馬頭観音と青面金剛3体がおまつりされています。

まだ道路の工事は始まりませんが、交差点での見通しも良く出来るので移動した(させた)のでしょう。

移った先はご覧のように高い場所になり、眺めは良くなりました。

しかし、人通りが殆どないので、通り掛けに声をかけて貰えることが少なくなるでしょう。

少しお可哀想ですよね…。

私居酒屋コーチでも、路傍の石像には通りすがりにちょっと気づいた時には会釈をしたくなるものですが、これだけ離れてしまうとちょっと難しいかもしれません。

ここの石像に関わらず、このように移動させられたりしているのは少なくありません。

維新後の廃仏毀釈では、神社のそばに六地蔵が持っていかれたりしました(神社の配下?にされる)。

道が出来たり、災害があったりで動かされたこともあったでしょう。

それでも、残って大事にされれば幸せです。

中には投げ捨てられ忘れられ、ある日突然工事等で掘り出されるような石仏もあるようです。

場合によっては売買の対象になったりすることも…。

残念ながら風化で小さくなり何れは無くなってしまいますが、形ある限り大事にしていきたいと思います。

私たちの大切な文化なのですから。

路傍の石像に目を向けてくれる人が一人でも増えて欲しいと思って、こうしてブログを書いています。

2007年3月 9日 (金曜日)

田部長右衛門さまさま!2

Img001 アクセス数が減っています。

アクセス分析を見ると、検索キーワード「田部長右衛門」「土風呂」から入ってこられる方が多いのです。

「土風呂」さんは正しくは「土風炉」なのですが、皆さん「炉」を「呂」にお間違いになって私居酒屋コーチにブログにやってきていただけます(居酒屋コーチも間違っています)。

「田部長右衛門」さんは、NHKの1月21日の再放送以来アクセスが多かったのですが、流石にその影響もなくなったようで、こちらのアクセス数が減ってきているのが全体を押し下げているようです。

ところで、居酒屋コーチは、たたらの「田部家」以外の御三家「櫻井家」「絲原家」のことについても書いてみたいのですが、実は余りネタを持っていません。

その中で今日は、「櫻井家」について少し書いてみましょう。

櫻井家の拠点は、広島県堺に近い山奥に「可部屋集成館」にあります。

櫻井家の屋号が「可部屋」です。

江戸時代にこちらに移る前に、広島の可部に居を構えていたようです。

可部は2年ほど前にここより先が廃線になったJR可部線の終点です。

廃線になった区間は、非電化でしたが可部までは電化されています(単線ですが)。

可部の町は出雲街道とも呼ばれるR54沿いにある宿場町です(広島市が政令指定都市になる際併合)。

ですから可部町(広島の人は今でもこう言います)には、旧い家並みが残っているようです(何度も通っているのですが、ぼおっとしていて覚えていないのです)。

脇道が長くなりましたが、可部から櫻井家はたたらに適した仁多町(現奥出雲町)に移ったのです。

たたらで財を成したので立派な庭園のあるお屋敷に住まわれていて、一部を公開しています。

また維新後も、たたらの特性を活かした「角炉」という設備を作って製鉄を続けていたそうです。

この設備は、程近い「たたら角炉伝承館」で見ることが出来ます(無料です)。

作って壊さなければ鋼を手にすることが出来ない「たたら」の欠点を補った設備です。

ちなみに商品には「菊一印」と呼ばれていたそうです。

櫻井家も、田部家と同じように政治家や実業家(自動車販売等)としても活躍されたようです。

これから気候が良くなりますので、奥出雲~安来まで「和鉄」を訪ねてみるのをお勧めします。

見所が点々としていますが、クルマで行けば安来まで何とか一日で回れないことはありません。

出来れば「玉造温泉」辺りに宿をとって行かれるのが最高ですね。

2007年3月 7日 (水曜日)

ロケット漬け?の一日 3

Ebisu (同じ日のネタで3回目もご免なさい)先日の「第2回宇宙旅行シンポジウム」終了後久し振りにロケット時代の行きつけ、西荻「戎」に足を伸ばしました。

何年振りでしょうか、西荻の駅に降りたのは。

バリアフリーでエスカレータが付き、改札の目の前の風景が若干変わっていましたが、基本的に大きな変化はありません。

北口も南口も一見したところではそれほど変わっていないようで、ちょっとホッとしました。

田舎が変わって欲しくないという気持ちって、こんな感じなんでしょうね。

さて、電車と並行する駅前の一方通行道路を渡って、「ちゅう屋(戎のこと)」を目指します。

記憶より奥まった感じがしたのは、北に向かって右手の風景が変わったからでしょうか。

それでは、ちゅう屋に入りますが、何とキチンとした扉が付いています。

昔?の厚手のビニールカーテンではないのです。

冬の北風を考えると勿論こちらの方が優れているのは判りますが何故かがっかりです。

中に入ると土曜日の6時半と言うのに、お客さまが一杯です。

4人掛けテーブルに丁度座れましたが、もう少し遅れると右奥の座敷に合席になるところでした。

「今日は2時間でお願いします」と何時もの黒い丁シャツを着た店員さんに言われます。

へぇ土曜なのに!?と思わざるを得なくなります。

だってサラリーマンのお店ですよ!

愚痴りたい気持ち(今日は違いますよ)を抑えつけられたような気分で、誰の味方だと思いました。

メニューを手に取り(これも珍しいことです。当時は値段も見た覚えが殆どありません)、まずビールの銘柄を見てみます。

「アサヒ・キリン・サッポロ」とあります!

そうです、ビールが選べるようになったのです。

ちゅうやでは、ビールと言えば「サッポロラガー」と決まっていたので、随分とお客さま志向になったもんだと半分感心し、またまた半分がっかりしました。

「まずは生」のあと、2杯目以降はサッポロラガーを頼んだのは当然です。

食べるものは、「煮込み」「イワシコロッケ(画像)」と「水餃子」の定番のほか焼き鳥です。

若干洗練されたような気もしますが、基本的には懐かしい味です。

店の雰囲気も若干清潔になり過ぎた雰囲気もありますが、土曜の一見の客が多い日だからかもしれません。

でも、子供を連れて入って来るのは反則だなぁ(子供向きではありません。イワシコロッケを食わすなら、お父さんかお母さんが作ってやるべきです。簡単なんですから)。

変わっていないのは、カウンタの上のチュウハイ用梅酒入りビンと茶色の台布巾(当時ほど汚くはありませんが)に、手書き伝票(相変わらずメモ用紙に店員さんが鉛筆でゴシゴシ書いています)でしょうか。

2時間で追い出されることも無く、十分に味と雰囲気を堪能して、一人2500円弱で店を出ます。

前述しましたが、店を出た大事な雰囲気が全く変わりました。

古い中華やスナックの入った店舗が無くなり、1階に小奇麗なショップ(揶揄して書いてるんですよ)のあるマンションになってしまったからです。

建築条件のため道から奥まることも相まって、妙に空が開けています。

愚痴を言って酔った頭に、空なんか見える必要はありません。

秩序ばっちゃいけません。

混沌があって救われるんですから。

折角、昔を懐かしんで気持ち好く柔らかくなった頭の中を、清潔なステンレスの籠で動かないように固定されたような気分になってしまいました。

様々な町や地域で、混沌が整理されていっています。

基本的にはそれによって効率的に清潔にかつ安全になるはずなのでしょうが、「水清ければ魚住まず」と言うように、逆効果を及ぼすことも少なくないと思います。

余りに効率的・効率的にと考えるのも如何なものと思った、効率が凄く大事なロケットのお陰で楽しめた一日の最後でした。

2007年3月 6日 (火曜日)

氷上歩行

Img009_1 11年前の3月上旬です。

この冬は結構寒かった年でした。

確か12月の初めから芸北の山はガンガン雪が降っていました。

ダム湖にも厚い氷が張り、氷上を向こう岸まで歩くことが出来ました。

ただ、法面と氷の間に隙間があり、そこの所は氷が割れ易くなっているので気をつけて氷の上に乗らないと落ちることになります。

やっぱり落ちるのは怖いので、どうしてもへっぴり腰になってしまいます。

それでも氷に乗ってしまうと、氷を渡る風と一体になったような浮遊感が何とも気持ちの好いものでした。

もちろん、何時氷が割れるかもしれないと言う恐怖感は常に付きまといますが、何とも言えない冬の楽しみのように思います。

今年は温暖化の影響のようで、どこでも氷が薄かったり無かったようです。

折角の楽しみを奪ってしまった自分たちに、×を与えなければいけません!

2007年3月 5日 (月曜日)

ロケット漬けの一日!?2

1 宇宙旅行をするには、地球を宇宙を往復しなければいけません。

そして誰もが何とか払えるような金額で実現するには、宇宙往還機が必要になります。

現在、往還機は米国NASAの”スペースシャトル”しかありませんので、新たに開発が進められているわけです。

ところで、シャトルとは「杼(ひ)」の英語です。

杼とは、布を織る織機の一部品で、布の横糸を通すために左右に往復する役目を負っています。

スペースシャトルも、宇宙と地球を往復するのでそう名付けられたのです(同様にラケットの間を往復するので、バトミントンの羽もシャトルと言います)。

画像がその現物です。

これは、全長は34センチで、本体は木製です。

鶴のつうが織る織機の杼はもっとずっと小さいものだと思いますが、これは結構大きいですね。

その本体に、金属や樹脂の部品がついて全部で15点くらいほどの部品点数で構成されています。

画像の立ち上がっているシャフトに、横糸のボビンを差し込んで内側に織り込んでから、織機にセットします。

織機が動き出すと、この杼が何十・何百の縦糸の中を掻い潜りながら左右に往復するわけです。

いま言ったように、縦糸の間をすり抜けながら何度も往復するので、両端には金属の帽子が被せてあって、先端が磨かれ尖がってギラリと光っています。

現代の織機は、この杼がない「無杼織機」が主流です。

横糸を、水や空気で横に飛ばすのです。

杼が飛ばない分高速化が出来、糸の補充やトラブルも少ないので、昼夜兼行で布を織るのには好都合なのです(そうです、織屋さんはよく働きます)。

水で濡れても構わない糸は水で飛ばし、濡れてはいけない糸は空気で飛ばすのが一般的なようです。

布というのは、普段私たちが必ず厄介になっているものですから、織機の無くなることはまずないでしょう。

織機は地味な機械ではありますが、本当に私達を支えてくれる力持ちです。

ちなみに、日本製織機は世界ナンバー1のシェアを持っています。

2007年3月 4日 (日曜日)

ロケット漬けの一日!?

Ca340318 昨日、日本ロケット協会主催の「第2回宇宙旅行シンポジウム」を行ってきました。

参加者(聴衆)は150人弱ほどでなかなかの盛況でした。

基調講演を「山根一真」氏をされ、その他5名の宇宙旅行に関わっている方の講演・パネルディスカッションと、3時間半に盛りだくさんでした。

私居酒屋コーチは、この業界から離れて久しいので知らなかったのですが、何と2008年から米国で実際に宇宙旅行が始まるとのことでした。

宇宙旅行と言っても、3~5秒の成層圏飛行(弾道ミサイルのようなもの)ですが、商品としては地球周回や軌道ホテルの宿泊や月旅行も販売されているようです。

驚きです!

さて、ここで話題になったのが、我が国が有人の宇宙ロケット等に着手が遅れているということでした。

有人飛行では中国に遅れをとり、月探査でも中国・インド辺りにも遅れをとりそうなそうです。

有人飛行すなわち事故による犠牲が必ず付きまといます。

人命に関して余りに神経質な文化?は、世界に貢献さえも出来なくなりそうです。

宇宙飛行士になりたい方が死を恐れるようなことはないと思いますし、人命が関わればロケット等に製造や支援側も全く違う意識レベル・プログラム(パラダイムシフト)で取り組むことになると思います。

そういう気持ちを忖度しないで、「人命は地球より重い」で済まそうとするのは、世界平和を希求する国家としては失格です。

現実では、企業戦士として命を賭して頑張ってきた人たちが多くいたからこそ、今の日本はあることを忘れてはいけません。

確かに不本意で命を失った方(いわゆる想定外)も多いのですが、それを覚悟(想定内)でやろうとする人の熱意まで殺いでしまったら、我が国は腑抜けの国になってしまいます。

現役の航空会社のパイロットに、宇宙パイロットになりたいかの話をしても、熱意を感じられないという話があって愕然としました。

夢や挑戦でパイロットになったのではなく、収入やカッコよさの魅力だけでなったのではないかと疑いたくなります(だとしたら完全なヘタレです)。

優れたロケットを早く安く作るには、職人の技が要ります。

その技能さえも、今のような成果主義が蔓延していけば、あと数年長くとも十数年で失われてしまうでしょう。

早くしないと、上述のように世界・人類に貢献できないことになります。

国は平和国家としての宇宙に対するビジョンを、早急に決めるべきです。

実際は、宇宙も含めた平和国家像ですが…。

2007年3月 2日 (金曜日)

桜が咲きました

Kaika 明日は「桃の節句」というのに、桜が咲きました。

既に書いたように、「てんぐす病」で倒した染井吉野の枝を花瓶に刺しておいたのが咲いたのです。

普段はどのように咲くかなぞ良く見たことがなかったのですが、この花は毎日良く見ることが出来たので随分勉強になりました。

一つの蕾から一つの花が咲くのは間違いで、3つ(以上?)の花が付くことが分かりました。

また、思ったよりゆっくりと花が開いていくのも予想外でした。

あと、2週間もすると外の桜も開花するでしょうから、今までよりほんの少し注意深く観察することをお勧めします。

小さな発見でも、自分の目で発見することは嬉しいものですし、見つけた自分が愛おしく感じられます。

心がほんの少し大きくなったような気がして、優しくなれそうな予感に嬉しい一日でした。

2007年3月 1日 (木曜日)

格差社会の根本

Nakanoyumi 3月になりました。

1月は「行く」、2月は「逃げる」、3月は「去る」と言いますが、年明けの3ヶ月は、決算・確定申告・入試・卒業などバタバタすることが多いので、あっという間に時が経つように感じるでしょうか。

私居酒屋コーチも毎年時間が経つのが早くなって行くように感じ、焦る必要もないのに焦ってしまいたくなります。

時間が誰にとっても公平なのでしょうけど、残念ながら世の中には公平でないこともあります。

小泉内閣のころからでしょうか、ワーキングプアと呼ばれる働けども豊かになれない不公平がじわじわと押し寄せてきました。

所謂、格差が急速に広がってきました。

一億総浮かれのバブルが雪崩をように崩壊して去り、ITバブルがやってきて、勝ち組/負け組などの言葉が流行り始めた頃から、顕著になってきたように思います。

勝ち組なぞそんなにいる訳もありませんので、なぜ格差がそんなに広がっているのか分かり難いところがありましたが、この本を読んでかなり理解が進みました。

この本とは、中野麻美氏による「労働ダンピング-雇用の多様化の果てに」です。

バブルのつけと米国のグローバルスタンダードの侵攻が、如何に格差拡大をもたらしたかが良く分かります。

が、もっと根源的な問題があると筆者は言います。男女間の性差別に起因しているというのです。

つまり、男性は仕事をすることによって家庭の経済的責任を負い、女性は家庭の育児等の家族的責任(実際は経済的責任も負っている)を負うと考えることが、根本的な要因としてあるとしています。

本来なら、男女平等に、家庭の経済的責任と家族的責任を負うことが差別のない状態であるべきなのです。

ところが、一般的に差別解消を女性の側で考えるので、結果として(詳細はお読みください)労働力のダンピング(パート・派遣・業務委託の低廉な労働)が進行してしまい格差が広がり(固定化される恐れも。小野由美氏「超格差社会アメリカの真実」も参考にされたい)、家庭を犠牲にせざるを得ない男性の長時間の労働を招いていると記しています。

オランダでは、男女ともに経済・家族的責任を果たす発想に立って改革が進められ、実効を挙げつつあるとも紹介しています。

「天は人の上に人を造らず、人の下にも人を造らず」と福沢諭吉も言っているように、誰しもが平等である暮らしをする権利を持っているものです。

それを行使するかどうかは本人の問題に帰することですが、他人や増して国家がそれを妨げることがあってはならないことです。

某文科大臣が、先日「人権メタボリック症候群」云々と発言していたのは何をかを言わんやです。

日本はどこの社会主義国より社会主義の進んだ国と揶揄されたりしましたが、ある意味国家レベルでの壮大な実験の成功事例だったのでしょう。

冷戦状態がなくなり、グローバルスタンダードに対抗するかのようにナショナリズムが台頭し、かつての第3諸国が経済発展を遂げている現在においては、今まで通りのやり方では通用しないでしょうが、伝統や風土(日本でも戦前までは、男女とも同じように働いていたのが普通であり、男は会社女は家庭というのは戦後のサラリーマンの生活にほかならない)をベースに残しつつ、コツコツと改善を進めていくことが大事であると思ってやみません。

まずは家庭の中で、男性側の家族的責任について話し合ってみることが必要なのでしょうね。

2007年2月27日 (火曜日)

もうすぐ咲きそう!

Cherry 先日、東横線の高架下の壁画について書きましたが、今日のA新聞にその記事がありました。

壁面を横浜市が管理し、イラストを描くグループを公募して、現在イラストを描画しているようです。

詳しくはこちらを参考にしてください。

ネットで見る限り、余りトーンが変わってないようにも見えますが、出来上がったのを楽しみにしたいと思います。

こちらも過日書きましたが、切り倒した桜の枝の蕾が今にもはち切れそうに膨らんできました。

明日辺りは咲くのではないでしょうか。

この桜は、「てんぐす病」という病気にやられたので切りました。

この病気にかかると、枝の一部が箒状に成長して花が咲かなくなるので、ほかの桜に広がらないように取り払う必要があるようです。

水の豊富な堤防の桜にはてんぐす病は少なく、山のように水の乏しいところに植えた桜に多いとのことです。

確かに、裏山のハイキングコース沿いに植えられてある染井吉野に、結構な割合で箒状の枝が多いのに気づきます。

このまま放っておいていいのか、少し心配ですね。

2007年2月24日 (土曜日)

新線!?

Rail_1 3年前に廃線になった、東京急行東横線横浜駅~桜木町間の工事が本格化して来たようです。

既に桜木町~高島町駅間は線路が除かれていましたが、遂にバラスト(砂利)も除去されコンクリの路床が剥き出しになりました。

跡地は遊歩道になるなんて話がありましたが、実際はどうなるんでしょうか?

遊歩道と言っても、脇を根岸線がガンガン通るんですから、のんびり歩くなんて出来ませんよね?

この高架の下のブロック壁にはスプレーペイントがびっしり描いてあります(どうコントロールされているかは知りませんが、現在は公認のようです)。

どちらかと言うと、似たような傾向で暗っぽい画が多くて、世相を反映している雰囲気があります。

要はあまり面白くありません。

昔の悪戯書きの時のほうが、体制に反抗した型に囚われない元気があったように思うのは、私居酒屋コーチだけでしょうか。

2007年2月22日 (木曜日)

ツルの絡まる…

パーソナルコーチ 今日は暖かかったですねぇ(こんな風に書いたのは今年初めてではないでしょうね)。

家の中より、外の方が暖かいぐらいに感じます。

ともかく今年の冬は暖かいので、我が家の「コレセウムアイビー」はずうっと花を咲かせていました。

昨秋、植木屋さんがガンガン抜いたのですが、その時に種がいっぱい蒔かれたお陰で、あちこちで芽が出てきました(元々どっかから飛んできて勝手に生えてるんですから)。

今年は、北側大谷石の法面をコロセウムアイビーで、ツルの絡まる法面にしてやろうと思っています。

去年のトライでは下面からなかなか上に登ってくれないので、今年は上端部から下に垂れ下げてみようと思います。

あと、大谷石に出来た穴に土といっしょに植えることも並行してやってみましょう。

これがある程度上手くいくと、後は勝手に種が蒔かれて一面に広がると思うのですが、初夏が楽しみです。

そう言えば、先日桜を間伐した際に持ってきて、家の中に挿してある枝の蕾がずいぶん膨らんできました。

ウェザーニュースの予報では、3月20日が開花予想のようですが、それよりは間違いなく早そうです。

いずれご報告出来ると思いますので楽しみにしてください。

ところで、早い開花は夜桜が寒いので、私居酒屋コーチはあまり好きではありません。

ともかく寒いですから。

でも、暖かくても寒くても、花粉症の居酒屋コーチには、春の屋外は苦手なのですが…。

2007年2月17日 (土曜日)

やっぱり爆竹!

Shunsetsu 明日は「春節」(旧暦の正月)です。

中国やベトナム(テト。ベトナム戦争の時テト休戦ってありましたよね)等で、祝われます。

中国では、祝い事に爆竹を鳴らしますが、春節でもあちこちで鳴らすらしいです。

北京では、危険でうるさいからと一昨年まで、爆竹は禁止されていて、昨年から13年振りに春節の時だけはOKになったそうです。

日本の爆竹は、1本が子供の小指より細く小さいもので、5~10本位が連なって、パンパンと結構な音がしますが、中国のは全然違います。

まず1本が大人の親指より太く長い!

そして、連なる長さが何メートルにもなり、スケールが違います。

それを一遍に何本にも火をつけるのですから、その凄まじい音は尋常ではありません(煙も)!

思わず耳に手を当てたく、と言うより指を耳の穴に突っ込みたくなります。

それこそ、こんな事をそこここでやられたら堪ったことじゃありません。

テロが起きてもわからないんじゃないかと思います。

でも、1年の始まりくらいはぱあっと行きたいのは人の常。

いいじゃありませんか、爆竹ぐらい!

一度は見てみたいですねぇ。

2007年2月15日 (木曜日)

流れて成長しますよ

Suimon 釧路駅から、釧網線に乗り2つ目の遠矢駅で降り、しばらく歩くと「岩保木山」に着きます。

岩保木山の反射板からの釧路湿原の眺めはガイド本にも載って有名です。

山を下りて湿原の方へ行くと、釧路川の放水路と旧釧路川を分ける「岩保木水門」があります。

中に入って良かったのかは、今となっては前世紀の話なので分りませんが、風を防げる水門小屋の中から湿原を見たのがこの画像です。

放水路(新釧路川)に浮かぶ「蓮氷」です。

川の水が凍り、流れ出すと氷の縁に水がかかり凍る。

それを繰り返すうちに、縁が高くなりお釈迦様が坐る蓮の花の葉っぱのようになるので、「蓮氷」と呼びます。

ゆっくりゆっくりと太平洋に向かって流れていきます。

2007年2月 7日 (水曜日)

流氷は優しい!?

Photo_4 オホーツクを見て走る国鉄は、北見枝幸駅までの興浜北線と、雄武駅から興部駅までの興浜南線に別居婚状態でした(何れは結ばれる予定でした)。

北見枝幸と雄武間は宗谷?バスで乗り継ぎます。

汽車(ディーゼルカー)よりバスの方が、海沿いの国道を走るので少しだけ眺めが良好です。

お目当ての流氷は接岸してはいますが、一部海が覗いたりもして完全に氷に覆い尽くされてはいません。

力強いと言うより、静かにとても変化のゆっくりした優しさを感じたのは私居酒屋コーチだけでしょうか。

ともかく静かなのです。

所々、風か海流の影響なのでしょうか、氷同士が折り重なったところもあります。

流氷は一晩でやってくると聞きましたが、これほど多量の氷が一晩でいなくなったり、接岸すると言うのは俄かには信じられません。

北見枝幸からのバスに乗るために、仕方なしでも汽車を降りるのは、岸近くで流氷を眺められるチャンスです。

何せ列車内の暖かい快適さを、途中下車をしてまで破るのはとっても勇気が要るからです。

雄武から再び国鉄に乗り、本日の目的地紋別を目指します。

バスに比べると汽車はとても暖かく幸せです。

内地のデッキの無い吹きっ曝しの電車と比べるべくもありません。

ですから道内の若者はパッチなぞ穿いていません。

そうなんです、基本的に外を歩くということは無いのでそんなもの暑いだけなのです。

もちろん家の中でも結構薄着です。

最近は首都圏でも、家の中で薄着をしている方が多いですが、道内では随分前から薄着でした(米国流?)。

暖かい汽車でビールを喉に流し込むのは本当に至福の一瞬でした。

鉄道が無くなり、おまけに今年は流氷も少なそうということ。

なぜ、世の中にモノがあふれているのに、幸せが減ってしまっているのでしょうか?

寂しくて空しくて仕方ない居酒屋コーチです。

2007年2月 6日 (火曜日)

自動ドア付き○○

Autodoor 今日から「さっぽろ雪まつり」が開幕だそうです。

札幌もご他聞に漏れず雪不足のようで、5トントラック6000台の雪を運び込んだそうです(5トントラックって雪何トン積めるのかしら?)。

6000台ものトラックを使って雪を持ってくるのは、エコではないですねぇ。

外国からの方も含め200万人以上のお客さまが、やって来る大イベントですから仕方ないとは言え、雪の少ないときはそれなりのイベントを考える時代になってきているような気もします。

さて、そんな札幌ですが、バブルもはじけた時代にこんなモノを見ました。

自動ドア付き電話ボックスです。

冷房付き電話ボックスは見たことがありますが、こんなのは初めてです。

嬉しくなって思わずシャッターを押しました。

両手がふさがってたり、土砂降りの時などには便利でしょうが、車椅子で入れるわけでなし何のためなのでしょうか?

それとも、零下の冷え込みで冷たくなった取っ手の金属に、手がくっ付いちゃうのを防ぐためでしょうか?

昔の旭川辺りでは、マイナス20℃以下になると、クルマのドアノブに素手で触ってピタッとくっ付き離れなくなったなんて話を真しやかに聞きましたが…。

札幌ではそんな寒くならないでしょうし、やっぱりバブルの落とし子なのでしょうか?

何れにせよ、携帯の普及で今や電話ボックスで電話することがまれになってますから、もう無いかもしれませんね。

誰か知りませんか?

2007年2月 4日 (日曜日)

いよいよ再出発!

010 2月某日、道内入りしてから早や3日が経ち、いよいよ流氷に会いに出発です。

クッチャロ湖でスノーモビルや歩くスキーを楽しみ、もう少し留まりたいとの誘惑を払い退け、流氷に牙を抜かれたオホーツク海を、氷と共に南下する予定です。

その前年から北海道の魅力に取り付かれ、やはりその寒さと雪を体験しておかなけばと言う強迫観念にも似た憧れを抱えやってきました。

当然、道東の流氷を見ることは大きなアイテムになりました。

前々日下りた国鉄天北線浜頓別駅は雪模様でしたが、今日は快晴の空の下にまどろんでいます。

DE15のラッセル車の出動も今朝はなかったようです。

これから北見枝幸駅まで興浜北線の乗客となり、バスと国鉄に乗り継ぎ紋別を目指します。

情報によると流氷は既に接岸しているはずですので、進行方法左側の席を取ります。

雪模様の津軽海峡を3日前青函連絡船で渡り、札幌で知人に合い一泊し、宗谷本線を急行「宗谷」で音威子府経由でやってきた浜頓別ともお別れです。

20数年経った今となっては、浜頓別の駅前がどんな風景であったか寂しいことに思い出せません。

天北線も89年には廃線となり駅前と呼ばれる風景も、凍土と共に土に化しているかもしれません。

当時、北海道の方々が駅前商店(街?)にやって来つつも「汽車なぞ使わないもんなぁ(北海道弁で)」と言うのを聞きながら、駅前が寂れていく姿を見て悲しく思ったものです。

まさか10数年経ち内地の中核都市でさえ駅前が廃れていくとは夢にも思いませんでした。

変化の波は必ずしも中央(都会)からやってくるものではないのです。

中央で良かれと思ったことのシワ寄せが、まず国土の縁で秩序を崩し始め、津波が対岸で跳ねかって来るようにジワジワと中心に向かって戻ってくるのです。

国家のことを中央(東京)で考えることの憂いの大きさを、そろそろ本当に反省するべき時なのだと思います。

2007年2月 3日 (土曜日)

今年初めての氷柱(つらら)

070203_09470001 今朝は寒かったですね。

こんな氷柱が下がっていました。

今シーズンのお初です。

でも、明日からは暦の上では春です。

それを予告するがの如く昼間は風もなく暖かい快適な一日でした(今は南風がやや強く吹いています)。

「暦の上では」というくらいまだまだ寒い日が続くのが、通常の2月です。

「衣更着(如月・きさらぎ)」というくらいですから。

ところが、今年は1月中にスギ花粉が飛んだり(私居酒屋コーチもクシャミ・鼻水が止まりませんでした)、あんなに去年は積もった新潟市では積雪がなかったりと全く変な陽気です。

「変なのは陽気だけなら良いけど」みたいに、昔は簡単に言いましたが、昨今は陽気即ち気候の変化は、生態系だけでなく経済や外交など、世の中全てにと言っていいほど広範に影響を及ぼすことがわかってきました。

暖かくて好かったと済まさずに、色々と注意を払っていく必要があるようです。

もちろん自分として出来る範囲のことでもです。

例えば、家庭菜園もタイミングや植えるものを考え直す必要もありますね。

2007年1月30日 (火曜日)

いよいよ19日後!

Saidaiji 深夜12時、本堂(右の建物)の天井付近から、陰陽2本の「宝木(しんぎ)」が投げ込まれます。

昨日から、「会陽(えよう)」の準備が始まりました。

当日、投げ込まれる宝木に香を焚き込む等の行事が進められていきます。

一般的に「裸祭り」と呼ばれるように、まわし一つの男たち(1万人?)が宝木を奪い合います。

福にあやかろうとする参拝者を含め、3万人もの人で境内は埋まるとのこと。

カメラの背中の方に、有料観覧席が常設で用意されています(私居酒屋コーチは行ったことがないので、招待されてみたいものです)。

多数の男の中で、細く短い宝木がどうやって奪い合うのか不思議に思いますが、香の匂いで何処にあるのかが分かるのだそうです。

とても一人で獲ることは出来ないそうで、チームを組んで臨むそうです。

戦術的にも、恰もこちらで持っているかのように見せる役割など、結構細かく戦術を決めるチームもあるとのこと。

そうでもしないと1万人の中から宝木を奪い取って、「福男」にはなれないのです。

画像は、「会陽」前の冬のひと時です。

こどもが境内で遊ぶ風景に500年の歴史を感じさせます。

居酒屋コーチももう宝木を奪い合う気力も体力もありまえんが、雰囲気だけには浸りたいものです。

今年の西大寺の「会陽」は、2月17日(土)です。

2007年1月26日 (金曜日)

一曲がり?

Ca340246 鎌倉街道「七曲がり」付近です。

随分前から4車線化工事が進められていましたが、漸く完成です(工事か竣工碑が出来てました)。

そのお陰で、曲がりが殆ど無くなってしまいました。

頑張っても、「三曲がり」くらいしか数えられません(笑)。

実はこの画像の右側の方に細~い旧道があり、そちらなら小学1年生でも曲がりを七つは数えられそうです。

別に正しく七つあるわけではなく、少し多いという象徴的表現でしょう。

江戸方面から鎌倉に入る道で、初めて上る比較的大きな坂(峠)です。

箱根駅伝で有名な「権太坂」とほぼ同じ標高の60m弱ありますから。

東海道ほど立派な街道ではないでしょうから、狭い道がくねくねと続いたと考えられます。

切り通し(峠)辺りは、木立に隠されて薄暗くなっていたと思います。

狭いきつい曲がりを回るとその先には何かいるかもしれないと、少し不安な気持ちで通り過ぎて行った方も少なくないでしょう。

そんなことで、曲がり角が多いから気を引き締めて行けよと、「七曲がり」と呼ばれるようになったのかもしれませんね。

2007年1月24日 (水曜日)

早く行ってみましょう!

Tomioka 群馬県富岡市の旧官営富岡製糸場(片倉工業所有)を含む、「富岡製糸場と絹産業遺産群」として、世界文化遺産に文化庁の暫定リストに載ることになりました。

画像は、製糸場の「東繭倉庫」です。

古~いデザインの赤いポストが似合っています(後から建てた臭さもありますが)。

現在は、建物を外から見学出来るようです。

クルマで行かれる方は、時間にゆとりを持って行かれることをお奨めします。

周辺の道路は結構狭いですので、駐車場に入れるのに苦労するかもしれません。

旧国道沿いに、「キンカ堂」がありますので、そこの駐車場も良いと思います。

お土産も売ってますし、そこから町の中をノンビリと歩くのも乙なものです。

高い無粋な建物も少なく、昔ながらのしもた屋の家並みの中を歩いて、明治に思いを馳せてみましょう。

残念ながら、ここでも路地で子供が走り回って遊んでいると言う光景には会えませんが、時間がゆっくりと正しく流れている感じがして、ホッとする雰囲気には浸れます。

都会では、誰にも公平に流れる時間と言うより、勝手気ままに様々な時間が流れているような気がします。

自分の時間の流れが「正」や「正義」であり、周りの時間の流れは「誤」や「悪」のように考える風潮もあります。

そんな中にいると、人間は強いストレスを感じてしまうものです。

私居酒屋コーチは、ゆっくりと歩いて、誰にも同一な時間がしっかりと流れている感じをつかんで、肩の力を抜くのが好きです。

やっぱり、富岡に出掛けるには電車をお奨めします。

高崎から新幹線を利用すれば十分に日帰り出来ますから。

高崎駅から小1時間上州電鉄に揺られて入りましょう。

町には古い造りの蕎麦屋や居酒屋もありますので、自分の脚で探して入ってみるのも楽しみです。

早く行きましょう。

妙に観光地化してしまう前に。

2007年1月23日 (火曜日)

田部長右衛門さまさま?

Tanabe_1 おとといのNHKテレビで、「冬・奥出雲・山林大地主の村」と言う過去(87年)の番組があったようです(昨日はココログのメンテで書き込み出来ず残念…)。

そのお陰で、私居酒屋コーチの10月20日の記事にヒットが多くなり、アクセス数がとっても多くなりました。

NHKさん、どうもありがとうございます?

番組を見ることが出来なかったのが残念です。

田部家の蔵群がある旧吉田村(現雲南市吉田)も今は雪の中に埋もれているでしょうね。

同家はたたら製鉄で財を成しました。

現在は、出雲地方でも奥出雲町の「日刀保たたら」でしか玉鋼は製造していませんが、当時は武器や農機具のために、たたらは盛んに行われていたようです。

たたらのための樹(燃料)を得るために多くの山を持ち暮らす必要があったのです。

山中に暮らし厳しい自然と対峙するための独自の伝統が守られているのでしょうね。

ところで、中国地方の山間は、たたらのために原生林は殆ど伐採され、その後に赤松の二次林が生まれたそうです。

かつては、赤松林を手入れして、松茸を始めとした豊かな恵みの恩恵を受けていました。

しかし、人が山から離れ松林の手入れが少なくなったところに「松枯れ病」が蔓延し、20世紀末には松枯れで山が真っ赤に焼けてしまいました。

松林は下草狩り等手を入れれば結構丈夫なのですが、手入れを怠ると一挙に弱くなってしまうそうです。

現在は、松枯れ病も一段落したようですが、自然と言うのは一度人間が手を加えてしまうと、何時までも手を加えていかなければならないものなのです。

それでも、きめ細かく手を入れてあげれば、決してとは言いませんが、牙を剥くことは少ないようです(単相林はきめ細かくない!)。

自然と共存するためにも、人間はある程度自然に近いところに居住する必要もあるでしょうね。

居酒屋コーチも何れは、もっと自然に近いところに暮らしたいと思っています。

2007年問題とも言われる、団塊の世代の大量退職も、その中から大都市から離れて田舎暮らしをされる方が増えることは、自然にとってもきっと良いことにつながりますね。

これから、また自然との共存が進化していくことは喜ばしいことです。

そう言った流れに、居酒屋コーチもコーチングで貢献していこうと思っています。

一度居酒屋コーチに声をかけてみて頂くと嬉しいです。

2007年1月19日 (金曜日)

列車の屋根には何が?

Asakaze 歌手の「井沢八郎」さんが亡くなられました。

東北方面から集団就職(「ALWAYS 3丁目の夕日」の六ちゃんですね)で上京した人たちの悲哀を歌った「あゝ上野駅」がヒット曲だったそうです。

現在では、集団就職も無くなり、長距離列車は少なくなり、青森(八戸)からは新幹線が東京駅まで乗り入れて、上野駅の存在感はぐっと小さくなってしまいました(画像はイメージで上野駅ではありません)。

上野駅の存在感が小さくなったなぁと初めて感じたのは、大学の山形出身の同級生が上野駅で下車しなかったということを聞いた時でした。

それまでは、東北方面から上京すると上野駅周辺を観光するものと頭から思っていたものですから。

30年以上昔は、今頃の時季に鶯谷や日暮里の跨線橋に汽車(SLも含む)を見に行くと、客車の屋根に雪を一杯載せた列車を見ることが出来ました。

そうです、東北や上越・信越地方からの豪雪地帯から雪を載せたまま走って来ているのです。

東京も今よりも寒かったですし、東北や上越・信越地方の雪も多かったのです。

真っ蒼に晴れた空の下を、真っ白な雪を載せた列車の姿は、とっても奇麗だなぁと思ったものでした。

子供ながらにも、東京と違う遠い世界があって行ってみたいなぁと感じたものです。

新幹線は速過ぎて雪は積もらないでしょうから、今は見ることは出来ないのでしょうね…。

でも、比較的ゆっくり走り、朝9~11時頃に着く「北斗星」や「カシオペア」は、ひょっとすると載せているかもしれません。

見れたら懐かしさで涙してしまうかもなぁ…。

2007年1月18日 (木曜日)

こんなところにもイルミネーション?

Rosoku12月8日の記事にも書きました煙突がこんな状況になっています。

コンクリートの外筒に添ってやぐらが完成し、内部の金属筒の洗浄と解体工事を行っているようです。

夜間になると作業灯がきれいに輝いています。

洗浄後、上部のクレーンで内筒をぶら下げ、下部で内筒を短く切断し排除しながら、ダルマ落しのように短くして撤去するようです。

それが終わると、コンクリートを上縁から内側に崩しながら短くしていきます。

春から夏になる頃に煙突は無くなる計画のようです。

無くなりハイキングコースから見えなくなり、景色が良くなるのが楽しみです。

2007年1月12日 (金曜日)

富士登山!

Photo_11 はぁはぁ!

やっと?九合目に着きました。

頂上まであと一歩です。

今日も晴れているので、頂上に着けば絶景が拝めるに違いありません!

予想としては天王洲辺りの高層ビル群の向こうに飛行機が飛ぶ様子でしょうか?

そうです、ここは品川神社の富士山九合目です。

江戸時代、富士山から延々火山岩を運んで来て小山を築き上げて、「富士塚」や「○○富士」と名付けました。

東京には現在も幾つかのお富士山があり、現在でも大事にされています。

ここもその一つです。

駿河国の富士山まで遠路行けない庶民や身体の不自由な方が、容易に富士講(富士山信仰)に参加出来るために作られました。

実に優しい所作です。

冬場、空気の澄んでる時季に神々しく拝める富士山に何時かは登って触れてみたいと思うのは誰しも考えることです。

そんな気持ちを少しでも実現してあげようとする仕組みなのです。

間違いなく富士山の岩石が足元にありますから、一段一段大事に登っていきたくなります。

その感動は決して少なくないでしょう。

晴れた日には、本物の富士山も眺められたら、明日も頑張ろうという気持ちになったでしょうね。

しかし、昔は何て瑞々しい優しい時代だったのでしょうか。

2007年1月 7日 (日曜日)

倉庫として使用中!?

Storehouse いや~、今日は風が強かったですね!

自転車に乗っていて、ピュウっと吹かれて1mくらい右に流されヒヤッとしました。

幸いクルマが来ていないくて良かったですが。

あぁ怖い!

さて、こんな画像が出てきました。

80年代後半の横浜新港埠頭2号上屋です。

現在の、横浜赤レンガ倉庫です。

この当時も、もう殆ど使われてはいない状況でした。

TAXIが何台か休憩で停まっています。

ところで、「上屋」ですが、英語の倉庫”warehouse”の”ware”を「上」、”house”を「屋」と訳したと言われています。

なかなか洒落た言い方ですね。

当て字としては、”jig”の「治具」に匹敵するかもしれません。

2007年1月 5日 (金曜日)

寂しいマリーナ

Ca340196 ヨットメンバの新年会を船で実施しました。

料理は「水炊き」です。

メンバの一人が、今月中旬から中国の会社に出向となります。

これで、ベトナムのメンバと共に二人が海外メンバとなり、さらに会費収入が少なくなります。

ベトナムや中国から乗りに来るのは無理ですから仕方ないですね…。

1月4日のマリーナは殆ど人がいません。

新年会は3ヶ日に終わったのか、それともやらないのか…。

セールヨットの衰退を象徴しているような雰囲気です。

何しろ、セールヨットの新艇が年間100杯くらいしか進水しないのですから。

100と言えば、ロールスロイスよりは多いでしょうが、フェラーリよりは間違いなく少ないでしょう。

まぁ嘆いても、自分自身が中々乗る機会を作らないのですから仕方ないですね。

2007年1月 2日 (火曜日)

お稲荷さん≠キツネ

Inari 携帯の電話番号を見てて、ふと思い出しました!

忘れもしません(と言いながら忘れていたんですが)1999年1月1日午前2時!

携帯電話の、電話番号が10桁から11桁に移行されたその瞬間です。

それまでの、”030-X△Y-△○□×”10桁が、”090-3X△Y-△○□×”11桁に変更になったのです。

携帯電話が急速に普及し、番号が足りなくなったので桁を増やすという方策です。

問題は、それを実行する日と時間です!

何も、新年のおめでとうコールでトラヒック(通話量)が多い最中(さなか)に、実行することはないと思うのですが!

当然、携帯電話会社は、お客さまの携帯のメモリ番号を11桁化に対応しなければ、様々なトラブルにつながりかねません。

それも、1月1日2時前後に多くの方が電話をかけそうな場所は注意しなければなりません。

要するに人が一杯集まる場所での対応が、顧客サービス上必要になってくるわけです。

そう、初詣や初売りで賑わうところということです。

居酒屋コーチは、日本三大稲荷(諸説あり)の一つ「最上(さいじょう)稲荷」で夜を徹して、メモリ番号入れ替えサービスを提供することとなりました。

もちろん、三が日は無しです!

大晦日夕方、参拝者が多く通る場所にテントを設置し、メモリ変換用PCをセットして、看板を掲げます。

深々と冷え込んだ11時過ぎ辺りから、参拝者が増えてきます。

「メモリを11桁に出来ます」よぉと呼び込みま、メモリを11桁に変換していきます。

年が明け、切り替え2時頃まで結構な人ごみで、お客さまも結構な賑わいです。

初日の出に近くなるほど冷え込みが強くなり、人も徐々に減ってきて寂しさと眠さで辛~くなってきます。

陽も上り霜が溶け始め、もやってくる頃ホテルに帰ります。

こうして、1999年の新年は過ぎていきました…。

ところで、日本三大稲荷の一つと言われている「最上稲荷」は、お寺です。

諸説の中でも必ずあがる、京都「伏見稲荷」は神社ですが、2番目くらいにあげられる「豊川稲荷」も実は、お寺だそうで「妙厳寺」と言います。

無知な居酒屋コーチは、山陽自動車道からも大っきな鳥居が見えるので、はなっから神社かと思っていました。

初めて訪れたとき、駐車場からお稲荷さんに向かう、参道(江ノ島みたい)を歩いていくと、線香のような匂いがしてきて妙な気がしてきました。

参道を抜け、階段を上り始めると、伏見稲荷にあるような小さな鳥居のトンネルがないのに、さらにおやおやっという気分になってきました。

そして、最後の最後、本堂の前にきて漸く「妙教寺」というお寺であることが分かりました。

お線香の匂いがするのは当然です。

本堂と言っても、神社のような造りです。

維新前は神仏混淆が当たり前のような時代ですから、その当時はこれでよかったのでしょう。

維新後の神仏分離令で、お寺を選択されたと思います。

ちなみに、伏見稲荷で小さな鳥居を奉納するように、竹の幟を奉納するのが慣わしのようです。

お稲荷さん=鳥居のトンネル=神社=キツネというような先入観で、ものを見てはいけないと実感し、ほんの少し老獪?になった瞬間でもありました。

2007年1月 1日 (月曜日)

神々し過ぎる?

Dawn 2007年が始まりました(とっても古い旭日の画像でゴメンなさい)。

毎年、海から上る1月1日の初日の出を見たいと思い続けてきいますが、今の今まで実現していません。

東京湾はもちろんこの辺の相模湾では、旭日は房総半島や三浦半島から上ってしまいます。

山から上るので、大きさでほぼ太陽1個分(15秒=1/4度)位、時間で2分位遅れます。

その結果、深紅のお日さまでなく、明るさを増してまっ白く光るお日さまになってしまいます。

余りに明るすぎて、とっても神々し過ぎて、大晦日から疲れた眠気まなこには、ちょっときつ過ぎるというのが正直なところです。

ジワジワっと紅から白に変化していく姿を、新しい年をじっくりと迎えたい気持ちに重ねあわせたいものですから。

まっ、贅沢なこと言ってるのは百も承知ですけど。

楽しみを何時までもとっておくのも楽しいものです。

2006年12月30日 (土曜日)

餘部鉄橋を遺す意味

Amarube 城崎温泉から日本海の海岸沿いにウミヘビのようにウネウネと鳥取方面に向かって、一度山の中に入って再度海に近づいてくると、この橋が見えてきます。

左手に見える、「長谷川」が長い時間をかけて丘陵を侵食して作ったV字谷に、山陰本線餘部鉄橋は架かっています。

遠くから見た姿も、如何にも歴史を感じさせる威容を誇っています。

昨今、山中で自動車や列車の窓から、突然コンクリート製の白い高速道路の橋脚を見せつけられることがあります。

橋自体は基本的に美しいものですから、全否定はしませんが、ガッカリさせられることも多いものです。

しかし、この橋にはオーラのようなものを感じさせる緊張感があり、見て良かったという気持ちを起こしてくれます。

自然界には基本的に存在しない直線の構成で、風景にインパクト与えない微妙なバランスを得ています。

真下から見る橋脚の鉄骨が積み重なって立体感が強まる様に、私居酒屋コーチの背中はゾクゾクっとしました。

ちなみに、R178は長谷川沿いに日本海に向かい、直角に餘部鉄橋と交叉し左に曲がり、徐々に山陰本線と近づいて、浜坂温泉まで並行していきます。

20年前の12月28日回送列車の客車が、強風に煽られ橋の下のカニ加工場に落下し、死傷事故が起きました。

それ以降、風に対する走行基準を下げて運用し、以降の事故は発生していません。

その前にも事故は起きていませんので、後にも先にも唯一の事故です。

にも関わらず、JR西日本はコンクリート橋に架け替える工事を来春から始めるとのことです。

風による遅延以外にも、建設後90年以上も経ち維持費が嵩むとの理由だそうです。

JR西日本が、福知山線の事故に懲りずまだ定時性に固執する理由が、居酒屋コーチには理解できません。

恐らく、相変わらず、幹部は現場を行って現状を見ずに、橋の古さや維持費の金額そして遅延率などの数字ばかり見て判断しているのでしょう。

3現主義が全くないがしろにされているのです。

実際に自らの目で餘部鉄橋を間近で見て、自分の耳で住民や鉄道ファンの声を聞く姿勢をとるべきです。

単純に比較するのは無理があるかもしれませんが、JR東日本の五能線が人気があるのかも確認すべきです。

このままでは、どんどんJR西日本から鉄道の旅好きなお客さまが離れていくでしょう。

その結果がどうなるかは、様々の業種の企業で多くの前例があります。

また、JR西日本は、本気でお客さまの立場に立った経営に切り替えなければ、国土の荒廃を助長した犯人の一人として歴史に名を残すことになるでしょう。

逆に、一所懸命に歴史を遺していく企業姿勢は、必ず見るものの心を打ちます。

JR西日本には、梅小路機関区のようなものがあるではありませんか(有料で採算が取れるという理由ではないはずです)。

今からでも遅くはありません、血の滲むような努力を払ってでも餘部鉄橋を遺すべきです。

お客さまのロイヤルティを高める策こそが、将来に亘って企業として存続できるか否かの鍵なのですから。

2006年12月26日 (火曜日)

「もう行こうよぉ」

Img0211 ファイルから、摘んできました。

96年の岡山吉備津神社拝殿前の風景です。

お母さんとお嬢ちゃんが散歩に来ていたようです。

お嬢ちゃんはもう飽きたようです。

「ママぁ、もう行こうよぉ!(ママ何してるのかなぁ?ジャリジャリ音がしてオモシロいなぁ)」

てな、感じでしょうか?

画像では分かりにくいのですが、右手の方に何か変な人形みたいなものが見えます。

おでこに扇をつけて左手に剣を持っているようです。

お母さんはこれに興味があったのでしょうか?

吉備津神社は、この拝殿の壮大さと、この建物の裏にある長~~い回廊が有名です。

雨が降っても、幼稚園の運動会の駆けっこが出来るほど長い回廊です。

ただ、坂になっているので転んだら大変です。

サンダーバード世代の居酒屋コーチにとっては、2号のカタパルトに見えたりします(全く格好は違いますが)。

吉備津神社の周辺には、吉備津彦神社などがあり、妙に神々しい雰囲気のある地域です。

岡山駅から、吉備線に揺られて行かれるのをお勧めします。

いかにも吉備路という風景が列車内から臨むことが出来ます。

沿線には、秀吉の水攻めで有名な備中高松城址や三大稲荷の「最上稲荷」もあります。

2006年12月25日 (月曜日)

最後の電燈艦飾?

P041022_2122今日の「氷川丸」は、マストの電飾がクリスマスツリーの形になっているでしょうね。

ちなみに、自衛艦だと「電燈艦飾」と言うそうです(昼の万国旗を掲げた「満艦飾」の夜版ですね)。

さて、もうご存知のとおり、本日12月25日付けで、「氷川丸」と「マリンタワー」が営業終了です。

入場者数の減少で経営が苦しくなったということで、45年間の営業に終止符を打ったようです。

マリンタワーは横浜市に、氷川丸は旧船主の日本郵船に移管されるそうです。

タワーは改装の後、3年後に再開予定のようです。

氷川丸については未定だそうです。

両方とも、中華街に程近いところにあるのですが、昨今では足を延ばす人も減ったようです。

確かに、地下鉄の乗ればすぐ高さ270mランドマークタワーの展望台があるのですから、高々100mのマリンタワーに上る必然性も薄れたわけです。

氷川丸の入場者数の減少については、絶対的に乗り物としての船に魅力を持つ人が減ったことによると思います。

豪華クルーザーや高級客船のクルージングへの興味は上がっているようですが、寒い暑いで苦しんでセールの上げ下げ等で力のいるヨットの人気は下がる一方です。

船が乗り物としての魅力より、贅沢な時間と食事の消費のための商品と化しているわけです。

ですから、デッキも低く貧相な氷川丸程度では、乗船して洋行を夢見るような気持ちにもなれないのかもしれません。

また、モノを買ったり、食べたりするというレジャーが主となっている現代では、乗り物としても不十分な施設としては生き残るのは難しいかもしれません。

居酒屋コーチは、小学校時代に乗船したとき、微妙に揺れるデッキの上で、もしこのままループが解けて家に帰れなくなったらどうしよう…と怖くなった覚えがあります。

当時はまだ飛行機なぞ一般的でなく(遠足で羽田空港に飛行機を見に行った時代ですから)、遠い海外は船で行くという感覚があったのでしょう。

ですから、氷川丸もひょっとして海外に向けて出港してしまうのではという、幼い発想を招いたのかもしれませんね。

2006年12月23日 (土曜日)

地球は眩しい!!

Earthray2 今日は月齢2.5、「上弦の月」です。

奇麗に、「地球照」が見えています(撮れています)。

太陽の光が地球で反射して、月の暗部(夜の部分)を明るく照らしているのです。

月上の夜では、地球の眩しさのおかげで懐中電灯は要らないかもしれません。

地球が眩しいということは、いま居酒屋コーチがいる以外の地球の何処かが明るく太陽に照らされているということです。

実に、当たり前ですが。

私たちは、ついつい自分のいるところを基準として考えてしまいますが、現実は同時刻に全く異なる世界が存在するということを忘れがちです。

かように、習慣・文化・思想・宗教や価値観など、心に由来するものも、人によって異なることが多いことも忘れがちです。

それを忘れて、自分を軸に天動説のように振舞ってしまい、誤解や諍いを生むことになります。

貴方は天動説で行動してはいませんか?

地球照を見たら、自分の心を振り返ってみましょう。

2006年12月22日 (金曜日)

冬至が一番○○じゃないんだ!

Touji 今日22日は冬至です。

横浜の日の入りは、16:33でした。

一般的に、冬至が日の入りが一年で一番早いと思われているようですが、2006年で一番早いのは、12月5・6日の16:28でした。

でも、日の出はまだまだ遅くなります。

2007年1月2日~13日の6:51が一番遅いようですが、1月後半が月齢の関係もあり朝の訪れがとても遅く感じられます。

それに比べ、日の入りの時間はどんどん遅くなり、1ヶ月後の1月24日には17:00(日の出は、6:47)まで延びます。

ところで、明々後日はクリスマスですが、元々の冬至祭がキリストの生誕に結びついて、クリスマスとして祝われるようになったようです。

冬至を過ぎれば、ドンドン日が伸びていくと感覚は、まだまだ寒さが続くとはいうものの気持ちを高揚させてくれるものですから。

冬至がやってくれば、明るい春ももう遠くないからと、お祭りをしたくなるのは人情ですよね。

今晩は、柚子湯にゆったり入ってノンビリしようと思います。

2006年12月21日 (木曜日)

六地蔵(その19)

Ca340041_1 武州から相州鎌倉に入るには、金沢(八景)から朝比奈切り通しを越えて行きます。

ここを金沢街道と言ったようです。

落語「大山(おおやま)詣り」に出てくる連中は、大山に参詣してあと、恐らく江ノ島・鎌倉を経由し、この街道を金沢八景に向かったのでしょう。

武州との境の峠が朝比奈切り通しですが、その切り通しの登りに入る手前の「光触寺」に、こちらの「六地蔵」さまはいらっしゃいます。

元々、金沢街道沿いにいらしたようですが、今はお寺の境内に立派な屋根の下に大きなお地蔵さまといっしょに祀られています。

小さいお身体を奇麗な涎掛けと帽子姿で、静かにたたずんでいらっしゃいます。

昔、街道にいらしたとき、金沢の商人が塩をお供えしたところ、帰りにはなくなっていたので、「塩嘗地蔵」と呼ばれるようになったそうです。

こちらの境内の墓地には、ほかにも多くのお地蔵さまが祀られています。

「塩嘗地蔵」同様に、路傍にいらしたお地蔵さまが移されてきたのかもしれません。

近くには、「十二所神社」がありますが、こちらには石像はありません。

明治初期の廃仏毀釈の嵐のとき、十二所神社の傘下におかれることなく、地蔵菩薩本来の居場所である仏教寺院に逃げ込ませたのでしょうか?

現在でも、交通事故で我が子を失った親が、事故現場にお地蔵さまを祀られることがすくなくありません(金沢街道のここにもあります)。

江戸時代には、病や貧困で子供を失った親や地域の人たちが、お地蔵さまを建てて、ずうっと子供たちのことを忘れないよう祈りつづけました。

そういった民衆の心の拠り所を、「神道」を過って解釈して踏み潰した廃仏毀釈は、怨むべく我々日本人の汚点です。

2006年12月20日 (水曜日)

ガマの穂をほぐす

Ca340149 7月20日の記事で書きました、「ガマの穂」が「穂綿」になりました。

あのフランクフルトソーセージが、徐々に柔らかくなり崩れてこうなります。

「因幡の白兎」は大黒さまに言われ、これに包まった訳です。

ということは、あの物語は秋の場面なのでしょうか?

それとも、夏にウサギは、自ら肉球でほぐしたのでしょうか?

何れにせよ、冬や春ではないでしょうね。

というのも、この穂綿はタンポポの綿毛と同じ格好をしたもので出来ているからです(たくさんの綿毛がギュッと詰まってたのが、フランクフルトだったのです)。

ですから、穂綿は北風でどんどん飛んでいってしまい、ガマの枯れ茎だけになってしまうのです。

さて、もし、ガマの穂綿がなかったら大黒さまは、どんなアイデアを悪戯ウサギに教えたのでしょうか?

ところで、あのフランクフルトを指でグリグリッとして、ほぐすのは凄っく楽しく気分の好いものでしたね。

今の子供にも経験させたいなぁ。

2006年12月18日 (月曜日)

焚き火にあたったでしょ!

Meta 「メタセコイア」、和名「アケボノ杉」の落葉で一杯です。

昭和天皇が好きだったことで有名です。

生きている化石と呼ばれ戦後多数移植されました。

風が吹くと、まるであられが降ってくるようにバラバラと落ちてきます。

路一杯、広葉樹の葉とアケボノ杉の葉で地面が見えません。

この時季が散策するのは一番好い季節です。

深い葉っぱの海の上をサワサワ・ざわざわと音をさせながら歩くのは心地良いものです。

どこかの落ち葉焚きで、冷たく凍えた手をかざす暖かさが懐かしく思い出されます。

焚き火をしているおばさんから、おイモを貰ったなんてことは一度もなかったですけど、楽しいひと時でした。

そう言えば、家に帰ると母親に「焚き火にあたったでしょ!」とばれたものでした。

匂うんですよね、焚き火の匂いって。

別に悪いことをしてるつもりはないですが、今も勿論そうですが、子供だけで火で遊ぶのは良くないことですからね…。

2006年12月15日 (金曜日)

線路は並ぶよ何処までも!?

Rail 線路が交わっては具合の悪いことになるので、何処まで行っても、2本が並行のまま続いています。

私たちの会話でもこんなことはないでしょうか?

会話ではないですが、カラオケボックスでは間違いなくこんな状況でしょうね。

誰も自分以外の歌は聞いちゃいません。

会話でもそういうことはないですか?

相手の話を聞いていない。

自分の次に言うことを考えている。

国会答弁なぞでは、見かけることが多いですね。

野党の質問に対してはぐらかしたり、べき論で応じたり、大きな声でまくし立てたり…。

こうした議論では何も成果を生みません。

国会では、力と数で押し通すことも少なくありません。

会社や社会でも、強引に押し通すことも多いですね。

そうなった時、結局誰かがしっくりしない思いを持ったまま、座をはずしたり怒ったり、家に帰らず呑み屋で愚痴をこぼしたりします。

こんな人たちが、毎日毎日生産されます。

残念ながら、こういった人たちが街や家庭に溢れるのは健全とはいえません。

あなたが、もしこういう人になりたくなかったら、会話を線路のようにではなく、交差をさせてみましょう。

相手の言っていることをキチンと受け止めることです。

キチンととは、相手の立場に立って聞いてみるということです。

相手は、何らかの理由があって発言をしているはずです。

その理由の正当性や良し悪しは考えずに、相手が話してる背景を考えてみることです。

合意する必要はありません。

共感してみるのです。

「なるほど」「ふ~ん」と言ってみるだけでOKです。

現実には、線路のように並行のまま、「ふ~ん」さえ出ない会話も多いのですから。

「なるほど」「ふ~ん」のある会話と、ない会話では結論や結果に差が出ることあります。

全ての会話が変われば良いといってるつもりはありません。

100のうち3つでも変われば良いと思っています。

3%が変わっても、何日・何ヶ月・何年と積み重ねていくうちに大きな変化をもたらすからです。

皆さんも学校で、キリストが1年を今まで預けていたとしたら、2000年で途轍もない額を手に入れたという例えを聞いたことがあると思います。

あの例えと同じです。

小さな変化でも、何れ大きな変化を導くのです。

もう一度、愚痴っぽい怒りっぽいままでいたくなかったら。

明日から、いや今いまから、「なるほど」「ふ~ん」と声に出してみましょう。

何かが心の中で変わってくるはずです。

2006年12月14日 (木曜日)

今日は討ち入り。胃カメラを飲む!

Yashiki 本所の吉良上野介邸はこんな感じだったのでしょうか?

当時の12月14日は現在の暦で、年を越して1月末ですから、江戸では一番雪の多い時季です。

討ち入りに成功して、高輪の泉岳寺までの雪道を行くのはさぞかし大変だったでしょう。

墨田区~台東区~中央区~港区ですからね。

さて、赤穂浪士はここまでとして、今日生まれて初めて胃カメラ(内視鏡)を飲みました。

去年のドックではバリウムだったのと、今年はSBの王監督の件もあったのでトライしてみました。

最近は、鼻口から入れる細い内視鏡の宣伝が随分され、喉から入れるのが物凄く苦しそうに刷り込まれているので、正直不安でドキドキしていました。

喉に麻酔を施しすので痛みはないのですが、思ったより太い黒のウミヘビ状のように動く内視鏡を飲み込むのは大変でした。

麻酔のせいで飲み込む感覚が弱く、嚥下する力を入れ難く、先端を押し返そうとしてしまうのです。

指を入れて「ゲッ」とする感触なので、つい悲しくもないのに涙が出てしまいました(最近は超涙もろいですが。んっ違う?)。

一度入ってしまえば、先端が胃の中を押しているのが気持ち悪いのと、息がし難く酸欠になるのではないかとの不安があるだけで、特に痛いわけでもなくさほど不快ではありませんでした。

次回はもっと上手く飲めそうです。

検査結果は、少し胃酸で荒れてるところがありましたが、特に問題はなく一安心です。

胃カメラが不安というストレスがあったのかもしれませんね。

何れにせよ、上野介のように刃物を切られる状態でないことが分かり嬉しい居酒屋コーチでした。

2006年12月13日 (水曜日)

もうすぐオープン!滑れるぞ~!

Gokase SAAB340から見えるゲレンデです。

飛行高度は7000mくらいでしょうか?大型機の9~10千mよりは明らかに低いので、景色が手近に見えます。

人工降雪機で作ったゲレンデのみがシロヘビのようにのたうっています。

回りには、白い部分が全くありません。

ここは、宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町の五ヶ瀬ハイランドスキー場(標高1600m)です。

トップシーズンには、天然雪も降るようで九州では随一のスキー場のようです。

九州の方は(四国の方も)、基本的に広島県北部のスキー場に行かれるようです。

朝早く九州を出発し、高速を使わない方は日本海回りで芸北国際や191等にやって来られます。

高速を使う方は、島根県の瑞穂ハイランドが結構多いようです。

長野県北部のスキー場に行くと関西弁が多く聞かれるように、ここでは九州弁を聞くことが出来ます。

ところで、五ヶ瀬ハイランドは今年は15日よりオープンのようです。

九州南部の方は、足慣らしに行かれるのでしょうね。

2006年12月12日 (火曜日)

マルセイバターサンド

Ca340137 イトーヨーカ堂で販売しているとのことで買ってきました。

六花亭の「マルセイバターサンド」を食べるのは、実は初めてです。

北海道のお土産は、しばらく、洞爺の「わかさいも」と決めてたこともあり、洋菓子は買ったことがなかったのです。

また、チョコレートといえば、「ロイズ」が喜ばれますし…。

食べてみると、ホント美味しいですね。

バターも余り癖がなく、シンプルだけど奥行きがある美味さです。

六花亭は、本当に一所懸命に良いお菓子(良い材料を使う。お小遣いで買える。)作りをしているなと感じられました。

ちなみに、六花亭の思いは、

 おいしいお菓子をつくろう

 楽しいお買い物の店をつくろう

 みんなの豊かな生活をつくろう

 そして、成長しよう

というものだそうです。

中島みゆきやTBS安住アナ等で、何かと話題になる帯広ですが、私居酒屋コーチは、400mベンチと六花亭本店喫茶コーナーくらいしか行ったことがありません。

何れ折りをみて、帯広の街を回って人との触れ合いを感じてみたいと思います。

そして、帯広でしか味わえない、六花亭のショートケーキ等の生洋菓子を食べてみたいですね。

2006年12月 8日 (金曜日)

景色が良くなります

Ca340090 横浜G30のお陰で不要になった焼却場の煙突が撤去されます。

外国では、ダイナマイトでバ~ン!と破壊される模様が流されますが、敷地の狭い日本ではそうはいきません。

というより、ダイオキシン等が問題だからです。

ですから、この煙突の中にある金属の煙筒内を洗浄してから、煙筒をまず取り出し、そのあと外側の本体を解体するという段取りを踏むようです。

焼却場本体の、ダイオキシン・アスベスト等の処理や解体等で、総額12億煙(これじゃ煙に巻く?)じゃなかった12億円かかるそうです。

同様な工事が隣りの焼却場でも実施されています。

ゴミの削減をないがしろにして、焼却を続けていればもっと大きな費用が継続的に、税金から使われていくはずです。

また、ハイキングコースからも、無粋な煙突が2本も無くなるのですから、景色も改善されるのですから、高額な解体の費用も良しとしなけ