2008年12月 6日 (土曜日)

新幹線3

P050218_1552新幹線の特徴的なところは、その速さや景色の単調さに加え「音」でした。

独特な、「ゴン・ゴン」という連続的な音が何処でも聞こえるのでした。

テレビ等で新幹線内の場面が出てくると、その独特な音がするかどうかで本格的かどうかを判断してしまったものです。

ところが、この音が新幹線全てに特有なものでないことを、東北新幹線に乗って初めて知りました。

東北新幹線には、あの「ゴン・ゴン」という音がしなかったのです。

原因は、東北新幹線が在来線や東海道新幹線のように砂利の上に枕木・線路が敷かれずコンクリートの上に直に線路が敷かれている構造の故か、200系という新しい車両のせいか何れかだろうと思っていました。

その後、東海道新幹線の100系に乗り違う音がしたことで、あの「ゴン・ゴン」いう音は100系車両の独特なものと分かりました。

最近の新幹線も在来線もサイリスタという部品から似たような種類の音が出るようになり、絶対的に静かになったように思います。

しかし、如何にも新幹線という雰囲気の音が消えたのがちょっと寂しい気もします。

2008年12月 5日 (金曜日)

0系新幹線2

P050204_163300

生まれて初めて乗った新幹線は、「こだま」号でした。

湘南電車に乗って小田原で降り、地下通路を抜け近代的な新幹線ホームは如何にも新しい時代を感じさせました。

行き先は確か京都だったと思います。

当 時(昭和41年頃)、「こだま」号の特急料金より「ひかり」号は高く、名古屋と京都以外には絶対停まらないひかり(潔いよなぁ)に乗るには東京まで戻ら なければならないので、必然的にこだまに乗ることになったのです(小田原~東京間はずっと後になるまで乗ったことがありませんでした)。

ビュッフェのある車両に棒線式の速度計があり、それが210キロになるのを見てドキドキしました。

窓から見える景色が飛ぶように走り去る速さよりも、途中駅で抜かれる時のひかりの速さと音がびっくりものでした。

でも、一番の印象に残っているのは単調な景色でした。

残念ですが、これには本当にがっかりしました。

小田原を出るとすぐトンネル続きで熱海に着き、また新丹那トンネルで、あとは田んぼや山ばかりで記憶に残るような風景が殆どないのですから。

その時は冬だったのですが、富士山が見えたかどうかは残念ながら全く思い出せません。

見ていたとすれば、もう少し印象深かったのではと思うのですが。

2008年11月25日 (火曜日)

「明日の神話」で考える

Taroご覧のように写真を撮る方が一杯です。

かくいう私もその一人です。

芸術(美術)的にどうなのかは分かりませんが、何せ大きいのでインパクトはあります。

私の余り広角でない携帯のカメラでは目一杯さがっても入り切れないくらいの巨大さです。

ただ、思っていたよりはメリハリが乏しいように感じました。

中心の人?らしき部分がもっと前面に躍り出ているものかと思っていたからです。

感想はここまでとしましょう。

ところで、この岡本太郎の「明日の神話」、テーマに原爆をモチーフとしているので、広島に置きたいとの声があったそうです(太陽の塔つながりで大阪からも)。

どういう経緯で渋谷に決まったのかの真の理由は分かりませんが、広島に置かずによかったと思います。

広島はこういうものに頼らずに、原爆の悲惨さや空しさ、哀れさを伝えるべきだからです(物理的にも展示する場所がない)。

現実的な惨さや被害を知るには、平和公園に行けば厭というほど分かります。

広島はそれを乗り越えていません。

被爆者団体が2つあり利害関係で不仲であることは、広島に訪れても分かりません。

つまり、原爆がその後の人の心を如何に荒んだものにした契機であることなど伝えていません(原爆が投下されるに至った理由も)。

来年から新しくなる広島カープのフランチャイズ球場に行っても、今のカープが平和を希求しているとも感じられません。

マツダのクルマにしても同様です。

広島にはもっとやるべきことがあるように思えて仕方ありません。

明日の神話が仮に広島に行ったら、やるべきことが更に先送りされるところでした。

広島よもっと己を表現せよ!

2008年11月14日 (金曜日)

APAホテル

Apa

実は結構気に入っていました。

安いのはともかく大浴場があるのが好きでした。

画像は金沢駅のアパホテルのウェルカムドリンクで、その時は喜んで飲んでしまいました。

アパは、ヒューザーのマンション偽装の頃から、東横インとともに名前があがり始め、安倍晋三に近いことでも話題になっていました。

が、今回の田母神前幕僚長の件で、全く使う気がなくなりました。

大体、あの論文の中身は全く大した中身でないのは、私のようなものが読んでも分かります。

自らの手で検証を積み重ねて論証を経た内容ではなく、何処からの論文を自分の考えに都合の良いようにコピペしたものに過ぎません。

そんな論文が懸賞の優秀論文に選ばれるとはどう見ても笑止千万です。

要するに、あの論文に箔をつけて表に出させるために、アパの代表と田母神氏が仕組んだとしか思えません。

一体二人で何をやらかそうとしているのか分かりませんが、注意深く見ていかないと彼らの思う壺に嵌りかねません。

2008年11月 3日 (月曜日)

天守台

Tesyudai_3

皇居の見学を終わると、東御苑を見ることができます。

お目当ては、江戸城の天守台です。

天守閣が聳え立っていた台座をこの眼で確かめたかったのです。

江戸城天守は、振袖火事と呼ばれた明暦の大火で、落成後僅か19年で焼失しました。

その後、再建は果たされずに現在に至っています。

さて、その天守台ですが、高さは大したことはありませんが(当初より低いとの由)、流石に巨大です!

この上に本丸天守が建っていた威容さを想像するに、初期の徳川政権の力強さを馳せることができます。

しかし、現在の天守台の上からは、高層ビル群が立ち並ぶ、お世辞にも美しいとは言えない旧都心の風景がまとわり付いて見えるだけです。

2008年10月31日 (金曜日)

そうだ、皇居に行こう!

Tsukiyama

竹橋に行く用ができたので、皇居見学の予約を取り、出掛けてきました。

団体と一緒で総勢250~300人の大人数です。

ゾロゾロと引率者に引き連れられて、宮殿を始め、櫓などの要所を見て回ります。

宮殿脇に庭があるのですが、外から画像の築山のような二つの瘤が見えます。

実はこれは山でなく、20数種の木による6mもの高さの刈り込みなんだそうです。

「どうやって丸くするんだろう?」と疑問に思ったのですが、同じように考える方が多いのでしょう、説明がありました。

機械を使ったり、外側に足場を組んだりするのではなく、植木屋さんが中から顔を出して剪定バサミで刈り込むんだそうです。

考えてみればそれが一番安上がりで確実ですよね。

2008年10月25日 (土曜日)

これって紅葉狩り?

Koyo

22年前の10月18日。

体育の日の連休頃の翌週に空いている尾瀬に紅葉狩りに出掛けました。

ご覧のような景色。

紅葉どころではありません。

話が違うじゃん!

2008年10月 8日 (水曜日)

新日本三大夜景

Sarakurayama

イカが美味しい時季になりました。

イカと言えば、夜輝くイカ釣りの灯りが日本では有名です。

「甲府笛吹川フルーツ公園」「奈良若草山」とともに、新日本三大夜景に選ばれた「北九州皿倉山」からも眺められます。

標高622mの頂上までは、ケーブルカーとリフトで登ることが出来るのでラクラクです。

頂上から北側を眺めると洞海湾をはさんだ北九州工業地帯の明かりが眼下に広がります。

函館の夜景に比べると白い光です。

函館は一般家屋の灯火が多いのに比べ、ここは工業地域に立ち並ぶ工場の水銀灯が街の繁栄が町屋の灯をかき消すように輝いているからです。

そして、洞海湾の向こう岸を越えた響灘に浮かぶ漁り火が見えます。

イカを呼び込むための強力な集魚灯です。

7月には原油高騰で休漁をするほど燃料を食うようです。

さて、今もこのように煌々と輝いているのでしょうか?

2008年10月 7日 (火曜日)

よかった元気で

Hiking

横浜市の自然地形で一番高い辺りを通り鎌倉天園に抜けるハイキングコースがあります。

夏場は朝5時前からウォーキングを業とされている方など大変多くの方が利用されています。

それだけ沢山の方が利用されているにも関わらず、ゴミが少ないのがこのハイキングコースの特徴です。

街中はペットボトルや吸殻のポイ捨て、粗大ゴミの放置等が一向になくならないのにです。

それは、行政がしっかりやってる訳ではなく、Mさんというボランティアの方のお陰なのです。

朝一番でご自宅の周辺も含めてハイキングコースを市境まで数時間掛けて、ゴミ袋とゴミバサミを持って歩きます。

もうすぐ後期高齢者だから夏は辛くなったねとも言いながら、健康のためと続けています。

2年ほど前、雨の中で滑り手首を骨折して以来、雨の日は止めているようですが毎日毎日コツコツと歩かれています。

ここ数ヶ月すれ違えなくなっていたので心配していたのですが、先日の日曜日に久し振りに元気な姿に会いました。

段々年取ると早く眼が覚めるので早く出発しているんだよとのことで、ひょっとして病気でもしてるんじゃないかと思っていたので安心しました。

お陰でその日は朝から心の充電が高まり気分の好い一日でした。

2008年9月30日 (火曜日)

小出川

Koidegawa画像は約1週間前なので、彼岸花はボチボチ終わりかけているかもしれません。

この画では余り観光客は写っていませんが、平日にも関わらず結構な人出でした。

近所の幼稚園児、バスでやってきたのかぞろぞろと尾瀬ヶ原の木道を行くような数十人(前期高齢者?)の団体もいました。

また、椅子に座って画を描いている方もチラホラ。

ご覧のような畦道の広いところでは花も安心して咲いていられますが、一般的な細い畦道ではどうしても蹴られたりしてしまい折れて(彼岸花は弱いので)倒れている姿もありました。

基本的には強い植物なので、花を折っても大したことはないのですが、これだけ観光客が多くなってくると球根にも人間の重さが加わって具合が悪くなるかもしれません。

まぁ、花が終わってから葉っぱが出ますので余り気にすることもないでしょうか?

ところで、この小出川は右岸(画面右手、北側)が藤沢市で、左岸(対岸)が茅ヶ崎市という市境に位置します。

現在の花は周囲の農家の方が植えたらしいのですが、いよいよ見物人が増えてきて管理の必要性(ゴミ・整備・田圃への影響等)が問われるようになると厄介です、行政区が違いますから。

もう一つ、川の水がお世辞にもとても綺麗とは言えません。

と言うのは、茅ヶ崎も藤沢もこの辺りになると家屋が点在している状況なので、下水処理が十分されていないようなのです。

加えて、小出川の源流は藤沢の台地から発せられているので、畑にまかれた肥料や農薬がかなり流れ込んでいるようです。

そんなことで富栄養化が進んでいるような感じです。

護岸もされているので、水中の草はあるのですが、土手と水との際のいわゆる萱の種類が少なく浄化も進んでいないのです。

行政が跨っているということはこの点でも大変のようです(川の担当は県かもしれません)。

折角、3キロに亘って赤く綺麗な様子が風景を、より綺麗により長く楽しめるように維持されることを望みます。

2008年9月25日 (木曜日)

今年も咲きました、白花

Sirobana 我が家にはないのですが、近所の白花曼珠沙華(しろばなまんじゅしゃげ)が咲きました。

4~5年前から白だけ20m位一直線に咲いています。

白い花の彼岸花は赤い中にあると、何れ赤になってしまうと言いますが、ここは流石に白のままです。

ウィキペディアによると、日本の彼岸花は赤一種で全て同一とのことで、白い色の彼岸花は「鍾馗水仙(黄色)」との雑種とのことです。

恐らく、繁殖力の強い彼岸花は生き残り、それほどでもない白花は朽ちてしまい、恰も彼岸花に席巻されて白が赤になってしまったように見えるので、こういうのでしょう。

ちなみに、我が家の彼岸花は何時の間にか数箇所で咲くようになってしまいました。

最初一ヶ所植えたのですが、種は出来ない?らしいので鳥が移動させ芽が出たということはないようなので不思議です。

タカサゴユリ同様に、強い花です。

2008年9月 5日 (金曜日)

寄居「洋食つばき」

Tsubaki軽井沢に用があったので、前日に世界遺産に立候補することになっている(平泉の件でシュリンクしているかもしれませんが)富岡入りしました(仕事も作って)。

時間があったので、高速を使わずに関東平野と関東山地の縁をトコトコ行きました(ほぼ八高線と並行です)。

お昼を寄居町の「(ソース)カツ丼」を食べようと計画し、「洋食つばき」にしました。

寄居のカツ丼はキャベツ等の野菜は全くない揚げたカツをソースにドブ付けしたものをご飯に乗せたものです(漬物は別)。

つばきのそれは、今年の暑さでバテ気味の胃にも優しい軽いタッチのカツ丼でした。

2008年8月15日 (金曜日)

終戦記念日

War63年前の今日、満州事変から始まった15年戦争が終焉を迎えました。

多くの国民と異国の民の命が失われました。

以来、日本は戦争をしていませんが、その時の戦勝国の一つであった米国は相も変わらず戦争を行っています。

朝鮮戦争とベトナム戦争は、冷戦時代の米ソの代理戦争といわれています。

米国側にとっては、ロシア革命から始まった赤色化を防ぎ民主主義を守るという名目での戦いでした。

もちろん、共産化を恐れていたことはあるでしょうが(歴史的には当時の米国は一番左傾化していた時代といわれています)、本質的には軍事産業の事情もあったといっても過言ではないでしょう(イラク戦争も然りです)。

三崎亜記氏(男性)の「となり町戦争」はそんなことを皮肉っています。

架空の町では、9月1日からとなり町と戦争を始めますが、戦闘の様子などは全く感じられない不思議な戦争です。

しかし、間違いなく戦死者が生じているのです。

そして、その戦争は行政的(国で言えば政治的?)な事情により何年も前から計画されその通りに執行されているというのです。

何故、そんなことがあるのでしょうか(本をお読みください)?

米国は第2次世界大戦後、勝利を手にしない戦争をあたかも、計画的であるかのように自国の都合で戦争を仕掛けて続けています。

しかし、米国内は全く戦場になっていません(南北戦争以降。これも内戦)。

つまり、銃声も血の匂いも何もしないのです。

でも、明らかに戦死者や戦傷者がカウントされていくのです(映画「プライベートライアンズ」で、大統領の命を受けた将校がライアンの母親に行くシーンが象徴的です)。

また、米国では国民の2割しかパスポートを持っていないと言います。

つまり、米国民の8割は自分の眼で自国以外の国を見たことがないのです(パスポートを持ったときは戦地に行く時!)。

ですから、多くの国民は戦争の実態など全くリアリティーを感じていません。

「となり町戦争」の主人公を初めとする多くの町民が同様なのです。

でも粛々と戦争はある事情に基づいて進められている。

こういった現実を理解していないと戦争や紛争は無くならないのでしょうね。

日本でも沖縄戦や原爆を含む空襲を知らない世代がいなくなった時、きちんと施策が打たれていないと米国と同様なことになりかねません(前首相を見ていると実にそう思います)。

お金も時間が掛かって大変ですが、多くの外国に行って現地を知るということも戦争を防ぐことに間違いなく貢献するでしょうね。

リアリティーを知っているということは判断するときにとても役に立ちますから。

頑張って海外に行くようにしましょう(でも先日パスポートが切れました)。

2008年8月 9日 (土曜日)

長崎原爆記念日

9aug怒りの広島、祈りの長崎と呼ばれる長崎原爆の日です。

広島が先で長崎が後、被害レベルの大小で多くは長崎の方が地味な報道になります。

(長崎にはキリスト教徒の数が多い?)浦上天主堂が話題になることも多いので祈りの長崎と呼ばれるのでしょうか。

私居酒屋コーチは長崎に住んだことがありませんので、良く分かりませんが広島ほど良い意味でも悪い意味でも、原爆や被爆者が政治的に利用されていないように見えます。

そういった意味で広島ほどひねた面が見受けられないのかもしれません(かなりバイアスのかかった見方かもしれませんが、原爆資料館の展示の仕方からみてもかなり違います)。

前回、広島原爆記念日の時に書きましたが、こういった被害を起こさないためにも近代史を独立したカリキュラムにして教えるべきだと言いました。

昨日から北京五輪が始まり、多くの日本人(私も含め)がナショナリズムに燃え上がります。

日本人はスポーツの世界大会でもなければナショナリズムが表に出ることは少ないですが、世界の多くの国家はナショナリズムの確立を求めれ命を掛け合っています(奇しくも、ロシアとグルジアの紛争が激しくなってきました)。

第1次世界大戦も第2次世界大戦もナショナリズムが火種となっており、今も紛争やテロルが起きているのです。

五輪を政治に利用すべきではないと言いますが、お互いの国家・国民を背中に背負っていてナショナリズムつまり政治から逃れることは出来ません。

五輪は政治的側面があることを冷静に見つめ、だからこそ多くの考え方・政治面・宗教面等の違いがあることをしっかり認め合うべきなのです。

近代史を理解していれば、そういった意味からも五輪を楽しみながら世界の複雑さを学ぶことも出来るはずです。

居酒屋コーチもオリンピックで愛国心に燃え上がっても、勝負が終わったらお互いに対戦を褒め称える姿に注目をしていきたいと思います。

2008年7月19日 (土曜日)

30数年振り

Manaduru真鶴半島に行きました。

中学の遠足以来、30数年振りです。

海岸での集合写真以外全く覚えていません。

三ツ石に向かう細い道に入ってびっくりしました。

樟や松の巨木が一杯です。

魚付き保安林と言うらしいのですが驚きました。

もちろん30数年で巨木になったとは思えないので、当時も立派な林だったのでしょうが、全然覚えがありません。

今度はゆっくり歩いて鑑賞したいものです。

2008年7月 8日 (火曜日)

祝、新築!

Takoタイアも交換したことだし、最近ロングランをしてなかったので、霧っぽい中を佐島まで出掛けました。

普段、本当にチョイ乗りしかしていなかったので、思ったより体力が落ちているようですぐに顎が出てしまい先が思いやられます。

霧っぽい故に、空気が粘りつく感じで蒸し暑いのも辛い。

とは言うものの、新品のタイヤのお陰か1時間弱で佐島近くまで到着。

少し時間があったので、何時も気になっていた「浄楽寺」に寄ってみました。

ここは、昨年民営化された郵政事業の生みの親とも言える「前島密」翁の墓所があると看板が表示されていたからです(30年以上前から知っていた)。

で、この件は別途書きましょう。

先を急ぎます(筆だけ)。

目指したのは、「佐島の蛸」です。

「明石の蛸」ほどは有名ではありませんが、佐島の蛸は美味しいと言われています。

道路を右折して、魚屋かねきを見てびっくり。

昨年までの温室がきちんとした建物に建て替わっています。

冷房無しを覚悟してましたが、ひんやり快適。

お目当ての「たこぶつ」のみを頼んで、そのぷりぷり感を堪能しました。

やっぱり、「蛸は佐島です!」。

2008年6月29日 (日曜日)

10年前の今日7

Goodbye釜山には土曜に着きましたが、実はその夜釜山の街を楽しんでいません。

私居酒屋コーチは、特にサッカーファンではありませんが、流石に98年のこの日は日本が初めてワールドカップに出場したので、焼肉を食べて友人宅に帰り、クロアチア選を応援してしまいました。

結果はご存知の通り負けてしまいましたが興奮しました。

で、市内の夜も楽しまず、翌日はちょこちょこっと観光して、ビートルの人になりました。

2008年6月28日 (土曜日)

10年前の今日6

Antena10年前の韓国の携帯電話基地局(送受信アンテナ)です。

3~4階建てのビルの屋上に設置されています。

当時の韓国の主流はTACS(日本ではIDOの東京フォンや○○セルラーで採用されていた米国の主流方式)だったと思いますが、随分と大胆な設置の仕方です。

日本のドコモがNTT電話局の屋上に設置した円形状のものに似ていますが、美観上も頭でっかちでカッコ悪いですね。

それに、日本では電磁波の問題もあり、画像奥の家屋の2階辺りの目の前に位置するので、この高さでは認められないと思います(国によって規制は違いますから)。

ところで、昨今の携帯電話基地局は、電柱(電気用電柱)1本のモノもありますので、あなたの気がつかないところに何時の間にか設置され圏外でなくなっているかもしれません。

2008年6月27日 (金曜日)

10年前の今日5

Photo太宗台(テジョンデ)遊園地と呼ばれる景勝地です。

釜山市街から南の方に向かった岬の突端です。

と言っても襟裳岬のように尖ったところでなく、幅も高さもだだっと広いところです。

遊歩道は海面から随分高いところにありますが、沢山の人が岩場の方に下りて行っています。

海は当然のことながら日本海です(かの地では東海と主張しているそうですが)。

山陰等で見る日本海と違い雄大な男っぽい印象です。

空気が澄んでいれば対馬が良く見えるそうです。

対馬には、朝鮮半島的なところがあると聞きますが、確かにそうでしょうね、見えるくらいですから(九州からは見えるのかしら?)。

2008年6月26日 (木曜日)

10年前の今日4

Ichiジャガルチ市場、釜山370万人の胃袋を満たす水産市場です。

活気に満ち満ちています。

日本海で獲れた魚が一杯です。

沖縄の魚屋さんだといろんな色の魚が並んでいますが、ここには日本と同じごく普通の魚が並んでいます。

面白いのは、日本では仙台・三陸で多い「ホヤ」が一杯あることです。

そうです、韓国ではホヤを味噌汁に入れて食べたりするようです(ホヤ入り味噌汁は余りおいしくありませんでしたが。キュウリの味噌汁が美味しくないのと同じ)。

築地も確かに活気はありますが、どちらかと言うと卸中心なので雑然感はそれほどありません。

ところが、ジャガルチ市場は混沌としたカオス的雰囲気があって楽しい場所でした。

2008年6月24日 (火曜日)

10年前の今日3

Pusan釜山タワーからの港を眺めた画です。

関釜フェリーの停泊している埠頭の先に、派手に白い航跡を残して乗ってきたビートルが博多に向けて出港していきました。

釜山はご覧のように、自然の半島等に囲まれた良港です。

韓国第2の都市に発展するのもよく分かります。

前年(97年)の金融危機もなかったように街は活気に溢れていました。

街を歩いている人々を見ていると自分がアジア人だなぁとの思いが強くなります。

日本にいると、他国人に遇うとつい意識しがちですが、違う国にいざ入ると意識のしようがなくなります。

そして、良く眺めると、どの顔つきも日本で見ていて、その構成比が違うだけに気づきます。

つまり、日本も韓国もアジアの一部だからなのです。

違いを重箱の角を突くように比べるより、同じか似ているところを大切にすべきだとつくづく感じました。

2008年6月21日 (土曜日)

10年前の今日2

Daewoo

3時間弱後、釜山の港内に入ると多くの造船所で大型船の建造が真っ盛りです。

ただ、見た風景は日本のそれと余り変わりがなく、3時間足らずの船旅では大した変化はないのは当然だなと言う雰囲気でいました。

しかしながら、いざ桟橋に着き、簡素な入国管理所を抜け街に出ると、やはりそこは異国でした。

看板やビルに掲げられている表示が全く読めないのです。

元々、駐在の友人に頼り切るつもりでしたから、全くハングルの勉強なぞしてなく本当に一文字も理解できないのです。

背中を走る孤独感と、友人に会えなければどうなるんだろうと言う恐怖感に近いものに襲われました。

幸いすぐに友人と会えたので、それもつかの間でしたが、船での僅かな時間は大したものではないと思ったのは間違いでした。

何かと大ごとな飛行機と違い、ひょいと乗って2次元の海面を滑るようにやって来た船旅が、余計距離感を感じさせないのでしょうが、自分の感覚と現実の違いに唖然としたのでした。

2008年6月20日 (金曜日)

10年前の今日

Beetle210年前の今日は、博多湾にいました。

友人が赴任先のプサンからもうすぐ帰国すると言うので急いで出発しました。

当時、私居酒屋コーチは広島に出向していましたので、「日韓合同セマウル切符」を活用しました。

広島駅から新幹線で博多まで行き、そこからジェットフォイル「ビートル」で釜山に渡り、そこから特急セマウル号でソウルまで行けるキップです。

友人は釜山にいるのでセマウル号には乗りませんでしたが、それでも個別に購入するより安いのです。

ジェットファイルは、水中翼船と呼ばれる船舶の一種で、原型は飛行機で有名なボーイング社で、名称をボーイング929と呼ばれており、日本では川崎重工が造っています。

時速80キロで走ることが出来、博多~釜山を3時間弱で結びます。

居酒屋コーチが釜山に向かった日はご覧のような快晴でしたので、至極快適な船旅でした。

(続く)

2008年6月17日 (火曜日)

ここにもあった名店

Kima日本風な暖簾の掛かった普通の居酒屋か定食屋に見えます。

メニューもカレー以外にラーメン・カツ丼・定食類に日本酒(銘酒)で何でもありの店です。

にも関わらず本格的なカレーが楽しめる「糸力」です。

かつて、糸井重里氏が絶賛したそうです。

画像は、マトン入りキーマカレーです。

ほかにもインドカレーやタイ風ココナッツミルク入りなど幾つか種類が楽しめます。

しかし、カレー以外に様々な料理をこなしてしまう板さんってどんな人なんでしょう?

2008年6月15日 (日曜日)

行ってみました。吉田のうどん

Tensakuうどん屋さんには見えません。

ナビによるとこの辺りなのですが、暖簾の下がっている店がないので、クルマを下りてそばに行って漸く確認出来ました。

店に入ってみると、外観と同じようにイタリアン風です。

何となくお尻がムズムズする感じで、腰の強い「吉田のうどん」を初めて頂きました。

比較しても意味はありませんが、讃岐で食べる滅茶苦茶腰の強いうどんに比べると食べ易いです。

帰ってネットを見てみると、創業昭和33年とのことでした。

店を出た時は、「きっとイタ飯屋を居抜きで買ったんだろうね」なんて勝手な推測をして、店主さんご免なさい。

2008年6月12日 (木曜日)

スペイン料理

Sausage恵比寿の「Tio Danjo」に行ってきました。

コース料理以外に、1Fのバルから、「豚の血と米入り腸詰」を注文しました。

これは食べなければいけないお奨めとのことです。

若干レバーのような風味がありますが、庶民的な美味しさでした。

居酒屋コーチはレバが好きですから問題ありませんが、豚レバが食べられない方は厳しいかもしれません。

2008年5月31日 (土曜日)

18年前

Oshidori上高地の梓川を泳ぐオシドリです。

とても気持ち好さそうですね。

ただ、梓川は見かけほど綺麗でない川として知られています。

登山家が流した排泄物等で汚染されているのだそうです。

富士山・エベレスト(サガルマータ・チョモランマ)等汚染が問題になっていますが、上高地も同様な訳です。

真剣に考えなければならない問題ですね。

2008年5月29日 (木曜日)

新車でご機嫌!

18yearsago今日で丁度18年経った訳です。

当時、テラノが納車され喜び勇んで上高地に出かけた時の大正池です。

真夜中に出発して6時過ぎに大正池に着き、朝の霧が晴れて来た頃7時前頃でしょうか。

当時は、土日以外は私有車でも釜トンネルを抜けて上高地に入れました。

カモさんが気持ち好さそうに泳いで?います。

2008年5月28日 (水曜日)

忍者仕様?

Narukoyuri忍者映画?時代劇映画によく出てくる、忍者等の不審者を発見するための「鳴子」のような花が付いているので、「ナルコユリ」。

普段、上の方から眺めることばかりなので、こんなところに可愛い花が付いているとは知りませんでした。

ところで、この時季にもユリが咲くんですね。

2008年5月26日 (月曜日)

采配ラン

Saihai後ピンになってしまいました(携帯ではなかなか難しい)。

戦に使う「采配」に似ているので、「サイハイラン」と名付けられています。

エビネもそうですが、野山には色々な種類のランがあるようですね。

ところで、軍配と采配をどう使い分けるのか僕には分かりません。

2008年5月20日 (火曜日)

やっぱり富山?

ToyamaJR富山駅にやっぱりありましたこのキャッチフレーズ。

昔から富山県(富山市)の薬売りは有名ですね。

医薬品の生産額では、大阪がトップで富山は8位だそうです。

生産額ではなく、配置薬で有名のようです。

その配置薬では、全国の半分を占めます。

ただ、我が家には富山の薬売りはもうやって来なくなりました。

今では欲しくはありませんが、やっぱり紙風船は懐かしいですね。

2008年5月18日 (日曜日)

5年前2

Yathuo金沢でちょっと呑み過ぎて、電車で富山駅へ。

富山から高山線に乗り、越中八尾駅で下車。

風の盆の舞台は、ここからバスで行かないといけません。

2008年5月17日 (土曜日)

5年前

Sake5年前も土曜日でした。

知ってますか、「加賀の地酒」。

残念ながら、何れも呑んだことがありません。

今度はきちんとこういうお酒をお土産にしたいものです。

2008年5月15日 (木曜日)

ちょっと高原っぽい?

Kamikochi家のそばの遊水地の緑が濃くなってきました(ちょっと加工済み)。

久し振りに暖かくなった今日は風もなく気持ちの好い一日でした。

信州辺りに行ってフィトンチッドを思いっ切り吸いたいですね。

ちょっと高原っぽい?

Kamikochi家のそばの遊水地の緑が濃くなってきました(ちょっと加工済み)。

久し振りに暖かくなった今日は風もなく気持ちの好い一日でした。

信州辺りに行ってフィトンチッドを思いっ切り吸いたいですね。

2008年5月14日 (水曜日)

昔の正直村

Shojikiまだ、BBQ小屋(屋根?)や舞台も何もありません。

懐かしい姿ですね。

カラマツがポヤポヤっと柔らか~い芽を出して綺麗です。

一番好い時期です。

2008年5月13日 (火曜日)

釧路川?

Creek雰囲気的に釧路川に似ている聖湖(樽床ダム湖)の流れ込みです。

道東にはない松や杉か檜の植林が見えますが、湿地っぽいところの草や柳は良く似ています。

ちなみに、この画は遡っているところです。

そう言えば、カヤック・カヌーには随分乗っていないなぁ。

2008年5月12日 (月曜日)

12年前

Hijiriko前回の子年1996年5月12日(日)の画像です。

広島県山県郡芸北町(当時)西八幡の聖湖の風景です。

グラマン社ジュラルミン製?のカナディアンに乗り湖に漕ぎ出しました。

Jストロークで一人で真っ直ぐ進ませます。

今日のように寒くはなかったようですね。

2008年5月 7日 (水曜日)

渋滞解消!?

R23道路交通情報で渋滞で有名な地点の4車線化が漸く完了しそうです。

ついこの間まで立ち退いていない家屋がなくなり、向こうまで見通せるようになりました。

夏のシーズンまでには渋滞がなくなるでしょうか?

道路交通情報が気になりそうです。

2008年5月 4日 (日曜日)

各論賛成総論反対

Banboo真竹のようでもありますが、果たしてこれはパンダの好物の竹でしょうか?

「リンリン」が死に上野動物園からパンダがいなくなりました。

1972年以来35年強に亘って飼われていたので、確かに上野動物園の顔と言ってもよいかもしれませんので、少し寂しい気もします。

福田政権は、中国との関係を深めるため上野にもパンダをリースして欲しいと要請をしているとか言われています。

が、中国が基本的に嫌いな石原知事は、「生きてるものは死ぬんだから。パンダだって死ぬだろうし。世界は狭くなったんだから、見たけりゃいるとこ行って見てきたらいい」と、けんもほろろでした。

私居酒屋コーチは石原知事は嫌いですから、基本的政策は賛成出来ないも少なくないのですが、このパンダの件については賛成です。

知事は「世界は狭くなった」と言っていますが、日本には神戸に2頭、南紀白浜に6頭パンダがいますので、見たい人は見に行けば良いと思います。

東京に何でもある必要はありません(旭山動物園に象徴されるように、動物園が珍しい動物で人を呼ぶ時代も終わりました)。

神戸や白浜或いは中国本土にパンダを見に行って、それ以外の見聞を深めることは、バーチャルなオリエンタルランドなぞに行くよりずっと有益ですから。

それ以上に、パンダ如きで中国に政策・外交上の借りを作る必要はありません。

別に、中国のやり方が嫌いだからということではなく(好きではありませんが)、もっと高度の外交をするべきだということです。

朱鷺もそうですが、種の保存という地球レベルの協力は、外交を超えた時代です。

ですから、何れは直面しなければならない中国の民主化に向けて協力出来ることや、食料生産の問題や環境等について国家レベルとして協力出来ることを前面に出して、お互いに協力していくことを話し合うべきなのです。

パンダ如きに時間とエネルギーを割く余裕など今の日中間にはないはずです。

2008年5月 1日 (木曜日)

駒込千駄木町

Sendagi_2私の生まれた病院です。

まだまだお産婆さんの時代でしたが、裏に病院があったので(家が裏にあった?)病院で産んだとのことです。

向かいはツツジを見る人が一杯の根津神社です。

角にあるのが、和菓子屋「一炉庵」。

うちでは最中しか買いません。

「夜雨」という小さめの最中です。

ほかにもお菓子があるようですが。

2008年4月30日 (水曜日)

ちらし

Chirashi久し振りに、「ちらし」を食べました。

西日本では「ちらし」と言うと、こちらで「五目(寿司)」と呼ぶ、細かい具(生の具はない)が酢飯に混ぜ込んだものを指します(ばら寿司)。

見かけは海鮮丼に似ていますが、異なるのはご飯が酢飯であることです。

思ったよりご飯が多くて満腹でした。

2008年4月26日 (土曜日)

咲き始めました

Ebineかつて、エビネは日本の山野に何処でもあったと言います。

前回の記事で書きましたが、何かが話題になるとそれが全てのように、蟻が砂糖に群がるように行動する日本人の悪い癖でもはや野生のものは殆ど見られなくなったと言います。

情けないですねぇ。

2008年4月25日 (金曜日)

Assorted

Assorted

この文字を見て何を思い出しますか?

そうです、お菓子のパッケージの表記によく使われています。

「詰め合わせ○○」という奴です。

色々なお菓子が、一袋や一箱に入って、好きなお菓子を選べるタイプです。

クッキーなぞは、好きな奴が咲きになくなり、人気のないのが残りますね。

というように、今頃の山は新緑のAssortedです。

あと1~2週すると殆ど同じ色合いになってしまいます。

今が食べ頃かな?

2008年4月13日 (日曜日)

嗚呼「しらせ」

Fujistern南極観測船「しらせ」が帰投しました。

今週には、母港?長浦港に戻るのでしょう。

しかし、82年に就役したしらせも寄る年波には勝てず今回の任務が最後でした。

海上自衛隊も、護衛艦でないこれだけ大きな船を維持していく費用も持っていないので、「宗谷(お台場)」「ふじ(名古屋港)」のように引き取り手がなければスクラップになるとのこと。

この画像は、81年か82年の南極から帰った時の「ふじ」様子ですが、喫水線の上も氷でペイントが剥がされボロボロで、過酷な航海の様子が窺い知れます。

ひょっとして、このペイントの剥げも補修されずに放置され解体されるのでしょうか?

ちょっと可哀想ですね。

2008年4月 9日 (水曜日)

散っちゃいました

Sakurafubuki昨日の大雨と強風でソメイヨシノは殆ど散ってしまいました。

でも、山には白い花のヤマザクラが楚々と咲いています。

萌黄色の葉とまっ白い花のコラボレーション(手垢が付いた言い方!)が案外力強く感じます。

ソメイヨシノを減らし、元々の生態系に戻すべくヤマザクラを植える活動もあるようです(我々もやってます)。

2008年4月 8日 (火曜日)

かじか号

Kajika錦川鉄道清流線の「かじか」号です。

ところで、何で列車の呼称に「号」をつけるのでしょうか?

現在は違ったカラーリングが施されているようです。

山陽本線岩国駅から錦町駅までトコトコ、というより結構しっかりと走っています。

錦帯橋の架かる錦川はきれいな川です、比較的緩やかに流れているので、その河岸を通るこの路線も緩やかにカーブをしているので、きつい加減速なしで走れるようです。

本来は、錦町から更に北上し島根県に入り、山口線に日原駅で接続される予定だったようですが、まっ赤っかの国鉄は工事を凍結しました。

しかしながら、若干の工事が当時進んでいて、近代的なコンクリート高架の路盤が出来ています。

それを利用して現在トロッコ列車のようなものが休日に運営されているようです。

負の遺産ではありますが、上手く活用していこうという姿勢は素晴らしいことです。

2008年1月28日 (月曜日)

スパイ衛星

181

米国のスパイ衛星が墜ちて来るそうです。

今のところ何時何処に大気圏突入するか分からないとのことで、ちょっと心配です。

重さ10トンで小型バスの大きさらしいので、高性能の望遠鏡なら場所さえ分かれば見つけられるかもしれません。

少なくともスペースシャトルは地上から見えるのですから。

一般的に、人工衛星は宇宙の果てに飛ばさない限り何れ地球に落下して来ます。

地上から近くにあり重いものから、墜ちて来ます。

静止衛星は高度36千キロという、地球と月の10分の1位の遠くですから、中々墜ちて来ません(まだ墜ちてないと思います)。

今回のスパイ衛星は、もっとずっと近い高度100キロ辺り(飛行機は10キロ)まで降りて来るそうです。

ただ、常に100キロにいるのは落下を早めるので、普段はもう少し上空にいるようです。

つまり、北朝鮮で「テポドン」などの動きを察知した場合(有事に)、ロケット燃料を噴射してブレーキを掛け地球周回速度を落とし高度を下げ(軌道変更)、近い場所から空中撮影をするわけです。

そして、そのミッション(指令)が終了したら、また燃料を吹いて加速し高度を上げるわけです。

ということで、スパイ衛星は通常の人工衛星に比べ、軌道変更・修正が多いので、非常に多量の燃料を積んでいます。

今回の落下で心配されるのは、10トンの一部が大気圏突入で燃え残った破片が人のいるところに落ちて来て破壊を招くことに加え、有毒・有害な燃料が燃え残って地上にばら撒かれるのではないかという危惧です。

衛星の軌道変更・修正用の燃料は、「ヒドラジン」系の推進剤と「NTO(4酸化2窒素)」と呼ばれる酸化剤を用います。

この二つの液体を混ぜると勝手に火がつくので、点火装置が要らず都合が良いのです。

ヒドラジン(名前もおどろおどろしいですが)自体も有害ですが、その仲間のジメチルヒドラジンになると発癌性もある危険物です。

今回はどちらの推進剤が入っているのかは分かりませんが、何れにせよ燃え尽きずに地上に墜ちると大変危険なのです。

米国は衛星を制御不能と言っているので、燃料を全て消費して墜とすこともできないのでしょう。

情けない話です。

しかし、宇宙開発(平和利用でも)というのは、実はこういった厄介な側面も持っていることを忘れてはいけませんね。

2007年12月25日 (火曜日)

よくぞ

Hakkakudo_2八角堂の形をした幼稚園です。

鎌倉比企谷(ひきがやつ)の妙本寺境内にある幼稚園の園舎です。

如何にもお寺さんの幼稚園という形です。

寺院の雰囲気や鎌倉という土地柄によく合っています。

八角堂と言えば、法隆寺の「夢殿」を思い出しますが、鎌倉では八角堂はないと思います。

あと、思い出しますのは北の丸公園の「日本武道館」ですね。

「八」は、東西南北とその中間の八方を指すようですが、この建物が角がきちんとその方向を向いているかは分かりません(おそらく向いていると思いますが)。

また、建造物としても六角では細身に見えて安定感に欠けるという点もあるでしょう(八角は常に四面見える)。

実際に中に入ったことがないので、部屋がどのようにレイアウトされているかわかりませんが、まぁ何とか什器もさほど無駄な隙間を作らずに設置できる限界な形なのかもしれません。

多少の不便さを忍んでも、周囲との景観を破らないように、よくぞこの形を選んだお寺さんには拍手をしたいと思います。

2007年12月23日 (日曜日)

クリパ

Sifo 冷たい雨が降る中、07年クリスマスパーティーが催されました。

会場は、某自動車ディーラの横浜ブランチです。

汽車道プロムナードの脇の倉庫群にあるのですが、整理のため取り壊しになるというのでお別れパーティも兼ねています。

ということ合同パーティなので大変な盛況です。

外は雨が降って寒いのですが、中は人いきれで何とか凌げます。

ところで、汽車道プロムナードにはもう線路はありませんが、ここにはまだ引込み線の線路が残っていました。

赤レンガ倉庫にもあった引込み線がここまで来ていたようです。

そう言えば、現在の汽車道プロムナードもずっと昔は山下公園の脇を高架で汽車(SL)が貨物を引いて山下埠頭の方へ走ってたものです。

今は山下公園には高架もありませんが。

耐震や諸般の事情により古い建屋が壊されていってしまいますが、昔を思い出させてくれる痕跡もなくなっていくのは寂しいものです。

2007年12月18日 (火曜日)

料理「円海山」

Enkaizan_2夕食料理「円海山」です。

横浜市で一番高いと一般的に言われている山名にちなんでいます。

一般的にと言ったのは、国土地理院の地形図のよると「円海山」が153.3mに対し、その南方の尾根続きに156.8mの「大丸山」の方が高いにも関わらず、大丸山の名が地形図には記載されていないので、横浜市で高い山は「円海山」と言っているからです。

ちなみに、横浜市で一番高い地点は、「ランドマークタワー」の300m弱になります。

円海山と大丸山で高さ以外の景色で比較すると、円海山の方が若干勝っているように思えます。

高さで勝る大丸山も、山頂からの眺望は東方面に開けるのみで、金沢八景方面のみが見えるだけで(東京湾は見えますが)、見たいもののNo1である富士山は、樹木が茂って見えないのです。

円海山も山頂からは北側に横浜市街地、見通しの良いときは東京タワーも見渡せ、あれが何々、こっちが何々と楽しめます。

また、円海山を少し西の方に下ると、伊豆半島・相模湾・箱根・丹沢・富士山と見渡せる場所があり、透明度の高い今の時季は絶景です。

そこから振り返ってみると市街地・東京湾の方も臨めます。

こちら側は夜景も綺麗なので、もし大金があったら北側に大きな窓を持った大人向けの小さなレストランでも開いてみたいものです。

2007年12月 7日 (金曜日)

青くない!

Miura先日、練馬で「練馬大根」の収穫つまり引き抜き競争のニュースをやっていました。

練馬大根は、画像の「三浦大根」のように太くはありませんが、中太で畑から抜き難いことは間違いないようです。

もうかれこれ20年以上前ですが、練馬の農家の方に「大根は重い割りに価格が安いのでもう作らない」と聞いた覚えがあります。

その農家(年寄り)は軽くて収穫も楽なホウレンソウを栽培していたようです(最近はキャベツの作付け量が多いとの由)。

大根やキャベツは、梱包のダンボールに数本(個)しか入らずコストも掛かることも嫌われていたようです。

元々練馬大根は、水分が少なく筋っぽくタクアンとして消費されることが多かったので、当時は直径2mくらいある大きな樽が農家の庭に転がっていたものです。

タクアンでご飯を食べるのは幸せですが、塩分の取り過ぎになりかねないので消費が減り、練馬大根は殆ど作られないようになったようです。

画像の三浦大根も抜くのが大変なのと、味が辛いのが嫌われて作付け面積は減少しました。

少し根が張ったのですが、ブリと一緒に煮ると柔らかく甘くなり、とても美味しくいただけました。

大根おろしにすると、ふわふわっと柔らかくなり、辛さが秋刀魚にとても合いました。

「青首大根(抜きやすく・辛くない)」が嫌いなわけではありませんが、やっぱり美味しい大根は素敵ですね(女性の脚は…、ごめんなさい)。

2007年12月 4日 (火曜日)

豚・キムチ・たまご

Butakimuchi川崎の某日帰り温泉のメニューに、「豚キムチ丼」があったので食べてみました。

ご覧のように豚ロース肉がたっぷりでなかなか美味しくいただけました。

豚キムチは豚肉が少ないとただのキムチ炒めになってベチャベチャしてしまうので、案外気をつけないといけないメニューです。

私居酒屋コーチの一番好きな豚キムチは、広島流川のお好み「ふみちゃん」の豚キムチです。

キムチと豚肉とたまごの具合がとてもよくて、お互いが表に出過ぎずとても調和がとれているのです。

これからの寒い季節に、火の出るような熱い焼酎のお湯割りといただく豚キムチは最高でした。

こうやって書いてるだけで二日酔いになって来そうなくらいの心象が胃袋から沸いてきました。

うっぷ…。

2007年12月 3日 (月曜日)

草紅葉

Glassfall草紅葉(くさもみじ)と言えば、尾瀬ヶ原を思い出しますが、こんな近くにもありました。

我が家から歩いて5分のところです。

公園の奥にあり、道路からも見えない位置にあるので気づきませんでした。

赤く(茶)染まっているのは、「茅(ちがや)」というイネ科の植物だそうです。

誰かが植えたわけではないと思いますが、綺麗に群生して見事に紅葉しています。

この日は小春日和の暖かい日でしたので、シートを敷いて弁当を食べるのに絶好の一日でした。

弁当を食べるために来たのでなく後ろの人工林の間伐作業に来ましたが、今度は暖かい日に折り畳みの椅子を持って読書にでも来たいものです。

2007年11月22日 (木曜日)

寒過ぎです

Sea 寒くなってきました。

空気が澄んでくると箱根の連山の手前に相模湾が黒々と見えるようになります。

ところで、北国ではこの時季では記録的な積雪のようです。

ラニーニャの影響で寒い冬になるかもしれないと言われてもいますので、ひょっとすると今冬は本当に寒くなるかもしれません。

ただ、原油高でガソリン同様に灯油がバカ高くなっているので、懐まで寒くなってしまうのが困ります。

私居酒屋コーチは、何れ半農半コーチとして田舎に居を移したいと考えていますが、暖かいところに住まないといけないかなと思い始めました。

本当は雪のある風景が好きなのですが、背に腹は代えられないですから。

雪の多いところでは、移動に自転車というわけには行きませんので…。

困ったものです。

同じように考え始めている方も少なくないでしょうね。

2007年11月16日 (金曜日)

頑張ってね5002!

Shirase 南極観測船「しらせ」が最後の航海に先日出発しました。

もっと早く書きたかったのですが、PCのHDDが壊れ書けませんでした(大金は出ましたが…)。

この画像は95年に広島港「1万トンバース(実際はもっとデカイ船が係留できるので、寂しい名前ですね)」にやってきた時のものです。

南極観測船は、暮れに日本を出港し春先に帰港するので、鶴見の造船所で修理を終えると、全国を回っているようです。

母港の海上自衛隊横須賀基地にじっとしているわけではないのです。

以前、前の観測船「ふじ」の記事でも書きましたが、45度以上もロールするような南氷洋を越えて、南極の1.5mもの氷を割って進むのですから疲れも激しいのでしょう。

いくら、全国を回って多くの子供たちに喜ばれても、寄る年波には勝てないようです。

長い間ご苦労さんでした。

おっと、まだ早いですね、これから最後の重要な任務が残っているのですから。

2007年11月 9日 (金曜日)

西から見るとよく分かる

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主に平安時代から鎌倉時代にかけての権力を持った(持ちつつある)者が、自分の力を効果的に発揮するために、「地理的要件」をどのように活かしたかを考察したものです。

権力に寄り添う輩(良きにつけ悪しきにつけ)はどの時代にもいるものですから、当然時代の権力を持った人物が拠点をおいた地域周辺にも、多くの人が集まり都市が形成されていくわけです。


私居酒屋コーチのように京都から遠い人間には、京都は一様に見えるのですが、実際は多くの王権によって様々な地域に拠点が築かれ、拠点ごとに発展していき統合され現在の姿があるようです。

祇園辺りが実は平安京(都)の外であったからこそ今の姿があるというのは、居酒屋コーチのような先斗町に憧れる下世話な人間には想像の外でした。

鎌倉が発展したのもさもありなんです。

湘南電車に乗られる方はお分かりと思いますが、横浜駅を過ぎ保土ヶ谷に近づく辺りから山(丘)が見え始め、東戸塚の手前で小田原までで唯一のトンネル(清水谷戸トンネル)を抜け、戸塚・大船・藤沢と進みます。

そして、藤沢を過ぎると一転して景色が開け、平塚を過ぎるまで山は見えてきません。

これを逆に西から進んでくると、藤沢つまり鎌倉の丘陵の端まで平坦であったものが、ここに来て急に険しくなるのです。

その丘陵を海沿いに少し越えると「滑川」の扇状地である鎌倉に行き着くのです。

つまり、鎌倉は西からの兵を防ぐに適した要害であり、源氏が拠点を作るのに適当であったのです。

ただ、当時鎌倉は古東海道(鎌倉を抜け、三浦半島を越え東京湾を渡り上総に抜ける)ルートに位置していたので、街道から外れた山の方に拠点を築いたようです。

そして海寄り(つまり東海道沿い)にあった「八幡宮」を現在の位置に移し(元は材木座の「元八幡」)、そこを中心に発展していったわけです。

京・鎌倉以外にも多くの都市で、様々な権力によって、たくさんの町が一様でない発展の仕方を遂げ都市化していったのです。

残念ながら、その発展の残滓である古い字が区画整理等でなくなっていくのは寂しい限りです。

ところで、あと2ヵ月後にやってくる「初詣」ですが、頼朝が八幡宮に1月1日に願をかけに詣でたのが始まりとこの本にありました。

40年前くらいは、鶴が丘八幡宮が初詣の参拝者No1だったのは、とっても正しいことだったのですね。

2007年11月 8日 (木曜日)

落ち葉の川を楽しもう

Fallen いよいよ枯れ葉がちょっとした風で落ちるようになってきました。

今年は、直撃した台風9号の風と潮で葉っぱが見た目に如何にもやられたなぁという感じになっているので、綺麗な紅葉にならずに落ちる数も多いようです。

こういった歩道の葉っぱは、風が吹くとどっかに飛んでいってしまい案外すぐに少なくなります(ただ、どっかに吹き溜まっているので町内一斉に清掃もしますが)。

ですから、落ち葉の上をサクサクと音を言わせて楽しく歩くことは案外できません。

それに比べ、近くのハイキングコースは落ち葉がくるぶしが埋まるくらい溜まります。

ハイキングコースは、周囲を林で囲まれているので風で飛ばされ難く、絶対的に落ちてくる量が多いからです。

今月下旬から年内くらいまで、うねうねと曲がった落ち葉の川の上をサクサクと気持ちよく歩くことができます。

寒さも募ってきますが、木々の合間から差し込むお日さまにホッとしながら、枯葉の川をザワザワ言わせながら歩くのは、ささくれ立った心の角を丸くしてくれます。

森や林は自分の身を削って冬に備えながら、私たちを人間の気持ちを優しくしてくれる存在です。

やっぱり、森や林を大切にしないと人生は楽しくなりませんね。

2007年10月18日 (木曜日)

3時のおやつは文明堂

Ytoyopet 某自動車ディーラーで貰った「三笠山」です(と言ってもわかっちゃいますけど)。

商品自体は、「株式会社文明堂(横浜文明堂)」の三笠山です。

文明堂と言えば、「♪カステラ一番、電話は2番、3時のおやつは文明堂♪」の歌で熊のマリオネットがカンカンダンスを踊るCMで有名です。

文明堂は「暖簾分け」された会社が多く、上記のCMは関東地方(東日本?)限定のようです。

大本は、日本の「カステラ」発祥地の長崎のお店だそうです。

確かに、長崎には文明堂のカステラがお土産で売られています。

長崎のお店から暖簾分けされて、各地に文明堂が存在するようです。

東京にある、「銀座文明堂」「新宿文明堂」「日本橋文明堂」は各々違う会社(法人)のようなのです。

どうやら、商品も若干会社によって異なっているみたいです。

暖簾分けですから当然と言えば当然の状況なのでしょうが、今の時代面白い現象ですよね。

同じような例として、「ひよこ(福岡と東京)」もありますね。

2007年10月 6日 (土曜日)

何でだろう♪何でだろう?

Thaihouse_2 (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

スコータイ遺跡から更に北に向かい、タイ第2の都市「チェンマイ」に向かいます。

スコータイの遺跡群は本当に立派で見るべきものも多いのですが、昨日も書いたように、ここで触れるには私居酒屋コーチが殆ど分かっておらず記事にするのが難しいのです。

で、先に進めます。

移動はバスで行うので、車中からはタイの人たちの生活ぶりを見ることができます。

とは言っても、大体ジャングルなので遠くは見えず道路際しか分からないのですが。

そんな中でもよく見かけたのが、このような高床式の建物です。

この画像では、居住用の建物が2棟並行に立っていて、もう1棟納屋か住居みたいなものが立っています。

見たところ、電気が来ていないようにも見えますが果たしてどうなのでしょう?

道路脇には電柱が立っています。

こう言った高床構造にしているのは、大雨が降ると水位が上がるからでしょうか?

あるいは、暑さを凌ぐには床が高い方が快適なのかもしれません?(疑問符だらけですね)

結局、昨日の記事同様、再び真偽のほどは分からずの内容になってしまいました。

ごめんなさい、いい加減で。

2007年10月 5日 (金曜日)

あれ、反対向き!?

Budda (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

よく見ないと分かり難いのですが、仏様のお顔が2つ写っています。

右手の仏様は左手を、左下のものは右手を向いています。

つまり、両者はまったく180度違った方向を向いているのです。

仮に右側の仏様が南を向いていれば、左手は北を向いていることになります。

日本で一般的(言い過ぎかもしれません)には、仏様は南を向いていることが多いと思われます。

奈良の大仏も鎌倉の大仏もそうです。

大体、お寺の伽藍の配置は南にある山門(東大寺などは南大門と言ってます)があり、そこから北に向かい参道があり、本堂や金堂があり仏様が安置されているパターンが多く、その境内の中の仏様は、南を向いていると思います(違ってたらごめんなさい)。

京都の三十三間堂などは千躰は全て同じ東を向いています。

もちろん、お寺自体が東や北、あるいは西を向いていることもありますが。

ここスコータイの時代では、現在と思想が変化しているでしょうし、日本とも考え方(宗派というより、かつて大乗/小乗といわれるレベル)が異なるでしょうから、このような仏様の配置も決して不思議ではなかったのでしょう。

こんなことを考える、もっと勉強をしてから観光をすれば、より興味深い旅ができそうに思います。

でも、私居酒屋コーチはそういう事前準備を十分にした旅行をしたことは全然ありません。

実際に現地にいくと考えていた通りの行動をすることができない性質なのです。

ですから、あまり十分な準備をしないのです。

その代わり、帰ってきて行かなかったことやよく見てこなかったことを後悔しながらも、また行ってみたくなる気持ちが沸々と湧き上がるのを楽しんでいます。

2007年10月 4日 (木曜日)

月へ到着

Nishiogi 人工衛星「かぐや」が、本日早朝に月の周回軌道に乗る姿勢制御を行ったようです。

上手くいっていれば、今はもう月を回っているはずです。

5日前、地球から月までの30万キロを旅するために、衛星内に仕込んであるロケットエンジンを噴射して速度を上げ、地球の引力から脱出しました。

そして、今度は反対側にエンジンを噴射し減速をして、月の引力に掴まったわけです。

この衛星に積んでいるエンジンは、「2液エンジン」と呼ばれ、酸化剤と燃料を混ぜると勝手に火が付くイグナイタのいらない構造になっています。

地球から飛び出す際のエンジンは、「LO(液体酸素)」「LH(液体水素)」の所謂水素エンジンの一種で、衛星に積んであるタイプとは違います。

この2液エンジンは、衛星の姿勢制御にも使われています。

実は、人工衛星の寿命はこの姿勢制御用エンジンの燃料の量によって決まります。

つまり、燃料がなくなった時が衛星の寿命が尽きる時なのです。

人工衛星は、先ほど書いたように地球や月あるいは太陽などの引力の影響下にあります。

ですから、放っておくと勝手な方向を向いたりしてしまうのです。

それでは具合が悪いので姿勢制御エンジンを噴いて姿勢を正すわけです。

燃料が尽きると姿勢が崩れて直せなくなるので、お払い箱になります。

これが寿命です。

最近の人工衛星はロケットの打ち上げ能力が向上(より重いのを上げられる)したお陰もあって、昔に比べ多量の燃料を積めるようになり寿命が長くなってきています。

実は、この長寿命化がロケットの打ち上げ回数が結果的に少なくなり、ロケット製造側にとっては需要が減る方向になり、国際間での競争がより激しくなり儲かり難いビジネスになりつつあります。

高性能化しないと競争に勝てないし、そうすれば需要が減るというマイナスのスパイラスにはまりそうな業界が、現在の衛星打ち上げビジネスです。

ところで、今日の画像ですが、JRから貰ったカレンダーの10月の画が中央線の「西荻窪駅」だったので、携帯で撮り貼り付けました。

ここから、15分くらい北に行ったところに、「ロケット発祥の地」の記念碑があるのと、私居酒屋コーチがこの駅から通った(よく呑んで帰った)ので、「かぐや」にちなんで添付しました。

ここ西荻は、今でも好い居酒屋のある素敵な街です(何回かこのブログでも書きました)。

2007年10月 3日 (水曜日)

思えば奥地に来たもんだ

Scotai (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

いよいよ「スコータイ」遺跡までやってきました。

アユタヤ朝より前に13~15世紀に栄えた王朝の名残りです。

タイ王国でもかなり内部なので、日本人観光客も随分少なくなった感があります。

アユタヤに比べるとぐっと質素になり、熱帯の密林の中にひっそりと忘れ去られた雰囲気があります。

それ以上の差を述べよと言われてもできませんが、私居酒屋コーチはスコータイの方が好きです。

総じて質素だからでしょうか。

日本の奈良時代と平安時代の差のようなものだと思います。

しかし蒸し暑いです。

でも移動中のバスの中はキンキンに冷え切っており、暑い寒い暑い寒いを繰り返して、どうも体調が思わしくなくなってきました。

2007年9月27日 (木曜日)

匂いの攻撃

Kampanput(この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

アユタヤから、スコータイ王朝の遺跡に向かいます。

少し遠いので途中、「カムペーンペット」の街に1泊します。

この画像は、翌朝ホテルそばの朝市の様子です。

湿度がとても高くカメラのレンズが曇っています(ホテル等室内は冷房がキンキンに聞いているので結露しやすのです)。

朝早くてもこれだけの人出です。

一日分の食材を買い集めにやってきているのでしょうか?

もう気づかれた方は嗅覚で旅や食事の記憶をするのが得意な方かもしれません。

そうです、日本でもそうですが、ご察しの通り様々な匂いがします。

それもとっても強烈です!

日本では大体魚介類の干物のようなものが匂いますが、ここでは香辛料の匂いが矢のように鼻腔を突きます。

全てが香辛料ではないのでしょうが、私たち日本人にはそう思えます。

まとわりつくような湿気と匂いでクラクラするような感覚に襲われました。

匂いというのは案外すぐに順応するものですが、ここでは次から次へとやってくる新たな匂いで全く鼻が休まる暇がありません。

それでも、こんな匂いのカオスは滅多にお目に(お鼻に)かかれるものではありませんので、何とか頑張って見物をした次第です。

2007年9月21日 (金曜日)

六地蔵(その30)

Gumyoji 坂東三十三霊場・第14札所「弘明寺」の六地蔵さんです。

本尊は「行基仏・十一面観音菩薩」です。

鎌倉時代は、頼朝が鎌倉幕府から弘明寺まで参拝に来るくらい、昔から有名?だったそうです(その道を鎌倉街道と言ったそうです。以降は北に伸びたようです)。

こちらの六地蔵さんは、現在は山門を入って右手すぐのところにいらっしゃいますが、以前は本道へ続く参道の階段途中左にあったそうです。

境内裏を通る京浜急行が100周年時に、「身代わり地蔵」を奉納した際に、今の場所に移されたそうです。

このブログでも書きましたが、六地蔵さんのような元々路傍で庶民に愛され守られていた石仏は、明治の廃仏毀釈や道路の拡張などで常にお住まいを移されているようです。

この六地蔵さんは元々どちらにいたか分かりませんが、境内の中でも何らかの力関係で居場所を移されるという憂き目?に遇わされているようです。

どうも六地蔵さんはそんな運命であるかのようです。

それでも、お地蔵さんはいつも子供や私たちを優しいお顔で見守ってくれます。

その優しさが、現代でも誰からも愛され続けるのですね。

2007年9月19日 (水曜日)

遺跡を守る

Head_4   (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

アユタヤ王朝の廃墟にある仏像の頭部です(興福寺にある山田寺の仏頭や臼杵の大仏を思い起こさせます)。

アユタヤ王朝がビルマによって滅ぼされた際に、仏像の頭部が落とされたものが、「榕樹(がじゅまる)」の樹によって取り囲まれたようです。

ビルマも敬虔な仏教国ではありますが、戦争の際には仏像(神)を敬う心も失ってしまうのですね(戦争の恐ろしさは人の心を蝕んでしまうことです)。

それにしても(沖縄にもある)榕樹の生命力は凄いものですね。

建物でも何でもその根っこで覆うってしまい、破壊していきます。

アユタヤの遺跡もそうですが、カンボジアのアンコールワットなども、その被害を受けているようです。

見た目には長い歴史を押し固めていくかのように見えますが、実際はそうではないのです。

遺跡を破壊するのは、榕樹だけではありません。

それを遺していくのは、多大な資金と技術が必要です。

日本はそのための資産を持っています。

是非、世界の平和を推進するためにその資産を積極的に外交に使って貰いたいものです。

2007年9月17日 (月曜日)

「かぐや」

Pencilrock 14日に打ち上げられた「かぐや」は順調に飛行しているようです(まだ地球の周回軌道でしょうか?)。

今回の人工衛星は、旧文部省宇宙科学研究所(ISAS)の宇宙科学研究本部が担当しています。

旧ISASは元東大宇宙科学研究所時代から、衛星打ち上げは鹿児島県内之浦射場(KSC)で打ち上げるのが通常でしたが、NASDA(宇宙開発事業団)と航空宇宙技術研究所(NAL)とともに2003年に3者統合されて、初めて種子島宇宙センター(TNSC)からH-ⅡAを用いて打ち上げられました。

要するに、旧ISASは基本的にM(ミュー)型を中心とする自前のロケットで打ち上げていたわけですが、今回はNASDAのロケットを使ったということです。

ISASは固体ロケットの開発も研究主体でしたが、統合の結果ロケット自体の開発は、実用衛星打ち上げ用(H-ⅡA)とダブらないように効率化が進められ、今回H-ⅡAが使用されることになったのだと思われます。

お互いの良いところを用いた統合の良い結果であると思います。

また、M-Ⅴロケットでは、月まで飛ばすとなると衛星の大きさはずっと小さくなり研究の範囲も狭められることになるので、H-ⅡAで打ち上げるのは衛星・観測サイドからも喜ばしい話であったでしょう。

ところで、報道では日本が月に衛星を送るのが初めてのように聞こえますが、実際には1991年にISASが、M3SⅡ型で「ひてん(MUSES-A)」という衛星を月に送り込んでいます。

この「ひてん」には、「はごろも」という子衛星が接続されていて、「横川の釜飯」の釜の大きさくらい(形もそっくり)のチタン製ロケット(ただし厚さは0.5mm)を用いて月軌道に投入に成功もしています。

さて、「かぐや」はこれから月への軌道に乗り、数日かけて月にたどり着き、月の衛星になります。

月の周回衛星になれば、普段絶対に見ることのできない月の裏を、可視光線のハイビジョン撮影する計画です。

クレータの少ない(旧ソ連の衛星が撮影した画像によると)月の裏側を見られるのが待ち遠しいですね。

2007年9月13日 (木曜日)

川の上は快適!?

Chaophraya (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

タイ、アユタヤ近くのチャウプラヤ川です。

恐らく木造と思われる艀(はしけ)が係留されています。

しっかりと舫いロープで固定されていますので、船上生活者が暮らしていると思われます。

バンコク市内の同川には、現在でももっと多くの船上生活者がいると思います。

水上マーケットというのがあるのですから。

最近の日本では、全く見られなくなりましたが、昭和50年代頃までには、この画像のように艀を川に係留して生活している方がいました。

横浜の元町脇の大岡川(以前、タマちゃんも訪れました)にも、艀が係留されていました。

話によると電気も水道も完備?され、中も広く結構快適だったと聞いています。

その辺はタイとは違う?ようです。

流石に下水は用意できないでしょうから、バキュームカーがやって来て汲み取ったのか、そのまま川へということだったのでしょう。

日本では、防災や衛生面から行政が強制的に船上生活者を排除したので、殆ど見られなくなりました。

しかしながら、相変わらず河川の不法係留はなくならず、ちょっとした町の海のそばの川にはボートやヨットがいっぱいあります。

災害時に水の流れを妨げたりして、災害を大きくしてしまう可能性があるから危険ですから、手を打って貰いたいものです。

2007年9月12日 (水曜日)

もう秋?

Fall 今日は本当にびっくりしました!

まさかこんなに早く辞任表明をするとは!

参院選後の野党との戦いをせずに敵前逃亡とは。

政治のせいかどうかわかりませんが、街はすっかり秋模様です!?

ということではなく、お店の装飾のための商品が並べられています。

ここは、浅草橋です。

この辺りは、商店向けの商品を扱う店が一杯あります。

時間があったら、眺めていくのは楽しそうです。

画像の店は、造りものの葉っぱ等を扱っているので、これから本格的に深まる秋の装飾を先取りして飾って、秋模様の店飾を促しています。

先日の台風9号(フィートウ)の強風で葉っぱが随分擦られて傷ついたようなので、これ程山のモミジはきれいにならないかもしれません。

夜の冷え込みがしっかりあり、寒暖の差が大きければ色づきは良くなると言いますので、せめて秋らしく夜は涼しくしくなってなって貰いたいものです。

今年は紅葉を見に行きたいなぁ。

2007年9月 7日 (金曜日)

こどもはやっぱり可愛い

パーソナルコーチ (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

アユタヤに向かう途中で寄った「バンパイン宮殿」の象さんです。

ちょっとweb検索したら、現在も当時のまま成長していないみたいです。

小象さんが今も帽子を被っているかどうかは不明です。

恐らく、右側で剪定をしているおじさんの仲間がちょっと置いたものだと推測されます(判り切ってるって)。

やっぱり、動物は子供の頃が可愛いですね(人間も動物だから可愛い!)。

タイにいるのはインド象だと思いますが、日本の動物園にいる象さんはインド象が多いですね。

インド象も決して大人しいとは言い切れないようですが、訓練すれば人間に従順になり、芸もできるようになります。

対するアフリカ象は一回り大きくかつ獰猛のようなので、狭い敷地の中で人間が管理をするのは難しいようです。

この辺では、多摩動物公園にはアフリカ象がいるようです(サファリパークと呼ばれるところはアフリカ象のようです)。

あそこは放し飼いの動物園第1号ですから。

多摩動物園には、遥か昔に行ったことがありますが、アフリカ象がどうだったかは全く覚えていません(ライオンの放し飼いは記憶してます)。

陸上で一番大きい動物をこの眼で見たくなりました。

2007年9月 6日 (木曜日)

安全運転しましょうね

パーソナルコーチ (この記事の画像は、91年当時ですのでご留意ください)

何処(バンコク市内の何処か)の交差点か判りませんが、なかなか凄い様相です。

正面のバスも然ることながら、後方(右手)の車両が素晴らしいロール(傾き)角度を示しています。

日本のバスは左側には、巻き込み防止のパイプが装着されているので、この角度では「ガガガッ」とモノ凄い音を出しているでしょう。

前のバス同様に、ドアからはみ出すほど乗客が乗っていると思われますので、重心が高くなってグラッと傾いているのです。

しかし、こんなに乗客が乗っているのに結構なスピードで走っているのですから、大らかな風土としか言いようがありません。

事故も多かったでしょうね。

ところで、クルマは重心を中心にして傾くのではなく、ロールセンターという支点を軸にして回転します。

ロールセンターを高く設定するとロールし難いクルマになります。

ロールし難くなると、ドライバーは旋回速度の限界を感じとり難くなり危険になります。

クルマは重心点が外側の車輪より外にかかると横転しますので、傾かずにいることはその越える限界をいきなり体感することになるので、感じた時にはリカバリする猶予がなくなり危険なのです。

傾きが大きくなっていくことを体感していれば、速度を落とすようにして横転を防ぐ手段を打てますから。

05年4月のJR福知山線の脱線事故は、殆どロールしない電車の車両が線路のカント角(外側のレールを元々高くして、予めマイナスのロール角をつけておく)を相殺して重心が外側の線路を越え、一輪走行になり脱線転覆横転しました。

クルマの場合はスピンモードなどの横滑りして横転しない状況もあるのに対し、列車は指定された速度を守らないと、レールでしっかり抑えられて横滑りがしないので元々横転につながり易い構造なのです。

さて、現在のバンコクにはBTSと呼ばれる高架の新交通システムや地下鉄ができました。

ですから、バスの混雑も緩和されたでしょうから、少なくともバスでの事故は減ったと思われます。

安全は、大らかだから仕方ないなんて言ってたら、手に入れられないのです。

2007年8月29日 (水曜日)

新聞販売所って

パーソナルコーチ 夏から秋にかけてはお祭りに代表される日本の伝統が花盛りです。

しかしながら、衣料や建物などでは、日本伝統のものは生き残れなくなってきました。

コストや利便性を考えると日本古来のものは、洋物に対抗できないのです。

お祭りのようなものは、コストや利便性とは縁遠いものですから、時代に合わせて変化はしても代々存続されています。

画像のような明治・大正期風の日本式建物はすっかり少なくなりました。

鎌倉由比ガ浜通りにあるこの建物は、新聞販売所として使われています。

まるで、城郭や寺院の望楼のような造りです。

鎌倉は関東大震災でかなり揺れていますので、それ以降に建築の可能性もありますが、入母屋風の立派な造形です。

どういった経緯で、こんな立派な建物が新聞販売所になったか不思議です。

新聞は文化的ハイカラな物品なので、進取の精神を持った地域の名士が販売していたと考えると、それに見合った建物を店舗としていてもおかしくないかもしれません。

他の地域の新聞販売所を注意してみたことがありませんので何ともいえませんが、もし上記のような風土があったとしたら面白いですね。

そういえば、西荻女子大通りにもやはり日本的建物の新聞販売所があったことを思い出しました(こちらはお金がなくて立て替えられない雰囲気もありますが…)。

果たして、この仮説は正しいのでしょうか?

確認するには、もう手遅れのような気もしますが。

2007年8月27日 (月曜日)

赤・赤・赤…

パーソナルコーチ 白っぽい夏がようやく終わろうとしています。

今年は昨年に比べ風が強い日が多かったような気がしますが、街を歩くと全てが乾き切った様相は例年以上だったようです。

ただでさえ色の薄い街が更に白っぽく感じます。

最近のクルマの色の売れ筋は、シルバー系が増えているようです。

シルバーは汚れが目立たず、手入れが余り要らないという利点があります。

洗車したりWAXを掛けたりなどという手間を、クルマに掛ける気持ちが徐々に薄れているのかもしれません。

今やクルマは嗜好品ではなく、日常の道具ですから。

また、日々が忙しくて洗車等に時間を使う余裕さえもなくなっているのでしょう。

そういえば、80年代後半~バブルまで、白・白・白の時代でしたね。

案外、白って汚れが目立ちにくいんですよね。

直視すると眩しいので良く見ようとしませんし。

そんな中で、赤色は相変わらず少数派です。

それでも首都圏は外国車の比率が高いので、赤のクルマを見る頻度は高くなります。

外国車のラインナップには、まず間違いなくソリッド(パールでない)の赤がありますから。

ただ、他の色に比べ赤は退色が激しいことは頭に入れておくべきです。

全く洗車やWAX掛けをしないと白く焼けてしまいます。

SPF50以上の日焼け止めを塗りたいものです。

それは冗談として、赤色は塗料の原価も高く、塗装の手間も掛かります(少なくとも、修理では)。

ひょっとすると、原価を抑えたいメーカーは赤色(特にソリッド)は売りたくないのかしれません。

2007年8月26日 (日曜日)

蝉時雨

Cicala_3動画はこちら

耳を聾するような「蝉時雨」である。

夏の暑さを惜しむかのように、力強く啼く。

アブラゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ツクツクホウシが我が我がと。

しかし、静かである。

彼らの声が、耳障りの音を彼らが育てた土の下に押し込んでいる。

2007年8月25日 (土曜日)

朝は絹○○

パーソナルコーチ 翌日早く軽井沢を抜けるため富岡市内に泊まります。

どうせならということで、富岡製糸場のそばの宿をとりました。

歩いて1分という立地の、明治初期創業という和風旅館です。

夕飯は富岡在住のO君と食べるため、朝食のみの泊まりです。

昼間はあんな?に見学客がいたのに夜の街には人がいません。

製糸場を見学に来ていた方の多くは日帰り客だったようです。

富岡は、今年世界遺産になった「石見銀山」とは違いアクセスは良好ですから、ちょっとやそっとの観光客の入りでは混乱を来たすようなことはないでしょうが、製糸場だけで宿泊させるには物足りないかもしれません。

上信越自動車道のICからもすぐという、足の便が良過ぎるということもあるかもしれません。

1時間単位で滞留時間を長くしてもらうような手を地道に打っていくことです。

焦って、折角の街の雰囲気を壊すようなことをしてしまったら全く意味がありません。

ともかく世界遺産なのですから、関わりの深いフランス人を始め外国人に「来て好かった」と思って帰ってもらうおもてなしをすることが肝要です。

焦ってはいけませんよ、観光協会さん!

「5oceans」で2位になった白石「何がし」と同じ名前の店で、蒟蒻(下仁田?)料理など食べながら呑み、2軒目に「○○ミング」で久し振りに歌って夜も更けました。

好い気持ちで旅館に戻り、シャワーを浴びてウトウトしたと思ったらもう朝です。

何となく外が薄暗いなと痛い頭を叩きながら外を見ると雨が降っています。

漸くあの暑さから開放されそうですが、北軽の天気も気になります。

でも、まずは腹ごしらえです。

朝飯は、卵かけご飯に加えこの店の名物「和風絹しゅうまい」が出てきました。

絹のような滑らかな食感で確かに美味しいのですが、「崎陽軒」のが標準と思っている人間にとってはちょっと物足りない感じです。

絹糸の製糸工場にあやかった絹のコンセプトは○です。

携帯をもっていかず画像を残せなかったのが残念でした。

どうしても気になる方はこちらをご覧ください。

2007年8月24日 (金曜日)

自動車会社製!?

パーソナルコーチ 官営富岡製糸場は、高品質な絹糸を生産するために創設され、官営→三井製糸→原製糸→片倉工業(上諏訪温泉の片倉館の親会社)に引き継がれ、1987年まで操業していました。

操業停止後も、片倉工業は人を駐在し建物を維持管理して今のようなきれいな状態で保存されています。

その企業姿勢は極めて優れたものです(建物は人気(ひとけ)がなくなるとあっという間に朽ちますから)。

そのため、絹糸を生産していた機械も操業当時のまま残っていました。

「繰糸(そうし)工場」と札が掛かっている工場内部に入ると、奥行きが深い建屋内に機械が2列ライン状に並んでいます。

横長の機械の脇で女工さんが作業している場面が、映画や紹介記事などで見たことがありますが、実際その通りでした。

か細いアームやリング・ローラが並んだ機械がどのように動くのか見ただけでは分かりません。

実際に同じ機械で生産している様子をビデオで説明してくれるのですが、どうして自動的に繭から糸ができていくのか結局分かりませんでした。

工場内を案内してくれるボランティアの斉藤?さんが、「実はこの機械を作ったのは自動車会社なのですが、どこの会社でしょうか?」と聞いてきます。

私居酒屋コーチは「ひょっとして?」と思ったのですが、どなたかが「トヨタ!?」と答えられたので、「正解は日産です!大体、豊田佐吉さんからトヨタと答えます。」と正解を言われてしまいました。

ということで、どこかに「銘盤」があるはずだと探したところ見つけたのが、この「PRINCE」の製造者名です。

ほかのラインには「NISSAN」もありましたので、1966年(プリンス自動車が日産に吸収合併される)前後生産の機械と思われます。

プリンス自動車は、自動車以外に「織機」や「ロケット」を手がけていたので、「織機」とともに「繰糸機械」も作っていたようです。

ちなみに、織機部門は現在、「豊田自動織機」に合併されなくなりました。

ロケット部門は何の因果でしょうか、この富岡の地に荻窪から移って、現在「IHIエアロスペース」として操業しています。

現在、繰糸機械をどこのメーカーが製造しているか興味が沸き、ネットを調べてみましたが分かりませんでした(豊田自動織機は作っていない?)。

ひょっとすると当時の機械をまだ使っているのではないかと思えてきました(ビデオでも同じような機械が写ってましたから)。

66年から数えても、既に40年は経っていますが、大事に使ってくれているのでしょう。

でも、幾ら大事に使っても何れは使えなくなります。

その時は、明治初期のように海外から買ってくるのでしょうか?

だとしたら寂しい限りです。

2007年8月22日 (水曜日)

石炭は下仁田…

Tomioka_2 「旧官営富岡製糸工場(現片倉工業)」の見学をしました。

世界遺産暫定リスト候補になり、見学者が急増のようです。

この日も16時の最終組に50人くらいいました。

建物としても、明治5年1872年から130年以上地震国日本でよく耐えてきたものです。

フランス人の技術指導により建てられました。

が、作ったのは江戸時代の大工さんです。

レンガで建てろと命じられましたが、そんなもので建てたことはないので、太い木で骨格を作り、レンガを漆喰で固めた壁面を作ったそうです。

そのお陰で現在まで現存していると説明でした。

確かに、太い柱や梁が入った如何にも頑丈そうです。

製糸場を紹介する記事によく登場する建物(画像も)は、繭を保管しておく倉庫で東西二棟あり、敷地の中で一番の面積を占めます。

当時は年に蚕の繭は1回しかできませんので、機械で大量に糸を生産するために、倉庫に多量の在庫(さなぎを殺した繭)を持っていなければならなかったからです(現代では、繭は年に4回?できるそうです)。

保存した繭から自動繰糸機で絹糸を生産するのが、ここ「富岡製糸場」なのです。

幕末から絹は大切な輸出商品として位置づけられていましたが、手で糸を紡ぎ生産量を増やすと品質にバラツキがでて高価格で売れないという恨みがありました。

そこで、明治政府は富国強兵の資金を作るため、高品質の絹糸を大量に生産することを決定したわけです。

そこで、模範工場として官営工場を設立しました。

技術を高め、熟練工を育てるためです。

立地条件として、原材料(繭や石炭)や水などに恵まれたここ富岡が選ばれたそうです。

石炭はこんにゃくや長ネギで有名な下仁田から、水は工場の脇を流れる鏑川から入手しました。

上州は元々繭の生産も多かったと思われます。

繭は現在どのくらい作られているのか分かりませんが、富岡周辺の路傍には今でもいっぱい桑の木が生えています。

現在では、蚕に食べさせていないので伸び放題で大木になっていますけど。

普段着るには高価過ぎ、実用的でない絹ですが、日本のそれは高品質といわれるので復権を望みたいものです。

現代の日本は自然環境もかなり改善され、それを維持する技術も確立してきました。

きちんと意思をもってすれば、決して明治時代の環境に負けないと思います(石炭の煤煙なぞないのですから)。

ですから、今よりもう少し機械化を進めコスト面を品質に加え、アジア・南米に負けない商品を提供するべきです。

農業製品もそうですが、工業生産的な視点を加えて世界に負けないような農水産商品を提供することは、国家の発言権を高め、外交・防衛面でも効果的だと思います。

2007年8月21日 (火曜日)

かつては下を、今は上を走る

パーソナルコーチ 昨日も書きましたが、寄居駅は鉄道3社が乗り入れるターミナル駅です。

池袋から東武東上線が、八王子から八高線が、熊谷方面から秩父鉄道が集まってきます。

東上線はここが始・終点です。

すべて単線ですが、八高線のみが電化されていません。

寄居駅は橋上共同駅舎で、改札は1箇所で便利です。

南側から、東武・秩父・JRの順でホームが並んでいます。

JR八高線(高崎方面行き)は南から、秩父鉄道の下をくぐって一番北のホームに入ります。

私居酒屋コーチは、祖母の実家が秩父にあるので、まだ西武・秩父線が開通するまでは秩父鉄道に何回か乗りました。

画像の立体交叉で秩父鉄道の下を、八高線の蒸気機関車が通っていくのを見た覚えがあります。

八高といえば渋谷の「ハチ公」しか思い浮かばない子供にとって、蒸気機関車が走る八高線は驚異的な鉄道に思えました。

現在の八高線は、ディーゼルのレールバスが走る路線になり蒸気機関車は走らないようです(八王子~高麗川は電化)。

代わりに、秩父鉄道に蒸気機関車(C58)が季節列車として走っているようです。

時代というには必ずしも進歩の方向だけに動くわけではないものなのですね。

2007年8月20日 (月曜日)

お昼は寄居

パーソナルコーチ 北軽井沢で18日午前中から用があるので、前日から出かけました。

関越道は使わずに、R16から秩父山地の東側の山すそにある県道と三桁国道を使って北に向かいました。

つまり、JR横浜線と八高線とほぼ同じような地域を通っていくことになります。

八王子を抜けるのに苦労しましたが、それ以降はローカル道で渋滞もなく快適に北上しました。

ただ、前日、日本の最高気温の更新がありましたが、この日も暑くクルマから出る気になれないほどです。

ほぼ予定通りお昼頃に、寄居町に入りました。

寄居は、八高線・東武東上線・秩父鉄道の3線が乗り入れるターミナル駅です。

市街地の南を埼玉県の川、「荒川」が流れています。

川辺でタープを張ってBBQなどをやっている家族やグループが、「鉢形城址」から涼しそうに見えます。

でも、寄居は最高気温を更新した熊谷からさして遠くありませんから、川面に風が無ければかなり暑いはずです。

お昼は、ネットでみつけたソースカツ丼の店に入りました。

駅からすぐの「今井屋」さんです。

時間はもうすぐ1時というのに、店内に4組5人、お持ち帰り(弁当の需要も多いとのこと)客もいます。

やっぱり隠れた名店のようです。

画像が皆んなが注文している750円のかつ丼です。

ご飯の上にソースに漬けたカツが2枚載っていて、キャベツはありません。

脂っこさに負けないかなと心配しましたが(何せ暑くて食欲も落ち気味ですから)、豚肉の脂身の少なさと揚げ油の油切りが十分のようで、キャベツなしでも十分OKです。

ソースを更にかけているのかご飯にもソースが適度に沁みていてご飯の最後まで味が沁みていて最高でした。

そうです、丼はご飯がなくなったら汁・タレの類は丼の底に残ってはいけないのです(汁だくなぞ言語道断!)。

腹も一杯になったので、町も観光したかったのですが、とても暑くて歩く気になれません…。

2007年8月19日 (日曜日)

かねき

パーソナルコーチ 昨日ほどではありませんが、漸く過ごしやすくなってきました(少なくともこの辺りは)。

ここのところ、気象庁の予報と違うとんでもなく暑い日が多いのですが、風が強い日が多いようにも思います。

そのため去年よりも室内は過ごしやすいです。

この日も相模湾には、6~7mくらい気持ち好い風が吹いていて快適なクルージングでした。

そうです、普段と違う艇に乗りました。

風があっても波やうねりがないので、6ノット程度でフラットにJ24は走ります。

それでも、日射は強いので水分は幾らでも欲しくなります。

汗は風で乾燥されるのでそれなりに水分が消費されているのです。

水分のなくなったので早めにマリーナに戻ります。

風呂に入る前に、「かねき」に行って腹ごしらえです。

この店は、かつてあった知る人ぞ知る「かねき鮨」マスターの弟さんがやっています。

本業は魚屋さん。

その日に揚がった新鮮な売り物の魚を選んで、冷房のないあずまやで食べる店です。

この日の暑さは、扇風機2台ではとっても凌げません。

風があるにも拘わらず、窓が風の来る方向にないので、暖まった空気を扇風機で掻き回しているだけで、快適の文字からは程遠い感覚です。

さて、今日のメインは揚がったばかりの「鰹」です。

まずは刺身でいただきますが、新鮮過ぎて肉がプリップリ!しています。

歯で噛み切れないくらいの腰?です。

生まれて初めてこんな美味しい鰹を食べました!

これでは鮨ネタにはなりません。

シャリと全く異質の食感になってしまい調和がとれません(固い硬いタコの握りのようになってしまいます)。

それでも、そのプリプリ感がとても気持ちよく臭みも全くなく、生姜も必要ないくらいです。

中落ちはステーキと味噌汁でいただきました。

漁港が後ろに控えるここならではの楽しみです。

2007年8月16日 (木曜日)

南海?

パーソナルコーチ 新島に入る前に、ジェットフォイルのように?「式根島・吹の江」に寄りました。

北向きの小さな天然の入り江です。

人工的な構造物は、舫い用のコンクリート杭2本以外全くありません。

アンカーを打って、舫い綱を持って泳いでいって杭と舳を繋ぎます。

ご覧のようにこの辺りまで来ると海の透明度が高いので、所謂エメラルドグリーンに輝いています。

水に入った瞬間は少し冷たいですが気持ち好いです。

入り江に停泊していると海底がよく見えるので水に浮いているというより、宙に浮いているような感じにも思えます。

ちなみに、黒潮の透明度は30m以上と言われています。

マスクをつけて海中を覗いてみると、真っ青の小さな魚が群れを成してとっても綺麗でした。

南の島のような雰囲気に中で、日本的なソーメンを楽しながらノンビリします。

2007年8月15日 (水曜日)

えっ、シイラだらけ!?

パーソナルコーチ 波浮から新島に向かう途中、「利島」と「鵜渡根島」の間で「シイラ」がヒットしました。

ご覧の通り、かなりの大物です。

シイラは大きくて、引きが強くて面白いというので、トローリングの獲物として人気があるそうです。

画像でもわかりますが、ちょっと不気味な色をしています。

金色というか碧というか表現し難い色です。

船の上に揚げるとみるみるうちに色が変化して、ただの碧っぽい魚になります。

脂が少なく匂いがありますので、パサパサしてお世辞にも美味しいとは言えません。

これだけ大きいと夕飯がシイラ尽くしになると思うと、更にその色がおぞましく見えてきます。

タモ網を持っていないので、テグスを掴んでライフラインを越えて船内に投げ入れなければなりません。

今回は私居酒屋コーチでなく、N氏が揚げます。

手袋をしてぐっと引き上げ、ほぼ魚体が水面に出たと思った瞬間にテグスが切れました。

魚の重さにテグスが耐え切れなったようです。

つまり、逃げられたのです。

長さにして1m程度でしょうか、これまでの経験で一番大きかったように思えます。

でも、逃げられた瞬間正直いってホッとしました。

そうです、夕飯がシイラだらけにならずに済んだからです。

N氏によるとテグスを掴んで魚を確認すれば釣り上げたことになるそうで、一応キャッチ&リリースになるのでしょうか。

しかし、大きな針を銜えたままのシイラはどうなるのでしょう?

魚にとって針は痛くないとも聞きますがさて?

ちなみに、この日はこの前に40センチくらいのをリリースし、この後すぐにテグスが切られるというやはり大物(シイラらしい。魚体見られず)の計3匹がヒットしました。

本当は「鯖」か「カツオ」を期待していたのですが、残念ながら当たりは多くありませんでした。

2007年8月14日 (火曜日)

大きな人間

パーソナルコーチ 「アンコ椿は恋の花」で有名な大島「波浮の港」です。

噴火でできた湖が、1703年の元禄大地震で海とつながって天然の良港になったそうです(この地震では、式根島と新島が分けられたそうです)。

夏休みに入っているのでヨットが既に数艇入港しています。

ここでよく見るばら積み船が入ってくるようで、ヨットの脇の岸壁は開いていません。

何処に止めようかと漁船の間に入ろうとグルグル回っていると、漁船に乗っていたお爺さんがおいでおいでと手招きしているので、好意に甘えて横抱きさせていただきました。

アンカー(錨)が効かないというので、シート(ロープ)で漁船に固定です。

漁船の方がずっと大きいので、岸壁との行き来は漁船に乗ってから、バウラインを引いて乗り降りします。

船を着けようとしている間に、画像の黄色い貨物船が入港してきました(私たちの船は写ってませんが左方にいます)。

氷とコロッケを買いに陸に上がってその船の脇を通りました。

子供たちが10数人、黄色い船の上から海に飛び込んで遊んでいます。

船から下がったロープから上ったり渡し板から船に乗って飛び出します。

港と言っても水はとても綺麗なので、凄く楽しそうです。

思わず子供が羨ましくなりました。

都会の基準からすれば、何か事故が起きた時に、どう対処するのかという責任論に怯え、絶対に子供を近づけないでしょうが、ここでは違います。

船員も見てはいましたが、何か起きたらみんなで対処するから大丈夫という風土もあるのでしょう。

子供も若干痛い目を遭いながら、やって良いこととやっては危ないことを勉強していきます。

それ以上に、いろいろな遊び方(ここでは飛び込み方など)を自分たちなりに発明しながら工夫することを学んでいくのす。

画一的な遊びやルールに妨げられることなく大人になっていきます。

こういった中から、途轍もなく大きな人間が生まれるんだろうなとつくづく思いました。

こうした環境で子供が遊ば(べ)なくなる日本の将来に不安も感じた波浮の港でした。

2007年8月13日 (月曜日)

さてと出航

パーソナルコーチ 夜明けまで30分のカウントダウンが始まります。

今日も暑くなりそうな予感がします。

風がないと一日機走になりそうです。

あっても波浮まで帆走する雰囲気はありません。

というより元気がないのかもしれません。

10時間を超えると、向かい風に吹かれる疲労と日焼けによる疲弊も大変なものです。

とは言っても風を味方にして走るのがヨットなので、疲れたくない単なる言い訳に過ぎません。

風が東に振れてくれるとアビーム1本で行けるんですがねぇ。

2007年8月 6日 (月曜日)

吊橋

パーソナルコーチ この画像の2.3キロ先に原爆ドーム、つまり爆心地があります。

「工兵橋」と呼ばれるこの吊り橋は、爆風が丁度向こうからこちらに抜けたために崩壊を免れたそうです。

ただ、現在の橋はその当時のものではなく、戦後建替えられたものです。

見掛けはとても近代のもののように見えない橋ですが。

現在、日中は渡る人も少ないですが、被爆の日は多くの人が北の方面に京橋川を渡って逃げていったのだそうです。

私居酒屋コーチは西区草津の自宅から、出勤のため歩いて駅に向かう頃に「8時15分」がやってきます。

居酒屋コーチは、NHKラジオを聴きながら歩いているので頭の中は「原爆の日」一色ですが、草津周辺ではその雰囲気は全くありません。

広電もバスもクルマも普通に走っています。

ただただ、セミの声が暑いだけです。

それが、逆に不気味にさえ聞こえます。

45年のその日は8時15分を境に、その音さえ無くなってしまったのですから。

ジージーとセミの鳴声が鳴り止まない時間が当たり前のように思ってはいけないのです。

現在も世界では、すぐ先の未来さえ保障されない地域や環境が存在します。

淡々と過ぎていく時間こそ、私たち一人ひとりの意識なしには存在し得ないことを肝に銘じなければならない、これから15日までの10日間です。

2007年8月 3日 (金曜日)

六地蔵(その29)

パーソナルコーチ 鎌倉・材木座「九品寺(くほんじ)」の六地蔵さまです。

大きな一つの岩に6体掘り込んであります。

隣りのあるのは不動明王のようですから、両方とも別の場所から移されたのではないかと思います。

鎌倉には亀が谷の切通しも一つの石に彫ったものがありますが、鎌倉郡周辺では6体式でない六地蔵さまは珍しいと思います。

材木座周辺は、温暖で海も近く豊かであったと思われますので、一体式はそれなりのいわれがあるのかもしれません。

私居酒屋コーチの六地蔵さま探訪も、推測だけでなくいわれや由来を調べていく段階に入ってきたようです。

それには、時間が足りないのが残念です…。

2007年8月 1日 (水曜日)

変えてみようよ

Shinriver  「細岡駅」で釧路行きの汽(気?)車を待ちます。

やってきたのは、展望車が連結されている「ノロッコ号」でした。

湿原の中で「丹頂」がいる辺りに来ると停止して、丹頂の案内アナウンスがあり、ノロノロ走るノロッコ号の本領?発揮です。

この日は、丹頂の幼鳥を見ることができました。

川の上では会うことができませんでしたが、漸く会えました。

釧路駅でカヤックとパドルとバッグを抱えて改札を出ようとすると、手荷物券はあるかと聞かれました。

どうやらフォールディング(組み立て式)カヤックが大き過ぎると言っているようです。

無人駅の細岡から乗って車掌から切符を買っているので、「無い!」というと渋々通してくれました。

さて、泊まるところを探さなければいけません。

電話ボックス(当時、ツーカーは北海道では使えませんでした)で、何件か電話して東急インに決めました。

ホテルにチェックインする前にカヤックを宅配便に預けます。

飛行機に持ち込めない訳ではないですが、持って歩くには重すぎます。

ちなみに来るときは、川湯温泉の民宿に宅配便で送っておきました。

宅配便を預けたのが「和商」市場のそばだったので、昼飯は和商の中で「いくら丼」か何かを食べました(余り覚えてません…)。

あとは、ホテルに入りシャワーを浴びて、有名なラーメン「銀水」に行き、呑みに繰り出すだけです。

銀水はすっきりとした醤油ラーメンで、昔ながらの味で三時のおやつに丁度好いくらいでした。

「炉ばた」に行こうと思って早めに店の前に行きましたが、7時前にも関わらず満席で入れません。

10数年前に来たときとおんなじ構えのままで、入れなかったのは残念です。

仕方なしに、地元の小さめな店を物色して入りました。

ところで、釧路は霧の町と言われています。

霧は夏に出ることが多いので、夏でも気温が低いのです。

ですから、草や葉っぱがなかなか腐らずに堆積して大きな湿原になっています。

ということで、小さな呑み屋さんには冷房がありません。

とは言いながらこの日は霧が出ていないので暑い一日でしたので、店の中は結構蒸します。

備え付けの団扇をパタパタしながら、「ツブ貝」や魚を楽しみます。

5日間の川下りを思い出し、ママさんと話して、足元の蚊を払いながら世は更けていきました。

今回のツアーで感じたことは、手付かずとは言わないまでも原生地帯を下れると思っていた釧路川も、思った以上にジワジワと開発の手が入っていることです。

川は文明が生まれ文明や文化が伝わる道でもありますから、人間の手から隔絶されるということは殆どありえません。

でも、明治以降の川の開発(川だけではありませんが)は、ただ直線化したり護岸工事をしたりの余りに画一的でした。

科学的に研究が足りなかったことにあるとも思いますが(もちろん開発という名の工事のばら撒きも)、現在は様々な視点からの自然との共存する道が研究されてきています。

日本人の原風景といわれるジブリに出てくる里山も、完全に人の手が入った自然形です。

里山は自然のままではありません。

当時の土木技術レベルでは、時間をかけて変えていくしかありませんでした。

その過程で何かおかしいと思ったら、暫く様子を見ながら手を加えていったので、結果的におきなインパクトを自然に与えずに済んだのだろうと思います。

ですから、現代においても、失敗を恐れずにトライ&エラーで自然と共存できる方法を模索していきたいものです.

2007年7月30日 (月曜日)

もうお仕舞い

Landing 屈斜路湖も含めて下り始めて5日目、釧路川ツアーもこの日が最後になります。

釧網線「細岡駅」近くが上陸地点になります。

釧路市街「鶴見橋」まで行くこともできますが、殆ど直線化された新釧路川を行くことになります。

塘路湖から再び釧路川に戻り、数キロの蛇行地帯を楽しみます。

途中、釧網線とすれ違いました。

手を振ってあげましたが、列車とすれ違うのはもうすぐ上陸地点が近づいているということで、手を振りながら「もう終わるんだ」という寂しさがこみ上げてきます。

湿原の中を行くというと、頭より低い湿原の岸の中を行くように思いますが、実際は画像のように木がたくさん生えている地帯が殆どです。

上流の開発(原田康子女史の「挽歌」を思い出しますね)や川の直線化などで、湿原の乾燥化が進み「ハンノキ」という樹木が生え、さらに乾燥化が進むという悪循環に陥っているとのことです。

国費で再び川を蛇行化させるとのことですが、早急に手をつけて欲しいものです。

どこかの国の為政者のように、口だけ「悪いところは改める」というのでなく、間違いは速やかに改めることが大切です。

最後の一漕ぎを楽しんで、いよいよ細岡駅そばに上陸しました。

フォールディングカヤックをばらし水気をふき取っていると、カナディアンカヌーがやってきました。

そういえば、「下っていれば誰かほかのカヌーイストに会えるから安心だよ」との、友人のアドバイスを思い出しました。

そうです、結局途中で誰にも会わなかったのです。

確かに同じような速さで下っているので遭遇はし難いのですが、休んでいる時に抜かれるとか追いつくこともあり得るので、この週は下る人が非常に少なかったことなのでしょう。

ばらした部品の水を雑巾でふき取っていると、5日間の怖い思いなどいろいろあったことが思い出されます。

今度来るときにはこうしよう・あぁしようなど、実現するかどうかもわからないような夢のような思いも頭に浮かんできます。

1泊2日のような短いツアーですと、上陸するときは時間的にも体力的にも疲れているので黙々と片付けをすることが多いのですが、今回はまだまだ早い時間帯ですので気持ちにも余裕があり片付けも楽しくなったようです。

さぁ、これから釧路市街に行って、5日間を思い出しながら夜を楽しむことにしましょう。

2007年7月29日 (日曜日)

やっぱりゆっくりできなかった

Campsite 塘路湖キャンプ場はとても素敵なキャンプ場です。

広くて芝生がふっくらとして気持ち好いですし、木立もいっぱいあって日陰も十分です。

ご覧のように細引きを張って濡れたウェアを干すこともできます。

この日は道産子に邪魔もされずにゆっくり眠ることが出来そうです。

塘路駅まで買い物に行って、お店のおばさんとしばらく話しをして、ゆっくりとお酒と夕飯を楽しみました。

さて、寝坊しないように寝ることにしますが、少し離れたところで子供たちがキャンプファイヤーをやっています。

ちょっと嫌な胸騒ぎもしましたが、疲れていたので子供たちの声にも邪魔されず、明日の寝坊を心配しながら眠りにつきました。

道東の夏の朝は早く、日の出は4時前です。

何かやかましいので眼が覚めてしまいました。

もう外は明るいようです。

しかし、時計を見るとまだ3時半過ぎです。

キャンプファイヤーで騒いでいた子供たちがもう起きてわぁわぁとやっているのです。

昨日の胸騒ぎはこれだった訳です。

また、ゆっくり寝ることは出来ませんでした…。

早く就寝して寝不足ではないので、テントから出てゆっくりと朝の時間を楽しみます。

念願の釧路川を下って来たんだナァと思うと、朝の爽やかな風が心の中に心地よく沁みこんでいきます。

最後のこの日は細岡まであと数キロを2時間程度漕ぐと思うと、隣りで騒いでいる子供たちの声にも寂しさを感じてしまいます。

朝飯前にキャンプ場のテーブルでお菓子を食べながら、ちょっと脇見をして残りを食べようとしたところ、テーブルの上にお菓子がありません。

飛んできたカラスにちょっとした隙に盗られたことを、そばにいた厚岸町からやってきた子供連れの方が教えてくれました。

そんなことから話をしながら朝飯をご馳走になってしまいました。

このブログに以前も書きましたが、北海道ではいろんな方に助けて貰っていますが、今回もお世話になりました。

本当に北海道の方は優しい方がいっぱいです。

厚岸の方へのお礼は10年後に、旭川で厚岸の牡蠣をいただくことで恩返しができたかなと思ってます。

さぁ、これから最後のスティントを楽しむことにしましょう。

2007年7月28日 (土曜日)

え~っ!何んなの?

Nma ゆったりと下り切ったその日はゆっくりと落ち着いて安眠できるはずでした。

がっ!

夜半に「ブヒヒン」と大きな鳴声によって目が覚まされました。

そうです、テントを張ったところは、「道産子」の放牧地だったのです!

馬は人を襲うようなことはないと聞いてはいましたが、道産子は愛嬌のある何百キロという巨体です。

踏まれてお煎餅になってしまうのではないかと思うとおずおずと眠れません。

よほど、外に出て追い払おうかとも考えましたが、夜中に興奮させるほうが怖いと思いよしました。

お陰でこの晩もまんじりとして熟睡できませんでした。

翌朝起きると彼らは周りにはいませんでしたが、植村直巳さんのシロクマに怯えた10分の1くらいおっかない思いをした一晩でした。

こういった場所にテントを張る場合は、細引き(ロープ)をテントの周りに張っておけば大丈夫なのだそうです。

力が強くて心の優しい働き者のオンマさんは、これで中には入って来ないそうです。

誰か教えておいてくれればよかったのにぃ~。

後の祭りですね。

それでも道産子さんは優しいお眼めで私の出発を見送ってくれました。

この日は塘路湖キャンプ場まで、湿原の核心部をゆったりと下ります。

上手くいけば「丹頂」や鹿などに会えるはずでしたが、何れにも会えませんでした。

そうなると、当たり前のことですが、川の高さからは湿原地帯は、変哲もないただの岸ですから大いなる湿原を旅しているという感覚には中々なれず、結構退屈です。

それと、この辺りもかなり直線化されていて、うねうねと蛇行するところも多くはありません。

靴擦れで痛い足を濡らしたくないので、直線化され広々とした浅瀬が多い地帯(浅瀬に乗っかると下りないといけない)に嫌気を感じながら下ったのでした。

この日の終着地の塘路湖に入るには、1キロ程度川を遡行す(上る)る必要があります。

殆ど流れはないのですが、下りエスカレーターを上るようなもので、はかがいきません。

それでも、「釧網本線」の鉄橋の下をくぐって広い湖面を見たときは、思わずニコッとせざるを得ませんでした。

遂に釧路湿原の中に入ったのですから。

屈斜路湖から色々と怖い眼にあったりしながら着いたと思うと思いも一入(ひとしお)です。

さて、この日は安眠できるはずですが、果たして約束されるのでしょうか?

2007年7月27日 (金曜日)

無事に到着、さぁノンビリ…

Gojikkokubashi 釧路川2日目の予定は、南弟子屈から標茶「五十石橋」までです。

記憶では危険なところはありませんので、ノンビリ下れる予定です。

なので、前日サンダルで靴擦れした傷が痛いのが恨めしい限りです。

この辺りからは、大地をゆったりと釧路川は流れていきます。

岸壁に「イワツバメ」でしょうか穴を開けた巣から親鳥が飛び交ったり、「アオサギ」が飛び立ったりします。

川岸の岩が動いたと思ったら、「オジロワシ」が飛び立って行きました。

流石に北海道、獣の様相が濃いです。

周囲に牧場も多いので「ホルスタイン」が顔を出したりします。

話によると、「ミンク」も良く見られるとの由。

飼育しているミンクが逃げて野生化し繁殖しているのです。

弟子屈と同じくらい大きい町「標茶」で昼飯を食べて温泉に行くことにします。

上陸したところが、北海道生まれの「パークゴルフ場」の脇でした。

お昼のチャイムが音楽が鳴ったと思ったら、役所からぞろぞろと人が出てきてパークゴルフをやり始めました。

噂には聞いていましたが、北海道の方はとてもパークゴルフが好きなようです。

町に入り昼飯を食べ、駅前の温泉に入りました。

黒っぽいお湯の温泉です。

ここでも靴擦れの痛さが身に沁みます。

それでも、お湯に浸かると前日までの緊張と疲れが取れて、凄く幸せな気分に浸れました。

夕飯と翌日の朝と昼の食材を調達し、もう少し漕いで宿泊予定の「五十石橋」を目指します。

今日の画像がその五十石橋のそばのキャンプ地です。

橋の下も悪くはないのですが、クルマのタイアが橋の継ぎ目で出す音がうるさいので、少し離れた草地にテントを張りました。

快晴の中で夕飯を食べ、「さぁ、今日は何もなく下ってこれたからゆっくり寝れるぞ!」と思って眠りについたのですが…。

2007年7月26日 (木曜日)

ほっとしたのも束の間

Minamiteshikaga 弟子屈図書館で何とか地図を手に入れ気持ちが落ち着いたのも束の間、サンダルで靴擦れを起こし痛さを我慢して下ることになり、再び憂鬱になります。

痛い足を我慢しながら、市街の落ち込みはポーテージ(艇から降りて危険なところを迂回)します。

荷物が多いので何回かに分けるなければならず、足が痛いのはとても辛い所業です。

何とかそこも克服し、さて、その日最後の下りに挑みます。

最後に南弟子屈の落ち込みが待っています。

右手の銀色の頭をしたサイロが見えたら、艇を降りてウォッチするということは覚えていたので、右岸を注意しながら下ります。

ところが、弟子屈で図書館に寄ったり、靴擦れで上手く歩けないということで時間を余分に使ってしまったことに焦っていたのでしょうか、サイロを見落としてしまいます。

正確に言うと、サイロに気づいたのですが、その時はもう既に全く真手に見える状況でした。

ということで、ウォッチするタイミングを失ってしまい、すぐ目の前に落ち込みが迫ってきました。

落ち込み(小さな滝)があるということは、そこは岩が顔を出している浅瀬があるということです。

そこで、いきなり落ち込みに突っ込むのは怖いので、浅瀬に何とか乗り上げさせて艇を止めました(平らな浅瀬があったのが幸いです)。

心の中では浅瀬で艇から降りて歩いて脱出し、落ち込みをポーテージしようと考えたのですが、残念ながらどちらの岸にも遠く歩いて移動は出来そうもありません。

岩の間で狭くなっているので流れも速く、バックをして戻るのも無理そうです。

もうこうなったら、意を決して進むしかありません。

幸いにして見たところ高さは7~80センチ程度なので、スピードをつけて行けばジャンプ状態で抜けることが出来るはずです。

あと、その日の終着予定をここが過ぎた辺りとしてありましたので、最悪沈をしても大丈夫と心を落ち着かせました。

少しバックをして浅瀬から抜け勢いをつけて艇を進めます。

予定通り、流れに直角に飛び出せ、スタン(後部)も落ち込みに引っかからず真っ直ぐに着水しました。

着水するとあとは早く現場を離れたいの一心で漕ぎまくり、一息ついたところで艇を止め撮ったのがこの画像です。

下から上に向かって写しているので、遠くに山が見えます。

緊張と力を込めて漕いだせいで息が上がってしまいました。

そして予定通り、このすぐ下の広場でキャンプすることとしました。

また、この日も緊張で疲れ果て、さっさと寝てしまうのでした。

(この記事は、20世紀最後のディケイドの前半の紀行です。どこの川でもそうですが、川は様子は常に変化しています。この記事の内容を参考にされ、絶対に川を下らないでください)

2007年7月23日 (月曜日)

痛いよぉ

Kushiroriver 弟子屈までの釧路川は、こんな感じで緑の中をゆっくりと進めます。

途中直線化されてはいますが、コンクリートの護岸は殆どありません。

道東の根釧原野を行くので人工のものを見るのは、護岸のほかは時たま交叉する橋くらいです。

ただ、そんなに遠くないところを道路が走っているので、クルマの音がたまに聞こえます。

この日の予定では、弟子屈市内と南弟子屈の落ち込み(小さな滝状の段差)が気をつけなければいけないところです。

昨日、緊張がほぐれた時が危ないというようなことを書きましたが、弟子屈市内に入る手前の小腸のように蛇行する原生林の中で、横たわっている枝に張り付いてしまいました。

木の幹が川の真ん中にあり、その右を行くか左を行くかの判断が遅れ、水面すれすれに枝が横たわっている左に行ってしまいました。

「えい!ままよ!」と速度をつけて乗り越えてしまえば良かったのですが、判断が遅れたこともあり速度を緩めたお陰で、前に進めず枝に横向きに張り付いてしまったのです。

幸い流れが速くなくスムーズに流れているので、横倒しに沈せずに済みましたが、態勢を取り直し脱出するまで結構怖い思いをしてしまいました。

林が迫る狭い蛇行地帯はともかく判断を早くしなければならないことを肝に銘じました。

単独行でなければアドベンチャー的で楽しい地帯なのですが。

そうこうして、弟子屈の市内に入りました。

左右に垂直の護岸が続きますので、手前でウォッチをします。

川幅が護岸で広げられているので水深が浅くなり岩がごろごろし自転車も転がっているので、気をつけていかなければならないことが分かりウォッチは正解でした。

屈斜路湖の湖岸に忘れてきた地図を頼っていると逆に怖い目に遭ったかもしれません。

何が効を奏するかわからないものです。

しかし、地図のない不安はまだあるので、川の状況がわかるモノがないかと上陸したところ、図書館があることがわかりました。

そうです、ここは弟子屈町の中心地ですから町立図書館があるのです。

そこで図書館に寄り、何とか川筋のわかるようにと道路地図をコピーしました。

本当は川の様相もわかるような本も見て確認をしたかったのですが、流石にありませんでした。

さて、この図書館に向かう往復でちょっと辛い目に遭いました。

幸運は続かないものです。

カヤックは足はどうしても濡れるので、厚いベルトで締めるサンダルを履いていたのですが、ふやけていた足と濡れていたベルトが歩いているうちに摺れて、皮膚がベロっと剥けてしまったのです。

初めて履いたサンダルではなかったのですが、長く歩いたことがなかったのでわかりませんでした。

艇に戻りバンドエイドを貼って何とか処置はしましたが、川下りでは濡れる機会が多いので、ずっと痛さに悩まされることになります。

2007年7月22日 (日曜日)

極度に緊張!

Start さぁ、いよいよ釧路川に入ります。

この日の朝は、北部の山からの風が吹き下ろしていて、キャンプ場から釧路川の流れ込みまでの湖上は昨日同様追っ手で漕ぐことになりました。

再びしばらく緊張を強いられます。

川に入ると簡単に上陸には出来そうもないので、緊張をほぐすためと用を足すために、湖岸に上陸しました。

ここで緊張の極に達していたのかミスを犯してしまいます。

川筋と危険地域を記入した地形図のコピーを持って上がったのですが、用を足す間にちょっと脇に置いたのを忘れて、地図を持たずに艇に乗ってしまったのです。

それほど緊張状態だったようです(呼吸が浅かったのを覚えています)。

画像の左手前方を左に曲がり道道の橋をくぐる辺りまでに気づけば、まだ戻ることも出来ました。

が、川に入ってしばらくは、倒木等に注意して緊張状態が続き、もう既に戻ることは出来ないところまで来て地図を忘れてきたことに気づきました。

こうなると幾ら焦ってもどうしようもありません。

所詮、川の様子というのは常に変わるものですから、下り始めたら自分の目を信じ、判断がつかない時は(出来れば)陸から確認するという鉄則を守るまでです。

それに、事前に何度も地図を眺めておいたので、危ないところはそんなに無いこともわかっていたので逆に落ち着いてきました。

また、しばらく漕いでいけば、流れる速さや川底の様相・深さ、岸の状況等が飲み込めてきますので、環境に慣れてきます。

ですからしっかり漕いでいさえすれば、湖上で追っ手に吹かれた時のような不安定さはありませんから緊張もほぐれてきました。

実は、この安心感があとで更に怖い目に遭うことになるとは、この時は想像さえもつかなずカヤック乗りの聖域を楽しんでいたのでした。

2007年7月21日 (土曜日)

さぁ出発!

Nibushi 仁伏(にぶし)「屈斜路湖クアハウス」裏の桟橋からいよいよ出発です。

湖の南方で湖水をすくうように飛び出した和琴半島付け根のキャンプ場までの10数キロが今日の旅程です。

ご覧のように梅雨のない道東のこの地も曇天模様です。

この時間には風はありませんでしたが、午後から霧を呼ぶ太平洋から吹き込む風による天候の変化に悩まされました。

前日、釧路行き機内の現地気温7℃というアナウンスに「えぇ、寒いぞ!」と驚ろかされた天候が続いているようです(降り立った時にはそれほど寒くはありませんでしたが)。

湖岸沿いに温泉を楽しみながら和琴半島を目指したことで、最後に追っ手(風)とうねりで怖い思いをさせられることになりました。

どんな船でもそうですが、追っ手ではカヤックは不安定になります。

キャンプ道具等荷物が多いので、湖での「沈(転覆)」だけはしたくないのです。

岸に近づくとサーフィングになってしまうので、仕方なく沖だしするのですが絶対的に浅いので相変わらず波とうねりは高く緊張を強いられます。

「砂湯」で足湯を楽しみ、「コタン温泉」に入ってノンビリしたのを後悔します。

怖い思いをしながらキャンプ場にようやく上陸できて、やっと一安心です。

追っ手に吹かれた怖い思いと翌日からの川下りの緊張のせいか、陸に上がってどんなことをしたのか全く覚えていません。

実はこの緊張、この釧路川下りツアー全体を象徴していたようでした。

2007年7月19日 (木曜日)

どこに逃げ場が…

Sky 新しい高層ビルが出来たかと思いました。

ガラス写りこんだ照明が、恰も六本木ヒルズのように写りました。

しかし凄い建物群ですね。

立錐の余地も無いというのはこういう状況を指すのでしょう。

それでも、まだまだ狭い土地を掻き集めて大きな建物を作ろうとしています。

密集度は高まるばかりです。

先日の「中越沖地震」のような規模の地震が起き、何処かで火災が発生したら類焼は免れないですね。

大正12年の関東大震災で10万以上、東京大空襲でやはり10万以上と言われる死者の多くは焼死と言われています。

阪神淡路大地震でも同様でした。

この密集度は阪神の比ではありませんから、火事の発生は想像もつかない大災害に結びつくことは間違いありません。

殆ど広い場所がありませんので、逃げようがありませんから火に煽られてしまいます。

関東大震災でも火事場風が起き、熱風が吹きまくり、広場に集まっていた避難民を襲い焼死させました。

火が出たらもお仕舞いなのです。

都市ガスは地震で自動的に消えると言われていますが、火は必ずしもガスのあるところとは限りません。

タバコもありますし、東電柏崎刈羽原発のように電気のショートもあります。

見つけたら小さなうちにともかく消すしかありません!

ともかく火に気をつけるしかないとは思いながらも、この風景を見て怖くなった恵比寿ガーデンプレイス38階でした。

2007年7月13日 (金曜日)

あと一息

Pipe 何回か報告してきました「港南工場」の煙突の撤去作業がここまできました。

あと10m程度でしょうか。

来週か再来週には更地になると思われます。

よぉく見るとわかりますが、ロボットと呼ばれる黄色い重機が見えます。

煙突の開口部上に吊るされて、鉄の爪でコンクリートの淵を壊すので、作業員が鉄人28号の正太郎くんのように遠隔操作をしていたと思われます。

毎回言っていると思いますが、人口の増えている横浜市で2つのごみ焼却場がなくなるというのは感慨深いものがあります。

G30の掛け声のもと分別回収の励んできた結果ですから。

廃炉になった理由にはごみの削減だけでなく老朽化や予算の面もあるでしょうが、形として見える変化を起こしたことは大きな成果であるとは思います。

ここで満足することなく、更なる焼却工場の廃炉を目指して、行政と市民は協力していきたいものです。

2007年7月11日 (水曜日)

「花」1歳

Hana 柴犬のメス「花」です。

遠路遥々安芸の国からクルマに揺られてやって来ました。

座敷犬でないせいかクルマの中の長時間の生活はストレスを溜めたようで、吐いたり下痢してしまったそうです。

人間でも酔ったりするんですから、ワン公じゃないワンちゃんには狭いクルマは結構苦痛だと思います。

まだこの時もストレスが残っていたようで、クルマの後ろにリードを繋げておいて(駐車場はガラガラだったので)お茶をして離れた僅かな間に、今回の旅の途中で寄った木曽で新調した木の名札をボロボロにかじってしまいました。

よほど寂しかったのでしょうか。

花ちゃんは殆ど吠えない大人しい子なので、吠えることでストレスの発散が出来ないかもしれません。

柴は結構気が強いといいますが、人間でいうと思春期くらいのこの子は全く大人しすぎるくらいです。

でも、人見知りもせずに初顔合わせの私居酒屋コーチにも懐いてくれました。

ダイエットも全く必要もないほど細い身体で、居酒屋コーチの柴に対する見方を変えなければならないくらいでした。

広島に遊びに行く理由がまたひとつ増えた花との出会いでした。

元気に暮らしてね、花ちゃん!

2007年7月 8日 (日曜日)

六地蔵(その28)

Rokujizo 先日の「甲斐善光寺」そばの「東光寺」山門前に祀られている六地蔵さんです。

単独のお地蔵さんでなく、一枚の岩板を祠のような形にし、その中に六体のお地蔵さんが彫りこまれています。

祠の形も三角屋根が多いですが微妙に異なります。

小さな2次元の空間に6体収められているので少し息苦しそうです。

大檀家とか檀家の合同が六体のお地蔵さんを奉納するのでなく、個人個人で手軽な一枚の岩状のものをお祀りする風習なのでしょうか。

ほかのお寺や神社に六地蔵さんがどのように祀られているのか分かりませんが、20世紀の末に富士山の見えるどこかの峠の六地蔵さんの首が落とされるという忌まわしい事件が起きたのも山梨だったと思いますので、どうやら甲斐の国は六地蔵への信仰が篤いようです。

仏教への帰依篤かった武田信玄の時代からの風土が生きているのかもしれません。

何れにせよ、庶民や子供の守り神であるお地蔵さんを大切にする文化に触れると、その地域の優しさを感じてしまいます。

2007年7月 6日 (金曜日)

六地蔵(その27)

Kaizenkoji NHK大河ドラマ「風林火山」で甲府の町は賑やかのようです。

信玄が長野の善光寺が戦禍を蒙るのを恐れて、長野から本尊を甲府に移す際に建立した「甲斐善光寺」にあった「六地蔵さん」です。

こちらのお地蔵さんも赤い涎掛けと帽子を身につけていらっしゃいます。

ただ、完全に色が抜けるほど古くなっています。

決して粗末にされている訳ではないのでしょうが(何せ大きなお寺ですから)、檀家さんの考え方が相州とは異なっているようです。

出来れば、もっと新しいのに着せ替えてあげて欲しいですね。

大事な子供を守ってくれるお地蔵さんを大切にする習慣が、子供たちに命やモノを大切にする気持ちを醸成させると思うからです。

2007年7月 2日 (月曜日)

世界遺産に選ばれて

Sanbesan_2 「三瓶山」です。

「鉄腕ダッシュ」に出てくる何でもこなせる素晴らしい人「さんぺい明雄」さんではなく「さんべさん」と読みます。

今回、世界遺産に選定された「石見銀山遺跡と文化的景観」のある大田(おおだ)市にある、石見国の主峰です。

周囲には温泉もあり、冬はスキーも出来ます。

さて、5月13日の記事で、石見銀山跡のアプローチの大変さと山深さを紹介しましたが、これからが本当に色んな問題が噴出してくると思われます。

自家用車で行くのはさほど大変ではないでしょうが、道の狭さや駐車場の少なさ(広いところがない)からくる問題がまず懸念されます。

また、遠隔地からの観光客はバスで入ることになるでしょうが、幅の広く長いバスを停めるスペースとなると更に深刻な問題です。

世界遺産として保護されるわけですから、急いで行く必要もありませんから、みなさん焦らずにゆっくりと時間を作って訪れてください。

そうしないと、そのまま遺しておくべき遺産が人であふれ、本来の良さがどんどん失われていく結果を招きませんから…。

2007年6月22日 (金曜日)

梅雨のない…

Asahikawa_1 梅雨入りしてからしばらく晴れ続きでしたが、ついに降り始めました。

おまけに風も強く梅雨末期みたいな天気です。

雨が降らないと夏場の渇水が心配になりますので仕方ありませんね(神奈川は4つのダム合計の貯水率88%のようですが)。

この時季は梅雨のない北海道がお奨めですね。

春と夏の花が一斉に咲くくらいにたくさんの花が咲いて奇麗です。

ここ旭川にも、嫌われモノのニセアカシアもたくさんあります。

そして、昼間の時間も長く観光にもグルメにももってこいです。

お昼に醤油系ラーメンを2~3店で食べて、お腹が空いてくるのを待っても、まだ明るい街に繰り出せます。

夕暮れの迫る繁華街を歩いて、美味しそうな店を探すのは楽しいものです。

とっぷりと暮れてしまうと何となく焦ってしまうので。

この時の旭川では、「厚岸の牡蠣」を食べました。

どうやらサロマの牡蠣も夏でも食べられるらしいのですが、厚岸にしてみました。

店主曰く「何も付けないで食べるのが美味いっしょ」とのことで、何も付けず牡蠣自体の塩分だけで食べます。

プリプリとした大きな身を口の入れるとミルクと言われるエキスが口中に拡がります。

磯臭さがふっと鼻腔に漂い、後悔にも似た次の欲求が込み上げてきます。

その中途半端な感覚を、日本酒「男山」を口にして完成品にする瞬間が幸せの絶頂と言えます。

単独では味わえないコラボレーション。

これが出来るのは日本酒しかありません。

あぁ北海道に行きたくなってきました…。

2007年6月20日 (水曜日)

解体後が心配だなぁ

Prince 先日、大磯の「滄浪閣」がプリンスホテルの業績不振に伴い、3月末で廃業したことを書きました。

同様に昨年6月末で営業終了した「横浜プリンスホテル」の解体が随分進みました。

JR線根岸線の磯子駅の山の上という、横浜というにはおこがましい辺鄙な場所にバブリーな時期に大きなホテルを建てたのですから採算が良いわけがありませんでした。

駅から歩いて行こうものなら、夏場はバケツの水を被ったような汗をかくことが出来ました(数年前から西武がR16沿いにマンションを建ててエレベータと渡り廊下で行けるようになりましたが)。

ホテルに行くとダイエットが出来ると訴求してもお客さまが増えるとは思えませんので、幾ら景色が良いと言っても顧客来訪数は高がしれてました。

いまさら何を言っても詮無いことなので、ホテル解体後また景観を壊すような莫迦デカイマンションなぞが建たないことを願うのみです。

2007年6月19日 (火曜日)

海ほたるは遠かったけれど

Photo_21 たまには北に行こうかということで、「海ほたる」までやってきました。

西寄りの風に押されてえっちらおっちらと3時間ほどかかってしまいました。

この日は空気が澄んで、東京湾の何処までも見えるので、じゃ行ってみるかと舳先を向けたのはよかったですがなかなか着かずに苦労しました。

海ほたるには残念ながら上陸は出来ません(と思います)。

緊急係留は出来そうですが、当然緊急でもないのでとっとと引き返しました。

ここまで来るのに、羽田空港の沖を通ることになります。

新しい滑走路の建設工事用と思われる機械(塔)が何本か建てられていました。

途中の洋上で見ていて楽しい?のは、羽田を飛び立つ飛行機を見るくらいですので、ちょっと観察してみました。

南風ですから、離陸はC滑走路から我々の方に向かって飛び立ちますので(遠いですが)。

まず、気づいたのは4発機(つまりB747ジャンボ)が少ないことです。

騒音が大きく燃費が余り良くないジャンボは国内便としては時代遅れになってしまいました(居住性は良いのですが)。

ちなみに、騒音規制で大阪伊丹空港は出入り禁止になりました(4発機が)。

次に、エンジンの音が気によって随分違うように思えます。

案外、カラカラというような機械音が聞こえました。

排気音が静かになったことでそういった音が聞こえるようになったのかもしれません。

離陸した飛行機は、左に旋回して北方へ向かうか、そのまましばらく南に向かうか(しばらく行って西に向かう)、右旋回して西に向かうかに大きく分けられます。

同じ西に向かうにしても、旋回を始めるのが機によってかなり異なります。

離陸してすぐに旋回する機もあれば、東京湾の真ん中まで来てから回り始める機もあります。

飛行機の特性なのか、パイロットの癖なのかよく分かりませんが、空にも見えないコースがあると思っていたのでちょっと意外でした。

下から見ていると、ゆったりと大きく旋回する方がやっぱり安心感があります。

飛行機が出てくる映画でヒラヒラと翼を傾けるシーンのような旋回は、見ていての面白みはありますが何か不安感が感じられます。

ところで、この日の一番の見モノは、低い薄い雲を通過するときに、主翼の上面に「ボーテックス」と呼ばれる白い雲が沸き立つ瞬間を見られたことです。

ほんの一瞬ですが、主翼を同程度の大きさの雲が翼のすぐ後ろに出来て消えます(飛行機雲のように引きません)。

思わずみんなで「お~!」と声を出してしまいました。

もし、主翼が見える席の(ボーテックスを知らない)乗客はびっくりするでしょうね。

下から見ていてもはっきり見えるのですたら、翼に何かが起きたと思うかもしれません。

あと、薄い雲に飛行機の形に影が写るのを初めて見ました。

飛行機が移動しながら影も移動していく様子はちょっと不気味な印象がありました。

もし乗客が下を見ていれば薄い「ブロッケン」が見えているはずです。

ブロッケンはどこから見ても妖怪じみたものなんですね。

ほかにも、A滑走路に降りる機を見てるのも面白かったのですがこの辺にしておきます。

BSMからはちょっと遠いですが、チャンスがあったらこうやって飛行機を見て楽しみたいものです(時刻表とかの準備をするともっと面白そうです)。

海ほたるからも同じように観察出来そうなので、機会がある方はしばらく空を眺めてみるのをお勧めします。

2007年6月14日 (木曜日)

Fireflyとは情けない…

Hotaru 蛍が出て来きました。

源氏蛍です。

8時を過ぎるとホタルが寝て?しまうとのことなので、早めに見にいきました。

他にも結構たくさんの観客(蛍狩り)の方が来ています。

お陰でたくさんのゲンジボタルが飛んでいるのも見ることが出来ました。

ポワ~ッ・ポワ~ッと光りながら飛んでいる姿を見ていると落ち着いてきます。

気持ちの好いリズムなのでしょうか?

そう言えば、西日本のゲンジボタルの光る間隔は東日本より速いとのこと。

やっぱり西日本はせっかち!なんだと、決めつけるのは酒の宴での戯れ話です。

近畿以外は決してせっかちじゃありませんから。

広島赴任時は、そんなことは知りませんでしたので、特に見に行かなかったのが残念です。

あと、「平家蛍」が見られなくなっているとの話もあります。

ヘイケボタルは田んぼにいるものですが、最近は田んぼも減り農薬の影響で減っているようです。

日本人は判官贔屓といいながら大きいのが好きですから、ヘイケボタルは注目されないのも、保護されず減っている要因の一つでしょう。

ヘイケは飛びながらは殆ど光りませんから、華がないのでしょう。

田んぼの稲や畦で、ピカッ・ピカッと清楚に光っている姿も素敵なんですけどね。

2007年6月13日 (水曜日)

3つ子は可愛い

Babies 中央高速・談合坂SAのツバメ君たちです。

もうすぐ巣立ちでしょうか、結構大きくなっています。

一所懸命親鳥(お母さん?)が餌を運んできます。

これだけ大きいと食べる量も成鳥並みで、増して3匹もいるので親鳥は大変でしょうね。

ご覧のように糞が下の通行人に落ちないように板が設置してあります。

巣立ちする前では許可無しに巣を移動したり壊したり出来ませんので苦肉の策です。

例え申請しても許可は出ないでしょうから。

仮に民家の中であろうとも営巣してしまったら、同様に巣立ちするまでは移動も壊すことは出来ません。

野鳥は私たちの気持ちを癒してくれるので、少しは我慢しなければなりませんね。

昆虫も食べてくれますし。

カラスがゴミを漁って困っていますが、結果的でも野鳥に餌をやるようなことになる行為は気をつけないといけません。

人間と野生の動物が共存するには、お互いに距離を保ちながらする必要があります。

つまり、出来る限りどちらも頼らないようにすべきなのです。

このツバメのように、人間が彼らのテリトリーを侵してしまっている場合は、少しは人間が譲歩せざると得ませんね。

だって、頭を出して「ピーピー」と親を待つ姿を見ていると、気持ちが落ち着き・豊かになるんですから。

2007年6月12日 (火曜日)

鰻屋の多いのは?

Photo_20 この店の前も「箱根駅伝」のランナーは通過していきます。

金目川を渡り大磯町に入ると、国道1号線は再び上下一車線のローカル道に戻ります。

湘南平を右手に見ながら、大磯駅入口交差点を過ぎる辺りからでしょうか、注意しながら走ると、小田原辺りまで国道沿いに鰻屋さんの多いことに気づきます。

そんなことも感じていたので、そのうちの一軒「うな政」に入ってみました。

普通の店構えの普通の鰻屋さんです。

少しお昼時間も回っていたこともあってか、お客さんは私たちのほかに4人組だけ。

大磯署の斜向かいですから、その関係の方も来るのでしょうが、この日はいません。

席につきふと壁を眺めると、JR東日本横浜支社?の作成したポスターが貼ってあり、

「総理の住んだ町・大磯」とあります。

そのポスターによりますと、伊藤博文・山縣有朋・大隈重信・・・吉田茂の名が挙がっています。

とはいうものの、現役の総理大臣で住んでいたのは、吉田茂だけだと思います。

そのために、戸塚の「ワンマン道路」は出来たのですから!

さて、大磯から小田原にかけて鰻屋が多いのは、ここにヒントがあるように感じました。

大磯から小田原にかけては別荘が多く、お金に余裕のある方々が鰻を食したのではないでしょうか。

現在こそ、何処にでもお寿司屋さんはありますが、昭和の40年代までは新鮮なネタの確保しにくい(冷凍技術や輸送法が今一歩)環境では、鰻屋を商いとし易かったのではないでしょうか(歯の弱った方も少なくないということも?)。

実は、この店でも鰻屋さんの多いことについて訊いたのですが、「前にもそんなことを訊かれました」と言われるだけで、答えは得られませんでした。

うんちくを一杯聞かされるより、商売っ気のないのも、大らかで気に入りました。

でも、鰻屋が多いのは気になるので、ノンビリと解明していきたいと思います。

また、鰻重に鰻を横に置くか縦に置くかという、鰻の置き方についても新たに疑問が湧いてしまいました(7日記事の画像を参考に)。

ところで、別荘で思い出したのですが、松並木脇の中華料理「滄浪閣」が廃業していました。

滄浪閣は伊藤博文の別荘跡で、かのプリンスホテルが経営していました。

大磯ロングビーチに併設された大磯プリンスホテルの別館だったようですが、経営的にはとても好立地とは言えず、政財界に顔が利かなくなった今では、とても算が合わないのでしょう。

バブルの頃だと思いますが、グロテスクな巨大な建物が残り少なくなった東海道の松並木の脇にあるのは目障りです。

早く取り壊してもらいたいものです。

2007年6月11日 (月曜日)

ここはパリ!?それとも?

Busstop 何ともオシャレなバス停でしょう!

ここはパリ・シャンゼリゼ?

でもクルマは左側通行!だと上海でもない?

実は、ここは横浜市環状2号線です。

しばらく振りに走ったらこんな停留所が新設されていました。

これだけ屋根が大きいと濡れずに済みそうですが、コストは高そうです。

20年弱前にパリに行った時に、こんなバス停を見てオシャレだなぁなんて思いましたが、まさかこんな田舎に出来るとは。

Diorか何か高級な時計の広告が掲示されています。

こんな停留所を見ると、どうしてもバブルの時代を思い出してしまいます。

広告料で建設・維持する方法は悪いとは言いませんが、極端になると景気が後退したときに高額な広告を出すクライアントがなくなり、かえってみすぼらしくなります。

やっぱり、これはやり過ぎに思うのは、私居酒屋コーチだけでしょうか…。

2007年5月28日 (月曜日)

死んでも忘れるのはNo!

528 ZARDの坂井泉水氏が40歳で亡くなったニュースに驚いていると、松岡農水相が自殺するというビッグニュースが飛び込んできました。

まずは、両氏のご冥福をお祈りします。

松岡氏については、あれだけ責めたてられたら常人にはとても耐えられない状況でしたが、そこは生き馬の目を抜く国会議員、自殺なぞするとは全く考えも及びませんでした。

何を守ろうとして自らの命を絶ったのでしょうか、命を絶って忘却の彼方へ押し込むと言うやり方は、少しも「美しい国」に相応しくありません。

野党は究明を図るべく追及の手を緩めては絶対にいけません。

忘却と言えば、絶対に忘れてはならないものの一つに「戦争の記憶」があります。

私居酒屋コーチは直接は戦争(太平洋戦争)は知りませんが、リアルに戦争を知っている親から空襲や当時の風潮については聞いて知っているつもりでいます。

また、報道や映画・ドラマ等で断片的に知識は得ています。

ただ、残念ながら、学校教育の歴史では十分に知識を得た記憶は殆どありません。

授業では、時間的に間に合わず十分な時間が殆ど割かれていないからです。

しかしながら、社会人・経済人そして国際人としては、近代史として近年の国家の考え方・行動を理解しておく必要があります。

残念ながら、それが不十分で朝鮮半島・中国・東南アジア国家国民との軋轢が残ったまま孤立感が高まっています。

居酒屋コーチも、この本、「戦争の記憶を歩く 東南アジアのいま」早瀬晋三著を読んで、日本が上記各国と上手くいかない理由の一面を理解できました。

上手くいかないとは、都会人が田舎の人と上手くいかないみたいな、「人」レベルでのことです。

つまり、気持ちをさらけ出した状態で本当に心を許せ合えない状態なのです。

お金を落とす観光客としては、表立って嫌な顔はしませんが、心の中では異なっているようなのです。

これも本書を読んで初めて知ったのですが、フィリピンでは民間人を含め110万人(当時の人口の7%!)もが犠牲になったとなれば、そんな簡単に気持ちを許せるわけがありません。

沖縄を除き、戦場になっていない日本人には分からない感情だと思います。

もちろん、原爆を含む空襲も一種の虐殺だとは思いますが、人の顔を見ながらの行為でないところが異なります。

中国・東南アジアの各国は現実に戦場になり虐殺が行われ、目撃された地なのですから。

本書は、その東南アジアに於ける戦争の慰霊碑を通して、戦争に対する思いを解き明かしながら、現在を「戦争前」にしないようにと説きます。

先の大戦の「戦争前」を理解しようとせずに、日本一国の努力で現在があるのように思い上がっている現政権に対する批判のようにも聞こえますが、私たち一人ひとりが忘れることなく真摯に事実として受け止めていないことへの警鐘なのです。

そうです、現政権を結果的に選んでいるのは何を隠そう私たちなのですから。

2007年5月24日 (木曜日)

ルイビトンC・SF#7

Flags ルイビトンカップ・セミファイナル第7戦の結果です。

と言っても、Kiwi(NZ)対スペインの1レースのみです。

既報の通り、LV杯決勝にはイタリア・ルナロッサの進出が決まっているので、対戦相手を決めるKimiのマッチポイントで迎えたこのレースのみなのです。

結果は終始Kiwiがリードし、あっさりイタリアの相手に決まりました。

延期になった20時15分のスタート時間前に、実は勝負は決まっていました。

つまり、スペインはスタートラインで優位に立つための駆け引きで失敗をしてしまい、スタートの時点で大きくKiwiに14秒も遅れを取り、そのまま「上り」も「下り」も引き離され続け敗北しました。

前日から延期になった原因の強風が、この日もまだ残っていて7mから時に9m近くの(シリーズ最悪)悪条件下で、スペイン艇には海水も入ってきてどう仕様もない状況のようでした。

クルーが水をバケツで汲み出している様は、2003年のKiwi(ブラックマジック)艇に荒天で水がガンガン入って敗れ去ったシーンを思い出させてくれました。

その教訓を今回のKiwi艇は活かしているようです。

やはり、失敗から学ぶということは世の中の原則のようです。

これで、Kiwi艇は強風でもやれるという実績を積んだわけで、クルーにも自信になったと思われます。

さて、6月1日から始まるLV杯の行方は天候という試合を左右する要素が浮上してきて、より楽しみになってきました。

ところで、アメリカズ杯本戦でLV杯の勝者と向かうスイス艇「アリンギ」はどんな準備をしているのか気になるところです。

スイスもLV杯の前哨戦LVCActで良い結果は出してはいましたが、本戦では各チームともActと異なる船を使用しますので、いかに様々な環境で本気を出して灰汁だしをしたかが、そのチームのポテンシャルになります。

バレンシアの海域が、これからどのような風が吹くような気候なのかは知りませんが、地球温暖化が進み過去のデータに当てはまらない気象現象に見舞われる昨今ですので、先ほども言いましたが天候がカップの行方を大きく左右するような気がして仕方ないのは、私居酒屋コーチだけでしょうか。

2007年5月17日 (木曜日)

ルイビトンC・SF#3と渡し

Watashi ルイビトンカップ準決勝第3戦は、こんな結果でした。

 Kiwi(NZ) 対 スペイン → スペイン :NZの2勝1敗。

 イタリア 対 米国 → イタリア :イタリアの2勝1敗。

 16日のスペインはずっとリードを保ち、Kiwiに初勝利だそうです(通算1勝9敗)。

 イタリアも最後までリードです。

 どうやら、右海面に出たチームが勝ったようで、右海面に風があったようです。

 風は必ずしも一様に吹いていないので、海面のとり方で有利不利がでます。

さて、アメリカズカップのルイビトンカップの状況はこの程度にして、神奈川県にも「渡し」があります。

多摩川の東京との渡しもあるようですが、浦賀の渡しは同一県内の海の渡しです。

浦賀湾は小さいながらも奥に深い形なので、湾の入り口付近にいる方が反対側に行くには結構な労力が必要になります。

ので、300年前から渡しが設けられているようです。

現在は横須賀市が市道として運営しています。

しかし、片道150円かかるので有料市道になります。

歩くと20分程度のところを、2~3分で渡ることが出来ますが、高いか安いかの判断は分かれるところです。

全国には、こう言った湾がたくさんあり、室蘭や北九州のように橋が架かっていることも少なくありません。

確かに便利さから言えば橋の方が圧倒的ですが、渡しでも結構便利なのですから景観まで壊して無理することもありません。

世の中は、時間さえ稼げればすべて良しというわけではないのですから。

2007年5月15日 (火曜日)

ルイビトンC#1

Oracle 昨日から、アメリカズカップ(AC)の予選「ルイビトンカップ」セミファイナルが始まりました。

相変わらず、報道がなく情報はWebのみです。

あと「高橋太郎」さんという方がBLOGで、現地から報告されているようですが遅れがちです。

第1戦は、ニュージーランドがスペインに勝ち、イタリアが米国に勝ちました。

5勝先取ですからまだまだ行方はわかりません。

ところで、ACはACクラスという船で戦われます。

ちなみにセールに付いているナンバーが通しナンバーです。

NZ-92というのは、世界で92番目の船でNZの所属という意味です。

現在は防衛艇のスイス・アリンギのSUI-100が一番大きい番号なので、いままで100艇造られたということです(高価ですからね)。

AC艇は、艇の長さ・セール面積の大きさなどの係数をある数値に収めるように設計します(ACクラス)。

2007年は、スペイン・バレンシアの風が余り強くないのか?メインセールのピーク(頂点)辺りの形状が大きく膨らんだ形になっています(画像参照。左が2003年)。

お世辞にも余り格好の良い形ではないと思うのですが、速く走るには必要な形状なのでしょう。

過去には、海面下のキールバルブという「重し」の形状も秘密にしていた時代もありましたが、現在は早い段階でオープンにしてしまうようです。

戦術や艇のデバイスなど、駆け引きの多いACですが、ともかく真剣に面白いレースをすることを望みます。

2007年5月14日 (月曜日)

やっと違いが分かった

Uraga 「横須賀市市制100周年」記念として、旧住友重機械浦賀工場に帰ってきました。

左から、「日本丸」「海王丸」(ともに正確には「Ⅱ世」ですが、ここでは省きます)「あけぼの(大阪市の船)」です。

3隻とも、この手前の船台で建造されたそうです(「あけぼの」は見たことないので…)。

ご覧の通り、「船台ってこんなに傾斜が大きいのって!」と思うほど急傾斜です。

確かに建造中の「日本丸」は、丘の上から見ると今にも転がりだしそうな感じがしたことを思い出しました。

斜めの船台の上で出来上がった(艤装はされてない状況)船を、スタン(後部)から海側のゲートから海に滑り込ませるのです。

この船台は浦賀湾に対して平行に造られていますので、まっすぐ滑り込ませれることができそうです。

戦艦「武蔵」を建造した三菱長船(長崎造船所)の船台は、湾に直角に造られているので進水と伴に船を曲げないと対岸にぶつかってしまう恐れがあったそうです。

「武蔵」の場合、とても重かったのですが曲げることは何とか出来たそうですが、押し出した水量が物凄いので対岸の民家の床上まで波が押し寄せたそうです。

さて、「日本丸」と「海王丸」は姉妹船なので、外観からはなかなか見分けがつかなかったのですが、今回近くでよく見たところ次のような違いが分かりました。

①船腹に引かれた青いラインが、1本が「日本丸」、2本が「海王丸」

②船首像が異なる

③救命艇の色が、赤が「日本丸」、白が「海王丸」

④第4マスト上のレーダードームの大きさが異なる(海王丸の方が大きい)

⑤海王丸は最近修理したので、船体が綺麗

こんなところに気づきました。

遠目には、救命艇の色の違いが一番分かると思われます。

おかげで、かつて羽田空港から飛び立つ前に写した船が「日本丸」であることが判明しました。

ところで、当日は向かい風が強く到着するのが遅れ乗船が叶いませんでしたが、近くで見てその巨大さとロープ類の煩雑さに驚きました。

大海原でセールを揚げ下げ操船する様は男冥利に尽きるだろうなと、へっぽこセーラーとして羨ましさを感じた一日でした。

2007年5月13日 (日曜日)

石見銀山が…

Rakan 島根県の「石見銀山遺跡群」がユネスコの諮問機関から登録延期の勧告が出てしまいました。

銀山としての世界的普遍性の物証が足りないとのことです。

具体的に何が延期という勧告を出されるほどの問題なのでしょうか?

文化庁は、クレームをつけるとのことでしたが、真正面から立ち向って解決する類の問題なのでしょうか?

ところで、広島からでも石見銀山へのアプローチは一仕事です。

R54から、江津川沿いの道路に入り川沿いを浜原ダム湖を過ぎしばらく行って、川から離れ山の中に入っていきます。

更に進み、石見銀山の町並みに入る寸前に、この「五百羅漢」が現れます。

銀山盛時に鉱山で働いていた従業員のために作られたものだそうです。

かなり多数の鉱夫が働いていたそうで、塵肺で苦しんだ方も少なくなかったようです。

それで亡くなった方を弔ったり、塵肺にならないよう祈祷するためです。

手前に「羅漢寺」があり、「五百羅漢」が道路と河川を挟んだ崖に掘り込まれて作られています。

走って来て突然現れる風景に、よくもこんな山奥にと言う印象が嫌が上にも沸いてきます。

往時の繁栄が偲ばれますが、現在は静かな風が川面に流れていきます。

同じように、鉱山までの緩やかに並ぶ街道沿いのお店に立ち寄りながら、ゆっくり流れる時間にただただ身を任せてみましょう。

それがここでは正しいかもしれません。

そうなんです、華がないのですここには。

私居酒屋コーチにはそれで十分なのですが、世界云々となると足りなさ過ぎることも間違いないような気もします。

居酒屋コーチ的には、世界なぞと言う冠無しで静かに町づくりをしていけば良いと思うのですが…。

さてさてどうなることでしょうか?

2007年5月 8日 (火曜日)

六地蔵(その26)

Kurataji 蔵田寺の六地蔵さんです。

最近、地蔵堂が新設され綺麗なお堂の中で風雨から守られています。

ここは鎌倉郡豊田村ですが、最近紹介した三浦郡の形式に似る中央に地蔵菩薩が祀られています。

元々、別々に祀られてあったのを一ヶ所にお祀りする必要のタイミングで、このような形式を選択せざるを得ないと思われます。

ここの六地蔵さんは大きく立派なもので、お顔も悪戯されておらず綺麗です。

当初からこちらの大檀家が寄贈して大事にされていたのかもしれません。

近くには、「出羽山街道」の石標もある「鎌倉道」沿いでもありますから、街道沿いにいらした可能性も捨てられませんが。

ところで、お堂を撮ろうと歩いていると、頭に「ガツン」とショックが走りました。

枝にでもぶつかったと見上げても何もないのですが、一羽のハシブトカラスが飛んでいきました。

どうやら、カラスの攻撃を受けたようです。

巣を守ろうと人を襲う話は聞いたことがありましたが、実際に見たこともありませんでしたので襲われてみてビックリです。

幸いにして帽子を被っていたので怪我はなかったですが、帽子がなければ傷を負ったかもしれません。

カラスの巣を気をつけて歩くと言うわけにもいきませんけど、カラスの声を聞くとビクッとするかもしれませんね(笑)

2007年5月 6日 (日曜日)

Pキャン

Itospa 伊東が見えてきて初島が右手になり始めた頃、ビュービューと10m以上の風に吹かれ、安楽なクルージングも一挙に吹き飛びました。

アビームでしばらく頑張って、ようやく伊豆半島のブランケットに入り、サンフジヤの隣り「道の駅マリンタウン」に隣接するマリーナに入ります。

ビジターバースは、マリーナの奥の奥に10センチ幅位しかない腕(フィンガー)のある桟橋に係留します(1泊6750円!)。

フィンガーに降りるのは事実上無理なのでバウから桟橋に飛び降ります。

流石にゴールデンウィークでマリンタウンの駐車場は一杯です。

伊東温泉ですから道の駅にも日帰り温泉施設がありますが、割引券を貰っても1200円もするので共同浴場に行くことにします。

伊東には10ヶ所の共同湯があるようです。

マリンタウンから近い2ヶ所に行ってみました。

まず一番近いのは「汐留の湯」です。

ご覧のように6人も入れないほど小さな湯船です。

殆どヌルヌルしない程度のアルカリ単純泉ですが、お湯がとても熱く湯船に浸かったら動けません。

ですが、いっしょに入っていた漁師上がりのような高齢の方々は平気な顔をしていました。

はぁはぁ言いながら頑張ってから上がります。

2軒目は「泉質最高 無色透明 松原浴場」です。

こちらは200円と汐留の湯より30円高い分?広い湯船で、私居酒屋コーチに丁度良い温度のお湯です。

女の子がバシャンバシャンと泳いでいます。

入った時間の関係もあってか家族連れが多いようでした。

お湯は温度が違うだけのようでお湯の印象は変わりません。

伊東温泉は、場所による泉質の差は無い方なのかもしれません。

2ヶ所位じゃ分かりませんので、他の共同浴場にも行って泉質の差を何れ確かめてみたいものです(楽しみがまた増えました)。

温泉のあと夕飯を適当に魚の食べられる店に入り済ませ(大したことなし)、船に戻りサッサと寝ました。

朝4時半に起きトイレに行くと、こんな時間にも関わらず200台以上停まれる駐車場がほぼ一杯です。

そして、2/3位はクルマの中に人がいます。

若いカップルから、同性同士、子供連れ、年配夫婦、一人と老若男女様々な方がいます。

道の駅に泊まる人が増えていると話には聞いていましたが、こんなに多いとは思いませんでした。

「Pキャン」と言うらしいですね、知りませんでした。

ここのように町にも近く共同浴場もあるような町なら、高いホテルや旅館に泊まらずに、美味しそうな店を探しクルマの中に泊まるのも、クルマがワンボックスならリーズナブルで悪くないかもしれません。

格差が広がっているからだなんて考えたくないので、何れやってみようと思っています。

ただワンボックスでないので、快適に眠る工夫は考えないといけないでしょうが。

2007年5月 5日 (土曜日)

鯉のぼりの天日干し?

Carps 「子供の日」もまぁまぁの天気で終わりそうです。

風はちょっと強かったですが。

近くの川で鯉のぼりを干していました。

んっ?違うって!

最近は全国あちこちの川で鯉のぼりを川の両岸に渡す風景が見られるようになりました。

私居酒屋コーチの記憶によると、町の活性化のために自分の家で揚げなくなったり古くなった鯉のぼりを寄せ集め合って川に飾ったというのがきっかけだったと思います。

ということは、自宅で揚げていた鯉のぼりがあってはじめてこの手のイベントが出来るわけです。

この川のも決して新しいのぼりでなく、使い古したようなものが下がっています。

最近では自宅で鯉のぼりを、子供が鯉が空に上って龍になるように偉くなってもらいたいとの祈って掲げる家は少なくなりました。

ですから、川に飾る鯉のぼりを支える環境がなくなりつつあるということです。

これからは、川に渡す鯉のぼりを見たら、「ここでもやっているのか」という気持ちでなく、「これから鯉のぼりが少なくなってしまわないといいな」としっかり記憶に残すように、しっかりと見ておくことにしたいと思います。

観客が増えれば、主催者側の意欲も上がりこれからも開催されるでしょう。

端午の節句に向け鯉のぼりが見られなくなったら寂しいですから。

2007年4月30日 (月曜日)

えびねを見て思う

Ca340437 民家の軒先に鉢に植えられている「えびね」は良く見ますが、自生するのを見るのは久し振りです。

以前は、どこの山でも生えていたらしいですが、乱獲されて数が少なくなったそうです。

交配して色んな種類を作りだすのに必要で高価で売買されたようです。

高山植物を盗むのと同罪です。

盗むのと育てるのは違うといっても所詮同罪です。

私居酒屋コーチには、そんなにしても愛でたいとはちっとも思いません。

確かに、子供の時に「ヤマユリ」を何本か採ってきて庭に植えたことはあります。

子供のやったこととは言え、悪いことをしたと反省しています。

つい母親が喜ぶもんでしたから…(言い訳になりません!)。

採ってきても、1~2年は咲くのですが、何れ咲かなくなってしまいます。

やはり、山林と庭では日当たりや土壌など様々な環境が異なり、通常では育てられないのです。

ですから、ある時からは採って来るようなことはしなくなりました。

こう言った経験があったこそ、大人になった今ではそんなことはやりません。

近くの山林で見て楽しむ機会を失うという高い授業料を払って勉強しました。

自然には、それなりの秩序があります。

もちろん、気候の転移なので少しずつ変化していき、今の秩序が将来においても継続することはありません。

しかし、自然の一つでしかなく、その変異を理解している人間が、変化を早める(秩序を壊す)ような行為をすることは出来るだけ避けるべきだと思います。

その行為はどこまで許されるのかは誰にも正解を言うことは出来ないとは思いますが、「えびね」「ヤマユリ」や「高山植物」はそのままにしておく方が、現在においては多くの方が喜ぶことはもはや自明です。

ただ、現在は子供が経験から学ぶ機会が非常に減っていることは間違いありません。

現在の社会では、その経験則を後世にどうやって上手く伝えていける社会を構築するかが求められていて、私たち大人が常に意識し努力し行動するかが問われています。

2007年4月29日 (日曜日)

さぁ短くなってきた!

Entotsu いよいよ焼却所「港南工場」の煙突(正確には外筒)の処理工事が始まりました。

よ~く見ると分かるのですが、右側の現在の方がほんの少しだけ短くなっています。

工事日程表によりますと、連休明けより日に1.5mずつ低く(短く)なっていくようです。

高さ80数mを50数日で無きものにする訳です。

前にも記しましたが、上部の縁をロボット(と書いてあります)で破壊し破片を内部に落として、下部から外に出して壊し撤去するようです。

ダイオキシン等に直接汚染されていた内筒は既に撤去されているので、汚染物質は出ないはずです。

ほぼ同時に撤去作業が進められている「上郷工場」の方はまだ短くなっていないようですが、あと2ヶ月もすると景観の邪魔をしていた2本の巨大煙突がなくなると思うと、嬉しくなります。

それも、G30に協力している市民のお陰ですので感謝しています。

天園へのハイキングも、あの煙突を見ずに行けるようになるので楽しさ倍増です。

2007年4月28日 (土曜日)

今年はお預けかな…

Karamatsu_1 カラマツは松の仲間ですが、紅葉し落葉するので、春になると新芽がでます。

高原に生えているので、5月に新緑を迎えます。

細い枝先から、ポッポッと束になった柔らかそうな葉が出てきます。

クロマツやアカマツのような針状の尖った葉にはならず、細い平べったい葉になります。

私居酒屋コーチはこのカラマツの新緑が大好きです。

本当に淡い優しい緑の新芽が、松特有のゴツゴツした肌の枝から生えてくるミスマッチ感がとっても素敵です。

葉の量が多くないので、疎らな枝間に差し込む日光が新緑を透き通るように浮きあげます。

そんな立体感の中で深呼吸すると、生きてるなぁと感じるのが大好きです。

今年はカラマツの赤ちゃんには会いに行けそうもありませんが、古い画像を見て思い出してみましょうか。

2007年4月26日 (木曜日)

あずさ2号では行けない?

Azusa 男性デュオ「狩人」が解散とのことです。

私居酒屋コーチにとっては特に興味のある存在ではありませんが、「あずさ2号」くらいはカラオケで歌うことは出来ます。

当時の「あずさ2号」は下り列車でしたが、現在の特急列車は、上り列車が偶数号(例えば「あずさ3号」)、下りは奇数号で名付けられているので、いま「あずさ2号」に乗ると新宿に着いてしまいます。

居酒屋コーチは、いまは無くなったようですが「急行アルプス」を「上高地」行く際に利用しました。

それこそ、20年くらい前までは山屋さんが良く利用されたそうです。

立川駅で23時後半に乗ると、松本に4時過ぎに着きます。

4時を過ぎれば、画像のように、上高地の梓川沿いのカラマツのポッポッと音を奏でるように芽吹く5月中旬では、もう明るくなっています。

4時過ぎの松電の始発に乗り、車窓から「ルピナス」の花を眺めながら30分弱揺られ「新島々」に到着し、今度はバスに乗り換え、6時半頃「大正池」に着きます。

大正池でバスを降りて、新緑の香りと野鳥の声をききながら河童橋までノンビリと歩いていくことにします。

とっても澄んだ空気が肺に痛いくらいに感じます。

そうです、空気は寒いくらいなのです。

途中、「帝国ホテル」でお茶をするのも悪くはないですが、空気の方が美味しくて好きです。

5月の梓川は雪解けの水で増水します。

秋には通れた道が水没していることもあり、自然の気紛れさに思わずにやっと微笑んでしまいます。

そんなことを楽しみながら歩いていき、お日様も高くなり暖かくなる頃、人の声と匂いが時間を掻き乱しているような「河童橋」が見えて来ます。

2007年4月25日 (水曜日)

六地蔵(その25)

Photo_16 鵠沼の「夢想山本真寺」境内の六地蔵さんです。

とっても可愛い表情をした面々です。

境内を掃いていた檀家の方の話によると、建立され10年くらい経っているかなとのことです。

という事で、見ての通り今風の感じになっているようです。

四頭身の小太りの姿は、子供で言うと三つくらいでしょうか。

基本的には、同じ顔立ちで表情が異なった六体です。

錫杖を持たれたお地蔵さんの表情は何とも言えぬ可愛らしさです。

お地蔵さんは子供の味方で庶民に愛される菩薩さまですから、子供に好かれるこんな感じも凄く素敵だと思います。

欲を言わせて貰うと、路傍にいらしたらなと思います。

そんな町並みが大好きな居酒屋コーチでした。

2007年4月24日 (火曜日)

春季例祭

Ca340421_1 平塚から西に向かい「花水川」を渡ると大磯町です。

「中郡」です。

好い響きですね、「神奈川県中郡大磯町」。

何時かは「郡」に住みたいと思っています。

花水川を渡ってすぐに高麗山を御神体と崇める「高来(たかく)神社」があります。

高麗山は、「安藤広重」の「平塚宿」に見える山です。

また、湘南電車からも大船を過ぎて久し振りに望む山でもあります。

ここに来るのは、中学校以来何年振りか計算したくないほど久し振りです。

その時は、神社を経由し高麗山に登り尾根伝いに「湘南平」までの遠足でした(残念ながら疲れた覚えしかありません)。

高来神社は通称「高麗神社」と呼ばれています。

たまたまこの日は春季例祭でした。

鳥居から続く露天を懐かしみながら抜け、お社に向かっていると、「ゴ~ン」と鐘の音が。

神社に鐘?と訝りながら、社殿を目の前にして納得しました。

そうです、明治まで神仏習合の「高麗寺」だったのです。

ですから、社殿もお寺さんのような様式です。

「高麗神社」と呼ばれはずですね。

ところで、高麗と言われるのは、この地域に朝鮮半島からの渡来人が関わったものから来ているようです。

そういえば、埼玉県日高市の高麗神社も同様の由来ですね。

江戸時代東海道を平塚宿を過ぎ、川を渡ってこの高麗寺を過ぎると大磯宿が現れたようです。

現在もここから、国道1号を少し西に向かい、右手に分かれると東海道旧道が蕭然と現れます。

現在も道路の両脇に黒松や生垣の緩衝帯が残って昔の名残を忍ばせています。

ここには、ほっと安心するような優しい空気が流れています。

この旧道は途中JRで断ち切られていますが、また国道と一緒になるまでしばらく歩くことが出来ます。

住民の方も旧東海道の風情を残そうとされているようで、本当に気持ちの良いところですので是非歩いてみて欲しいと思います。

ちょっとした昔の雰囲気を味わい、肩の力を抜くことが出来て嬉しかった居酒屋コーチでした。

2007年4月23日 (月曜日)

風には適わない…

Asamaru 前日から切り上がった南風が朝になっても収まらず、通り雨まで降ってきました。

元々、湯河原までポタリングして輪行で帰って来る予定でしたが、西に行き南に行くほど雨模様のようなので、残念ですが大磯まで行って、美味いものでも食べて帰ることにしました。

走り出すと思った以上の強風で、殆ど息継ぎのない10数mの風と戦うのは至難の業です。

こんな状況では、湘南港も出向禁止だろうなと考えていると、ディンギーのハリヤードがマストに当たり「カラカラ」と音を立て、フォアステーとサイドステーから「ヒューヒュー」と咽び泣く声が頭に浮かんできました。

晩秋に、北よりの風がこんなような音や声をさせるようになると凄~く胸寂しくなります。

とっても一人でいるのが辛く重く思え、人恋しくなったものでした。

春の南風ではそんなことはないですけどね。

そんな感じですから、狙っていた「生しらす」は当然お預けになりました。

この風では出漁は出来ませんから。

それでも、まだ12時前と言うのに、ここ「あさまる」は店の前でお客さまが待っていて大繁盛です。

その上を店の名前の入った幟がバタバタと風に舞っています。

そんな訳で、「しらす薩摩揚」と「しらす天丼」を頼みました。

ご覧の通り、丼に薄く揚げたしらすの天麩羅がズラズラっとテンコ盛りに載っています。

思わず、唾が出てニコッとしてしまい、闘争心が掻き立てられました。

サクサクと揚がった天麩羅は思った以上にしらすの味が濃いもので、ドンドン唾が出てきます。

ただ、察しの良い読者ならお分かりでしょうが、しらすは元来小さいので天麩羅はメリケン粉と油の固まりに外なりません。

2枚3枚と食べ進むうちに流石に油に負け始め、御御御付けと柴漬けで中和しながら何とか完食しました。

闘争心もすっかり冷め、お茶で胃を慰めながら、やっぱり若くないなぁと敗北感まで漂いました。

若くても油の採り過ぎは厳禁ですけどね。

それでも、もう今年初めての「生しらす」を何時食べようかなと考えている居酒屋コーチでした。

2007年4月21日 (土曜日)

天狗さまの世界?

Tengushide 平成大合併で「北広島町」になった「大朝町」の「天狗しで」です。

「天狗しで」は世界でここにしか自生しないのだそうです。

「いぬしで」の変種なのだそうですが、私居酒屋コーチは「いぬしで」がどんな樹なのか知らないので何とも言えませんが、「天狗しで」に関しては見ていると畏怖心を感じます。

谷間の斜面に、枝をシューベルトの魔王のように腕を広げた樹が群れなしている中に立っていると、次元の異なった世界に迷い込んだようです。

頭を上げて枝々を見ているとクラクラしてきそうです。

重力が間欠泉のようにフツフツと変化して作り上げたように思えます。

知らずに、「天狗しで」の森の中に迷い込んで気づいた時、天狗に見つめられ背中がゾクゾクし足がすくみ風の音が天狗の声のように思えても不思議ではないでしょうね。

大朝の自然の何がこんな姿の樹を作り上げたのか分かりませんが、自然の妙なる営みを感じざるを得ない世界です。

2007年4月18日 (水曜日)

ソースカツ丼

Agehaya 「あぐりの湯こもろ」で楽しむと必然お腹も減ってきます。

と言って食べ過ぎてしまえば元の木阿弥になりますので、適切な量の食事を楽しむことにします。

湯船の中で知り合った方から情報を仕入れ、小諸駅前商店街の「一膳めしや揚羽屋」に向かいます。

小諸駅前商店街は、小諸駅(三セクしなの鉄道)から浅間山に向かってなだらかに上る坂道沿いに続いています。

私たちが訪ねたのは夜7時も回っていましたので、殆どのお店は閉まっています。

夜目には昼間もシャッターが閉まっているかどうかは分かりません。

新幹線も停まらず坂の町となれば、一般的にはクルマでのアプローチが主となるので、恐らく「シャッター通り」になっていると推測されます。

小諸の町が、様々な工夫と市民の努力で、商店街と共に繁盛していれば嬉しいのですが。

シャッター通りは町の活力そのものを象徴しますから。

それでも限度はありますので、政策的に手をつける必要はあると思います。

確かに都内では商店街と共栄してケースは少なくないですが、それは人口密度の高さとショッピングセンタが設置し難い特殊事情だからであって、商店街と市民の努力あってではないことを為政者は肝に銘じておいて欲しいと思います。

閑話休題、「揚羽屋」ですが、島崎藤村が小諸時代に書いた看板がある店としても有名のようです(藤村の後輩として知りませんでした)。

店内にも有名人の色紙が飾ってあります。

とは言いながら、決して店も綺麗でなく整理整頓も足らず飾ったようなところは全くない、小諸の町民がふらっとやってきて世間話や愚痴を言いながら食事していくといった雰囲気の店です。

私居酒屋コーチはこういった雑然としたキチンとしていない感じが自分らしくて好きなのですが、多くのお客さまがまた来たいと思うかどうかは分かりません。

つまり、おもてなしの心が十分かと言えば足りないのです。

お客さまに慣れることを強いるようなところがあるからです。

現代においては、それはなかなか受け入れられないのが現実です。

常に時代の最先端をいく必要は全くないと思いますが、常に最善を求めようとする経営姿勢は必要だと思います。

さてさて、また話がずれてしまいましたが、風呂で会った人に勧められた、「ソースカツ丼」を注文しました。

てっきり、丼に「ご飯」「キャベツ」「カツ」「ソース」と積み重なった構成かと思っていたのですが、出てきたのは「ご飯」「ソース漬けカツ」の超シンプルなものでした。

カツを揚げて、油を切って?、ウスター系のソースにドブ漬けしたものが乗っているだけなのです。

と言うことで味もシンプルです。

濃い目の味のカツにがぶっとかぶり付き、その味をご飯で中和しながら楽しみます。

さて、一口食べてこれは「僕の味」だと感じました。

つまり、温泉で汗をかいて少し塩辛いものが食べたいという自分のためにあつらえた感じがしたのでした。

こういう時は、実に分かり易くて安心感があります。

ただ、お分かりのように決してカロリーは低くないので、最初に言ったお風呂の効果を相殺しない程度ではありませんでした(要は少し食べ過ぎ)。

また居酒屋コーチにとっては、最後の方でキャベツで脂分を殺したくなったのも事実です。

でも、こうして3日経ってみると、また食べたくなってきました。

そんな揚羽屋の「ソースカツ丼」でした。

今度、自分でもやってみよっと。

2007年4月16日 (月曜日)

寒いなぁ~

Ca340388 花寒ですね。

例年、桜の花見の時季は夜は冷えるもんですが、昼間がこれだけ寒いと流石に嫌になりますね。

コートをクリーニングに出されて恨めしく感じている方も少なくないでしょう。

こんな気候でも、あちこちに花がどんどん増えてきました。

横浜公園のチューリップも満開でした。

そのせいではないでしょうが、私居酒屋コーチは昨日・一昨日とも鼻水が出て止まりませんでした。

スギとヒノキの花粉はもう余り飛んでないと思えるので、ひょっとして違う花の花粉アレルギーが発症したのではないかと心配になっています。

ちなみに、雨の今日は殆ど鼻水も出ていません。

雨は時には画像のような演出もしてくれますが、花粉症を押さえられるからと言って雨の降りっ放しはやっぱり嫌ですから、たまたまスギ・ヒノキの花粉がほかの花に負けまいとまだ飛んでいるのと思いたいものです。

2007年4月15日 (日曜日)

山々を眺め考える

Agurinoyu 小諸、「あぐりの湯こもろ」に行ってきました。

山々の駆け上がるような新緑を期待していたのですが、「懐古園」の桜がもうすぐ満開くらいですから、新緑はまだまだでした。

花見客であふれる懐古園もご他聞に漏れず、「風林火山・山本勘助ゆかりの地」の幟・看板・ポスターが一杯です。

NHKの大河ドラマに期待する流行・習慣は相も変わらずのようです。

でも、本当に成功しているのは、旭川の「旭山動物園」のように、どうやったらお客さまに本当に喜んでいただき再訪して貰えるかを模索し続ける努力なのだと思うのですが…。

それはさておき、あぐりの湯は懐古園・小諸城跡から千曲川を眺め、その川の左岸斜面の上方にあります。

観光イチゴ園を併設する大きな施設です。

千曲川の谷を挟んで眺める「浅間山」から連なる連山の姿は壮観です。

もちろん、お風呂からも見えますし、大きな休憩場からも一望です。

露天風呂は41℃とやや高めで、のぼせ易い私居酒屋コーチには長湯するにはちと厳しいところです。

ですが、眼前に広がる山々が陽の傾きや雲によって刻々と変化する様を眺めるのは気持ちを豊かにしてくれます。

機会があったらまた行きたいところです。

ここの靴箱には鍵はありませんし、お風呂のロッカーの鍵にはコイン必要なしと全体的に緩~い雰囲気が漂い、こちらものノンビリとした雰囲気に浸れて身体の力が抜けていきます。

お客さんは地元の人が多いようで、ほっぺたの赤い子供がたくさんいて、居酒屋コーチが子供だった頃を思い出して、何となく嬉しくなってしまいました。

横浜では寒さで頬がアカギレてしまうような寒さも近年はなくなり、そうなるまで外で遊びませんから。

何とも寂しい限りです。

さて、どうして昔をこんなに懐かしんでしまうのでしょうか…。

懐かしいという言葉に置き換えた、自分たちの時代を正当化しようとしているとしたら、諌めないといけませんね。

さて、地元の人がノンビリと楽しんでいる施設、ここ「あぐりの湯こもろ」は、今の成功を正当化せず(成功に溺れず)、飽きさせない努力を続ければ成功(市の発展)につながるのでしょうね。

2007年4月13日 (金曜日)

六地蔵(その24)

Photo_15 離婚後300日後問題の民法改正が先送りされました。

現代のようにDNA検査で本当の親が確認出来る時代に、なぜ改正を渋るのか私居酒屋コーチは理解できませんが、これで誕生について苦しむ子供が減らないことは悲しいことです(代理出産問題もそうかな)。

何時の時代になっても子供の受難はなくなりません。

サラリーマンが上司を選べない以上に、子供は親を選べず生まれたいきさつを受任して生きていかなければなりません。

災害や飢饉あるいは戦争に遭遇すれば生存能力の乏しい子供はいち早く犠牲になります。

疫病でも然り、交通戦争(古い言いかたかな)でもそうです。

子供を一人に人間として育てることの出来ない親のもとで、教育や養育において人格を蝕まれる子供も少なくありません(いじめもここから来ていることも多いと思っています)。

かように子供は苦しみ続けてきました。

こうした子供を少しでも安らかに生きて欲しい、死後も安らかに眠って欲しいとすがる思いでお地蔵さんを立ててきました(そんなお地蔵さんを子供が悪戯するのも皮肉です)。

居酒屋コーチもお地蔵さんを前にする時、妙にそんな思いを感じて悲しくなることもあります(自分の子供はいませんが)。

でも、その優しい眼差しに気持ちが癒され落ち着きます。

ここ「満宗寺」の六地蔵さんもそんな思いで作られたのでしょう。

優しいお顔をしたお地蔵さまです。

比較的新しく立てられてようで痛みを少なく大事にされてきたようです。

こちらも既に記事にした「円蔵院」「東漸寺」のように、真ん中に別の石像が置かれたレイアウトです。

こちらは真ん中もお地蔵さまのようで、一段と可愛らしいお姿です。

旧三浦郡辺りの流行なのかもしれませんね。

さて、民法改正に積極的でない輩には、お地蔵まの前で考えて欲しいと願っている居酒屋コーチでした。

2007年4月11日 (水曜日)

棚田

Tanada_1 もうすぐ田植えが始まりますね。

最近は圃場整備が進み、区画の大きな田圃も増えてきて、機械化も進んでいます。

機械化で効率化が進み、コストパフォーマンスが上がって競争力が付いているなら良いのですが、現実は高価な機械を導入する経費の方が重くのしかかり米作農家は青息吐息のようです。

それでも、機械が使える田圃は労働力的には楽になっていることは確かです。

しかしながら、日本の多くの田圃は機械化を進めるには不向きな場所にあることが多いのです。

美田として観光地のように扱われる「棚田」も、米を作る点では大変な田圃です(苦労して出来たお米の酒は美味い!?)。

今回の地震では大きな被害はなかったようですが、輪島の「千枚田」も維持するのにボランティアの力なしでは維持できなくなっているようです。

正確には覚えていないのですが、脱いだ草履で隠れるくらい田圃が小さいのもあるというのですから大変です(バスガイドさんの話だったかなぁ?)。

それでも、観光客などがやってきて知名度が上がり、ボランティアを集められる棚田は幸せものです。

ここ安芸太田町筒賀「井仁(いに)棚田」は、どのように維持されているのかは分かりませんが、農家の方の努力は並大抵ではないでしょうね。

広島地方の田圃の例に漏れず、畦を石垣で作られているのが特徴です。

畦の傾斜を大きくして畦の部分を小さく出来るので、耕作面積を稼げるのです。

しかし、石垣は手入れをしないと緩んでしまうのが欠点です。

その分手間がかかるので一般的な工法とは言えないでしょうが、広島では少なくありません。

特に千枚田では、面積を大きくする以上に美観という点で優れていると思えます。

元々斜面にへばりついたバランスが美しい棚田ですが、井仁棚田の細い畦道と強い傾斜が生み出す繊細さは見るものに緊張感を与えてくれます。

田植えは5月の連休頃のようですので、稲が少し大きくなった5月の中旬から下旬にお弁当を持って出かけてみましょう。

自然に逆らわず無理しないで、自然から分け前をいただくような豊かな気持ちが湧き上がってきますよ。

2007年4月10日 (火曜日)

呉の対岸、江田島

Etajima 呉港の対岸に江田島(えたじま)があります。

江田島は一つの島ですが、江田島・東能美島・西能美島と呼ばれます。

平成の大合併で現在は江田島市になりましたが、以前は、江田島は安芸郡江田島町、東能美島は安芸郡大柿町、西能美島は佐伯郡能美町と沖美町と「郡」が入り組んだ島でした。

「大和」に縁があるのは、江田島の西岸にある「江田島海軍兵学校」です。

現在は海上自衛隊「幹部候補生学校」と「第1術科学校」になっています。

ここは一部歴史的建物や展示品の見学が可能です。

自衛官に導かれ、建物や潜航艇、大砲の弾などと「教育参考館」を見学します。

赤レンガの建物も見所ではありますが、やはり教育参考館での海軍兵学校や海軍の歴史についての展示品を見ることが見学の主題になります。

その中でも絶対に見ておきたいのが、日本海軍が発明した(極めて馬鹿げた発明!)「特攻」に行った飛行士の日記や手紙そして遺書です(初めの頃の展示品は適当に飛ばしましょう)。

どんな理由や解釈であれ、機械と共に命を全うするなど、人間の尊厳においてあってはならないことです。

が、当時はまるで正義であるかのように、尊い命で(敵の)尊い命を購おうとしたのです。

そして、特攻に向かう前、自らの存在を確かめるが如きに、思いを紙に書き記してたものが、ここにあります。

とても、書きたいこと全てを書き記せてはいないでしょうが(検閲もありますし)、伝えたい思いは十分に感じとれます。

私居酒屋コーチは涙無しには読むことは叶いませんでした(鹿児島の知覧特攻平和会館でも同様でした)。

二度とこのようなことが正義とされないように努めることが、こうして平和を享受している者の義務だと痛切に感じました。

地の利が良くないのでクルマで行くのが良いのですが、時間をとって宇品港からフェリーとバスで行く方法もあります。

出発の時間と早めにすれば、平和公園と両方を見学することも可能ですので、是非行っていただきたいところです(大和ミュージアムを含めると1日では辛いかな…)。

2007年4月 9日 (月曜日)

大和と丸出だめ男

Dameo 昨晩、「男たちの大和」をTV放映していました。

大和の生き残り役を、過去を背負って生きる男の代表「健さん」でなく、「仲代達也」が演じていました。

映画「ホタル」から余り時間も経ってなく、舞台が同じ鹿児島県の港では具合が悪かったでしょうか?

それはさておき、大和と言えばやはり呉を思い出さざるを得ません。

竣工したのも呉工廠(現在のIHIマリンユナイテッド)ですし、錨地も呉ですから。

映画にも出てきましたが呉のフェリー港裏に「大和ミュージアム」があり、実物の10分の1の模型が展示されています。

長さが20数mもあるので流石に目を見張るものがあります。

何せ本体は造船所で建造され進水式を経て、呉港まで海を曳航され、建物が完成する前に内部に納め、艤装したとのことですから。

量感・質感とも圧倒的なものです。

その中で私居酒屋コーチが傑作だと思ったのは、数体乗船している乗組員の模型のうち幹部クラスの一つが、全く「丸出だめ男(森田拳次作)」にそっくりなことです。

見て思わず嬉しくなってしまいました。

スマートな人形なぞ置かず、「戦争はとんでもないジョークなんだよ(だから現実にしてはいけない!)」とでも言いたいのだな理解しました。

戦争なぞ決して格好の良いものではありません。

どんな完全無欠に見えても、必ず落とし穴があるものなのだから、謙虚にならなければならないというメッセージと受けとりましょう。

2007年4月 8日 (日曜日)

もう一回行きたい出石

Izushi 西日本は総じて蕎麦文化でなく、うどん文化です。

広島で食べられるのは、「出雲そば」か旧豊平町に行って「豊平のそば」くらいです(「ちから」もありますが)。

という事で春の日に誘われて、蕎麦を食べに但馬の出石までやって来ました。

ですが、途中龍野で「にゅーめん」を食べたり観光したりで、出石に着いたのが夕闇も迫った6時前になってしまいました。

有名な時計台辺りでクルマを停めて、蕎麦屋を探しますが、どの店が良いかグルグルと回っているうちに暖簾が仕舞われてしまい、何とか入った店もお湯を落としたので少し時間が掛かりますとの由。

もうほかの店も同様だろうと待つことにしました。

それで随分待たされ食べた蕎麦のお味ですが、それが全然思い出せないのです…。

店も忘れましたし、どんな蕎麦を食べたかも思い出せません。

恐らくそんなに感動的な蕎麦ではなかったのかもしれません。

リベンジでもう一回行きたいですね(ただ遠い!)。

味で思い出せるのは、実は龍野で食べた「にゅーめん」なのです。

柚子の皮を落とした香りがとっても爽やかな味を作り出して、熱いあつい「揖保の糸」を引き立てて、とっても美味しかったのです。

龍野は醤油の町でもありますが、薄い味の御つゆがとてもまろやかな味でした。

以来、家で素麺を食べる時は、茹で過ぎずにアルデンテで熱い御つゆを用意し、柚子の皮を二切れ落として、龍野を思い出しながら食べるようになりました。

2007年4月 7日 (土曜日)

酒は辛口!甘口?

Ca340394 厚木の「千の庭」で飲みに行くために、藤沢駅で下り電車を降りたら、目の前にオデコの湘南電車が!

何か変だなと思ったら、スカ線の湘南電車色でした。

湘南新宿ラインが出来てから、北鎌倉辺りを湘南電車が走るのも珍しくなくなりましたから、こんなのもあるんですね。

そういえば、最近のJRの車両ドアは閉まった時にぴったりと隙間無しには閉まらないみたいです。

3ミリくらい隙間が開いています。

走行している時は、負圧がかかって風は入ってこないようですが、停車時には雨が入ってくるんじゃないですかね?

ピタッと閉めるより安全性が高いのでしょうか、さて?

ところで、「千の庭」という店は初めて行きました。

個室がたくさんあり、そこから庭が見えるというあしらいです。

通路の床に透明なガラス(ポリカーボネイド?)を使ってる部分があり、酔っ払うと落ちそうな気分になるような嗜好もあります。

コース料理は特に月並みでしたが、久し振りに日本酒を飲みました。

私居酒屋コーチは、屋号の通り日本酒は好きなのですが、ついつい呑み過ぎることが多いので外では少し控えていました。

が、茅ヶ崎の地酒「天青」があるというので注文しました。

単なる辛口というより、やや口の中に刺さるような辛さのあるお酒でした。

麹の香りが少な目ですっきりしているタイプではあります。

10年くらい前はこのくらいの辛さが好きでしたが、最近は若干甘めの酒に嗜好が振れて来たように思ってます。

辛い(塩辛い)食品を食べることの多い地域は甘口の酒が多い(例えば、新鮮な魚の食えない京都)と言いますが、辛いものが好きになってきたということなのでしょうか?

特に意識はしてませんでしたが、塩分の取り過ぎは身体に良いことはありませんので、気をつけなければなりませんね。

2007年4月 5日 (木曜日)

いよいよ新緑

Akebono 桜もボチボチ葉桜になってきました。

桜に負けじとほかの木々も新芽を出し始めました。

横浜南部柏尾川沿いの桜並木の端っこ辺りに、「あけぼの杉(メタセコイヤ)」が何本か植わっています。

そのあけぼの杉にも新しいポヤポヤっとした葉っぱが出てきました。

淡い萌黄色の葉っぱが出る時期が、私居酒屋コーチはとても好きです。

特に、あけぼの杉やカラマツ、ケヤキの芽吹きは大好きです。

ただ、あけぼの杉は、サラリーマン時代(会社の敷地内にあったので)に、また一年が始まるなと眺めた記憶もあるので若干複雑な感情もありますけど。

子供の時は、春になれば花が咲いて葉っぱが出るのは、余りに当たり前のものだと思っていたのです。

ですから、余り感激も嬉しさもありませんでした。

歳を重ねるにつけ、葉の出る時季や芽吹き方色の違いなどが分かるようになり、同じ様子の春は二度とないことが理解出来るようになりました。

そうすると、一瞬一瞬の儚さがとても大切に愛おしくなってきたのです。

例え自然が昨年と同じようでも、自分の体調や気分で全く見え方も変わってきますので、変化の激しい春はとても刺激的です。

気分が高揚していれば桜を見る時でも高いところ誇らしげに咲く枝を眺めるでしょうが、落ち込んだ時には低い幹に忘れられたように小さく枝を伸ばして咲く花に哀れさを感じてしまうものです。

でも、ふと深呼吸してみると高く高く空に向かって伸びようとする枝に勇気を奮い立たされたりもします。

現代は変化が激しいといわれています。

変化の早さに流されているなと思ったら、春の野山を歩いてみましょう。

きっと何か得ることが出来るはずです。

例え自分では気づいていなくとも。

2007年4月 4日 (水曜日)

桜は見続ける

Amarube 昨年12月30日にも書きましたが、山陰線餘部鉄橋が架け替えられます。

予定ですと、もう工事が先月29日より始まっているはずです。

維持費と運行の定時性にこだわるJR西日本は、歴史的建造物を残して欲しいという声を無視しました。

この段階になっては、住民も静かにして欲しいという気持ちが強いとのことですから、粛々と新しい橋への架け替え工事が進んでいくのでしょう。

当事者の住民が望まないことに、外野の人間がとやかく言うべきではありません。

物見遊山の人が集まることが、メリットになることもあるしデメリットになることもあるのですから。

夕張市のように人が集まりさえすれば町が豊かになるという御託宣に騙され、現在のような辛酸を嘗めることもあるからです。

町の発展(この言葉自体が人を欺きますね)は、そこに住む人が本当に幸せを感じるかどうかが重要です。

「話す・聞く」という人間にしか出来ないコミュニケーションが、家庭や日常生活の買い物・娯楽などで、十分に出来る住環境が保たれない町は幸せではないと思います。

この度震災にあった輪島市の門前町では、近隣の方同士がお互いの健康状態などを持ち合っていたことが幸いしたと報道されていました。

A内閣官房長官が会見で「独居老人が・・・」と、あたかも過疎で不幸せであるかのようなニュアンスの発言がありましたが、決してそうではなかったのだと思います。

人生経験の豊かな人たちが、摩擦や軋轢を上手く避けながら暮らしていたのです。

そういったところへ、物見遊山の人が集まれば豊かになるみたいな方便で、デベロッパーが騙してきたケースが如何に多いことか。

日本の何処に行っても、ミニ東京みたいになって詰まらなくなってしまった原因お多くはそんな結果でしょう。

そして、更に寂れすさんでいくのです…。

そんな様子を、きっと桜はずっと見続けるのでしょうね。

2007年4月 3日 (火曜日)

地元を楽しむ

Iwatebank 昨日から、NHKの朝ドラが変わりました。

「芋たこなんきん」の大阪弁は、漫才師のそれと違って耳に心地良いもので楽しんでいました。

特に「○○してはる」の「はる」が私居酒屋コーチは大好きなんです。

今度の「どんど晴れ」は東京制作で、舞台が盛岡だそうですが、どんな景色や風土が紹介されるのかが楽しみです。

1回目には、風景として岩手山や開運橋、お城と岩手銀行(画像)などが出てきたようです。

居酒屋コーチが盛岡を初めて訪ねたのは、新幹線も開通する前、北海道に渉る途中でした。

ですから、盛岡らしさに接したのは、「わんこそば」ぐらいです。

ユースホステルで紹介された「東屋」で70杯食べました。

ただ、その時は60杯までは給仕してもらい、最後の10杯は自分で注いで食べたので、ちょっと悔いが残ってます。

一度競い合って食べてみたいのです。

もちろん70杯なぞ食べられないでしょうが…。

そんなことで、残念ながら地元の方と殆ど話したことがないので、どんな気風なところか良くわかりませんが、昨日の放送で「盛岡は外の人を優しく受け入れてくれる風土だ」と言っていました。

初めて訪れた10年くらい後に、八幡平の「松川温泉(好い温泉ですよ)」で、たまたま風呂の中で一緒だった盛岡の方にいきなり「うちに遊びにおいでよ」と言われ驚いたことが思い出され、そういうことだったのかと今になって、思わず膝を打って(合点して)しまいました。

流石にそんなことを知っていても行かないですけどね(もし盛岡に戻る旅であったら、外で飲んで話をしたかもしれませんが)。

今度何時盛岡に行けるかは分かりませんが、地元の人としっかり接するチャンスを楽しみたいと思っている居酒屋コーチです。

2007年4月 2日 (月曜日)

六地蔵(その23)

Photo_14 横須賀市武「東漸寺」の六地蔵さんです。

こちらも山門の外に置かれています。

銘文によると、屋根は別に新築(改築?)されたようです。

「六地蔵(その20)・円蔵院」も中央に、六地蔵さん以外の石像が祀られていましたが、こちらには「地蔵菩薩」がいらっしゃいます。

正確には?、七地蔵さんになっています。

以前はどこか別々に祀られていたのが統合されたのかもしれません。

お祀りしたい方の信仰によって、路傍に置かれる石像は異なってくるので、町には様々な種類の石像があるのです(最近は交通事故で亡くなったお子さんのためにお地蔵さんを祀るケースも多いです)。

それが、宅地化や道路拡張などから守られるためにある場所に集められる場合は、ダブって(重なって)しまうわけですね。

さて、こちらのお地蔵さんですが、比較的新しいようで5頭身くらいのスマートなお姿をしています。

お顔も悪戯された様子もなく綺麗なままです。

東漸寺の周辺には、温暖な気候にも支えれて温和な優しい信仰深い方々がお住みになっているのかなと勝手に想像して嬉しくなってしまった私居酒屋コーチでした。

2007年3月30日 (金曜日)

六地蔵(その22)

Photo_13 金沢八景の一つ「野島の夕照」で知られた「野島」の「染王寺」山門横の六地蔵さんです。

「野島」の半分は公園になっていて小高い丘の頂上は、某自動車会社のテストコースが良く見通せるので、長いレンズを持ったスパイ?行為をする方や投稿マニアがやってきます。

一説によると警備員が公園に控えていて、怪しい奴が来ると無線で連絡し、新車を隠すとのことです。

江戸時代はそこから江戸湾に沈むお日様を拝んで夕照を楽しんだのでしょう。

というのは全く嘘です。

東にある東京湾にお日様は沈む訳がありません。

恐らく三浦丘陵に沈む太陽が平潟湾に照り返す様子を楽しんだのでしょうね。

閑話休題。

六地蔵さんですが、お寺の敷地内ではありますが、山門の外と言う微妙な位置にいら

っしゃいます。

こういった山門の中でない位置にいらっしゃるケースは少なくありません。

ゆかりは正確にはわかりませんが、明らかに境内の中ではないという位置なのではないでしょうか。

もし私居酒屋コーチが住職だとしたら、檀家との関係を考えてしまうでしょうね。

檀家が寄進してくれるなら、墓所の前など明らかな境内に置くと思います。

しかし、路傍に祀られた六地蔵さんを引き取るとしたら、微妙な判断を強いられるでしょう。

明らかな境内では、夜になって山門を閉めてしまうと、元々路傍にあって誰もが何時でもお参り出来た環境が変わってしまいます(江戸時代は夜はそんなに出歩かないですが…)。

そんなことなどを考えて、山門のおもて脇にいらっしゃることが多いのではないかと居酒屋コーチは勝手に思っています。

居酒屋コーチのような興味本位で六地蔵さんに会いに行っている者にとっては、山門の前にいらっしゃるのが好きです。

やっぱり山門をくぐると特別な雰囲気に圧されるものですから、元々庶民的なお地蔵さんに会うには、気軽な雰囲気が好きだからです。

本来はこんな中途半端なブログに登場いただくのも失礼なことですが、そこのところはお許しいただきたいと思っています。

2007年3月25日 (日曜日)

もうすぐカタクリが咲くよ

Katakuri もうすぐ、「片栗」の花が咲きますね。

私居酒屋コーチは、こちら(首都圏)では見たことがありません。

画像は広島県の旧上下町で撮ったものです。

山の北斜面のような日当たりの余り良くないところに群生しています。

花びらがキュッと反り返って、和服を着た島田を結い上げた女性を感じさせます。

斜面に片栗の花の紫が、緑の草に混じっている姿は、「決して負けない」という女性の強さをイメージさせます。

男らしい強さを感じさせないところが、春になると見に行きたくなるのでしょうね。

神奈川県内にはどこにあるのか、これからネットで調べてみましょうか。

2007年3月24日 (土曜日)

大きいモノは空からに限る!

Nakamozu 中百舌鳥上空辺りでしょうか、仁徳天皇陵が見えています。

鹿児島からの大阪空港へのアプローチでこんなによく見えました。

羽田からは左側に遠く見えるのかもしれませんが、私居酒屋コーチは見たことはありません。

仁徳天皇陵は地上からだと、ただの小高い丘(標高44m)にしか見えませんが、流石に空から見ると「鍵穴」の形が良く分かります。

お分かりでしょうが、「前方後円墳」ですから左の方(南方)が前部です。

居酒屋コーチの美的?感覚では、丸い方向が上すなわち前部の方が好きなのですが、古墳では違うようです。

もちろん何か理由があるのでしょうが、バランスが悪くやっぱり変ですよね。

2007年3月23日 (金曜日)

やっぱり東京以外出身!

Metalcolor 選抜高校野球が始まりました。

優勝旗を目指し全国から選ばれた32校が全31試合を戦います。

ライオンズの事件で薄い色の入ったメガネを通して見る気になってしまうのが残念ですが、選手には全力を出し切って欲しいものです。

勉強は出来る出来ないなぞどうでもよい話ですが、正直で倫理観を持った人格に育って貰いたいものです。

今、私居酒屋コーチは、山根一眞氏の「メタルカラー列伝 温暖化クライシス」を借りて読んでいます。

山根氏の独特な探求眼で、日本を支えている技術・技量を持つ人材に逢って裏話も含め紹介するメタルカラーシリーズの1冊です。

この中に、私企業や公益団体等で活躍する数十人の方が出てきますが、多くが東京出身でない人たちです(高校球児が目指すプロ野球もそうでしょう)。

これを知って居酒屋コーチは、以前紹介した、小林由美氏の「超・格差社会 アメリカの真実」を思い出しました。

現在の米国は、中国・インドを中心とするアジア人(日本人も含む!?)に支えられているという記事です。

要するに、チャレンジ精神を持った良質な教育に育まれた人材によって、大学や企業にて最先端テクノロジーが生まれ経済的繁栄をもたらしているという現実です。

現在の米国では、富を持った限られた階層しか優良な教育を受けることが出来ず、良質な教育を受けた人材は米国外に求めるしかないという実態なのです。

これと同じことが、実は日本の中でも起きているのだと思いました。

山根氏の本に登場する人物は、子供の頃を人間にコントロールされていない自然と、何でもがお金で揃う時代でない環境に育った方だと思われます。

かくいう居酒屋コーチとさほど違わない年代だからこそ思います。

要するに、現在の企業や組織を支えているのは、良質な学校教育と自然・文化伝統に育てられた東京以外の人材であるということです。

戦前でも、大都会である東京には多数の人が暮らしていましたから、東京出身の方がもっと紹介されてもよいと思います。

東京には明治以降、大学を始めとした文化や芸術が集積していたにも関わらずです。

やはり、人間によってコントロールされた環境の中だけでは、秀でた人材は育ち難いのではないかと思います。

スポーツ界でも同様でしょう。

平和ボケの能天気な東京育ちのA首相も然りだと思います。

昨日・一昨日と少し書きましたが、東京を始めとする首都圏に、これ以上の人口を集めることは、日本や日本国民にとって決して好ましいことではないと思います。

自分のアイデンティティーを自ら確立することなく、試験の偏差値や競争等によって決められていく環境から、自立した個性を持った人格は生まれ難いと考えるからです。

首都圏を住み難くしろとは言いませんが、首都圏以外に住むことが精神的に豊かであるような社会風潮になって欲しいと思います。

パーソナルコーチである居酒屋コーチは、コーチングを通して他者評価で生きるのではなく、自己を確立し精神的に豊かになろうと努力する人格になる手助けをしていきたいと思います。

2007年3月19日 (月曜日)

小型機は楽しい!

Hashidate 小型機の楽しさについて書いてみましょう。

私居酒屋コーチの小型機の初体験は、会社の先輩操縦のセスナによる調布飛行場からの都心と横浜上空遊覧でした。

調布から東へ新宿・後楽園上空を高度300m+で飛び、横浜港沖で旋回によるG体験でした。

桜の咲いている時季で、上空から綺麗に咲いているのを良く眺めることが出来ました。

たくさんの桜が植えてあり、日本人の桜好きがとても良く分かり感心したものです。

セスナは旋回すると旋回円の中心の方向に斜め(内側)に傾くので、Gが飛行機の床の方向にかかります。

ウインド越しにカメラを構えたのですが、Gで腕がものすごく重くなるのが分かりました。

大したGでないとのことでしたから、急旋回した時には大変なことが理解できました。

しかし、普段体験できない楽しく面白い気分です。

ジェットコースターでもGはかかりますが、一瞬を何回か繰り返すので、飛行機の旋回のように持続しませんから、あれ以来似たような体験はしていません。

機会があったらまた乗ってみたいものです。

さて、前述もしましたが、小型機の楽しさは、やはり飛行高度の低さだと思います。

天橋立を右手に見ながら飛ぶ画像のJS31も楽しい機体でした。

高度4000m位を飛ぶので(確か)、地上がやはり良く見えます。

逆に細かな風景が結構な速さで動いていくので、何処を飛んでいるのか案外分からないのが残念です。

地図帳を持って乗れば良かったと何時も後悔しました。

もう日本では飛んでいないのが残念ですね。

JS31で唯一ちょっと不安になるのが着陸時です。

車輪が滑走路に着地すると、細かく蛇行するのがお尻にピョコピョコと感じるのです。

自転車に乗って路面の良くないところで急ブレーキを掛けたような感じでしょうか。

前に加重が掛かって後輪が不安定になっているのを、一所懸命ステアリングで方向を保っている感じです。

このブレーキの状態を過ぎると、ふっと大きな息を吐いてホッとしている自分に気づきます。

この画像の時は広島西飛行場から小松空港まで飛んだのですが、金沢までのバス便が用意されていないのには参りました。

どんなに頑張っても19人しかやって来ないのですから仕方ないといえばそれまでですが。

地方空港と小型機の組み合わせでは、空港からのアクセスの悪さが困るところですね(多くのお客は出迎えがいます)。

気持ち良く飛んで来たのに、その先のアクセスで悩まされるのはちょっと残念です。

でも、そんなことでキリキリするのはつまらない話です。

もっとノンビリしましょう、郷に入れば郷に従えで行かなければ旅は楽しめませんから(例え、出張でも)。

2007年3月18日 (日曜日)

六地蔵(その20)

Ca340354 春の日差しに誘われて佐島方面に行ってきました。

日差しは確かに春なのですが、寒さは一級でした。

もうすぐ太陽が赤道を越えるの訳ですから、紫外線が強くいま顔が少しヒリヒリします。

昨年7月7日に書いた、「子産石」のそばの「円乗院」の六地蔵さまです(久し振りですね)。

真ん中に「聖観音」を共にされ並んでいます。

画像では判り難いですが、一番左のお地蔵さまの頭が失われています。

路傍にあった時に頭が失われて置き換えられたのでしょうか?

でも流石「子産石」の産地、肩の上に「子産石」が置かれています。

もうお彼岸なので、お墓と共に花が供えられていました。

境内墓地からは、久留和の「ひねもすのたりのたりかな」の海が良く見えて、疲れもすっと引いていきました。

2007年3月17日 (土曜日)

空の0系?

F50 火達磨のボンバルディアDHC8-Q400が、これまでに7回胴体着陸事故を起こしているとの報道がありました。

ただQ400の運用前の時期にも3回あったとあるので、DHC-8シリーズで7回あったようです。

何れにせよ、キチンと問題解明し改善を進めて欲しいものです。

地方空港間を結ぶ貴重な飛行機ですから。

どこの空港に行っても、羽田にある機体じゃ楽しくないですからね。

ただでさえ、日本はどこに行っても金太郎飴化してつまらなくなっているんですから!

折角遠い街に行って、「白木屋」「魚民」「和民」…の看板を見せつけられる寂しさは極力減らして欲しいと思います。

今回、事故を起こした「エアーセントラル」は、以前「中日本エアラインサービス(NAL)」と呼ばれていた名鉄系の会社でした。

それが最近ANAの資本が入りANAグループ会社化したようです。

NAL(航空宇宙技術研究所みたいですね)当時の機材が、画像のフォッカーF50です。

昨今のCDを下げるためのウェッジシェイプ(クサビ型)のノーズに比べ、いかにも流線型(何とも懐かしい言い方ですね)で、0系新幹線のような愛らしい顔つきです(赤鼻のワンちゃんのようでもあります)。

「フレンドシップ」と呼ばれ、昔は羽田でも見ることの出来た機体の後継です。

室内の広さはダッシュ8やCRJと同等で、2+2の四列シートです。

そこそこ快適です。

前にも言いましたが、YS11のような閉所感はありません。

エンジン音はそれなりにありますが、やはりYSのような不安になるような騒音ではありません。

YSのエンジン音は、いかにも目一杯回っているという緊張感のある音で余裕感がありませんでした(エンジンが壊れプロペラが室内に刺さるのではと杞憂したものです)。

F50の飛行高度はジェット機よりも低いので、地上が良く見え楽しいフライトです(YSも低く、自分の影が地上に写っているのが見えました)。

F50も順次Q400に替わってしまうようなのが寂しいですね。

大事に大事に使って欲しいものです。

いくら旧いと言ってもジェットよりは、低燃費だとは思いますので。

LOHASにいきましょうよ!

2007年3月14日 (水曜日)

小型機頑張れ!

Crj200 ボンバルディア・ダッシュ8が火達磨になっていますね。

あれほどトラブルがあると当然と言えば当然です。

私居酒屋コーチが乗った時は何もなくて良かったです。

大丈夫だと思っていても、飛行機がガタガタっと揺れたりすると怖いですものね。

また、窓から主翼のエンジンがフラフラと揺れるのを見るのも不安になります。

変な話ですが、中型・大型機より今回のダッシュ8やCRJ200、フォカーF50、サーブ340B、もう飛んでいませんがJS31(19人乗り)辺りに乗ると、妙に腹が据わるものです。

安全性云々より、今回もそうだったようですが、乗員とのコミュニケーションが採り易く感じるからだと思います。

中・大型機ではCA以外は遠い存在ですからね。

何か荷物のように形式的に扱われているようで、人間的でないからです。

JS31なぞは、目の前にパイロット・コパイロットが見えるのですから(もちろんCAはいません)、何かあったらすぐ分かるし聞くことも出来ました。

別に飛行機に限った話ではありませんが、店主や管理者などと客との距離が近いのが、居酒屋コーチは好きです。

居酒屋でも、綺麗でサービスの良い店より、ちょっと古くても狭いくらいの店を選びます。

隣の客と肩が触れ合うくらいでほんのちょっと気を遣うって悪くないですよね、人間的で。

人間的な小型機が地方空港をと飛び交って貰いたいものです。

そうなると地方はもっと魅力的になるんじゃないでしょうか。

2007年3月13日 (火曜日)

見事でした!

Q4001 無事に胴体着陸出来て良かったですね。

もし後輪が出なかったらご覧の通り、胴体だけが地上に接するので右か左に倒れることになり、今回のようにまっすぐに着陸出来なかったかもしれません。

怖いですね!

窓から翼が見えずに眺めの良い高翼機(胴体の上部から翼が生えているタイプ)ですが、胴体着陸では不利かもしれません(滅多にあるわけではないですが)。

しかし、良く見ると小さな車輪ですね(いざとなったら、手でも下ろせそうです)。

このボンバルディアDHC-8 Q4OOは随分前からトラブルが続いていることが報道されていましたから、しばらくは乗る気にはなれませんね、やっぱり。

でも乗ってみると思ったより広くて速いので快適です(退役しましたが、YS11ははっきり言って不快でしたから)。

Q400は、RJ(リージョナル・ジェット。地域ジェット))と呼ばれる地方空港間を結ぶジェット機同様に、地方空港にとって便利で大切な飛行機です。

ですから、羽田空港では見ることは出来ません。

伊丹空港からもA滑走路と呼ばれる短い滑走路から飛び立ちます(そうです、伊丹には滑走路が2本あります)。

JALがブラジル製RJ(エンブラエル170)を発注したそうですが、プロペラ機はRJとともに、狭い国土にあり過ぎる地方空港を効果的に使うために重要です。

特にプロペラ機は世界でボンバルディア(カナダ)とATR(仏伊)の2社しか製造していないので、ANAはメーカーと協力して徹底的に問題を解決しなければいけません。

プロペラ機は二酸化炭素排出では大型ジェット機は当然のこととしてRJよりも有利なので、積極的に使うべきなのですから。

私居酒屋コーチは、ジェット機の加速感も嫌いではありませんが、プロペラが回って力を溜めていく感じが伝わり空気を切り裂くような無理な力でなく、空気に乗るように飛んでいくプロペラ機は大好きです。

羽田からも飛んで貰いたいものです。

2007年3月12日 (月曜日)

歩けませんが動きました

Ido_1 あと数年で拡張される道路の交差点にあった石像が、お堂ともども移動していました。

馬頭観音と青面金剛3体がおまつりされています。

まだ道路の工事は始まりませんが、交差点での見通しも良く出来るので移動した(させた)のでしょう。

移った先はご覧のように高い場所になり、眺めは良くなりました。

しかし、人通りが殆どないので、通り掛けに声をかけて貰えることが少なくなるでしょう。

少しお可哀想ですよね…。

私居酒屋コーチでも、路傍の石像には通りすがりにちょっと気づいた時には会釈をしたくなるものですが、これだけ離れてしまうとちょっと難しいかもしれません。

ここの石像に関わらず、このように移動させられたりしているのは少なくありません。

維新後の廃仏毀釈では、神社のそばに六地蔵が持っていかれたりしました(神社の配下?にされる)。

道が出来たり、災害があったりで動かされたこともあったでしょう。

それでも、残って大事にされれば幸せです。

中には投げ捨てられ忘れられ、ある日突然工事等で掘り出されるような石仏もあるようです。

場合によっては売買の対象になったりすることも…。

残念ながら風化で小さくなり何れは無くなってしまいますが、形ある限り大事にしていきたいと思います。

私たちの大切な文化なのですから。

路傍の石像に目を向けてくれる人が一人でも増えて欲しいと思って、こうしてブログを書いています。

2007年3月11日 (日曜日)

野毛で楽しむ?

Ca340332 野毛の「鳥伊勢」に行ってきました。

私居酒屋コーチは、野毛を殆ど知らないので、ネットや人の評判を聞いて行ってきました。

どちらかと言うと上品なお店で、食べるものも美味しいですが上品です。

値段は庶民派とは言い難いですが、高いというレベルでもありません。

居酒屋コーチ的には、全体的にちょっと上品過ぎるかなと思うレベルでした。

焼き鳥はさておき、気に入ったのは「ただ(無料)」で何倍も飲める「鶏がらスープ」です。

何とも懐かしい味です。

居酒屋コーチが子供の頃、クリスマスなどで鳥を一匹食べた時など、母が翌日に骨で作ってくれたスープの味なのです。

所詮鳥ガラなので、決して濃厚で贅沢な味ではありませんが、厭味のない気持ちの好い味です。

このスープは、是非召し上がっていただきたいです。

この日は、お客さんの入りが良くなく、カウンタにはお客さんが殆どいませんでした。

ただ、話によると土日はそこそこ混んでいるとのことです。

先日お話した「戎」と同様、土日に評判を聞き込んで来るお客さんが多いのかもしれません。

野毛全体そんな雰囲気なのですが、サラリーマンがストレスを晴らすためにちょっと一杯引っ掛けて愚痴を言って帰るとようなお客さんが少ないように見えます。

成果主義・能力主義と追いまくられストレスは溜まっているはずなのですが、極端な言い方をすると職場は自分以外全員ライバル(敵?)みたいな状態ですから、早めに切り上げてちょっと行こうかという雰囲気でないのも確かです。

こうなると悪循環で、さらに険悪な雰囲気が蔓延しストレスが溜まり、飲んで憂さを晴らすことも出来ず病気になってしまうこともあります。

呑み屋街からサラリーマンが少なくなっているのも、現代社会の憂いの一つの象徴なのですね。

2007年3月 9日 (金曜日)

田部長右衛門さまさま!2

Img001 アクセス数が減っています。

アクセス分析を見ると、検索キーワード「田部長右衛門」「土風呂」から入ってこられる方が多いのです。

「土風呂」さんは正しくは「土風炉」なのですが、皆さん「炉」を「呂」にお間違いになって私居酒屋コーチにブログにやってきていただけます(居酒屋コーチも間違っています)。

「田部長右衛門」さんは、NHKの1月21日の再放送以来アクセスが多かったのですが、流石にその影響もなくなったようで、こちらのアクセス数が減ってきているのが全体を押し下げているようです。

ところで、居酒屋コーチは、たたらの「田部家」以外の御三家「櫻井家」「絲原家」のことについても書いてみたいのですが、実は余りネタを持っていません。

その中で今日は、「櫻井家」について少し書いてみましょう。

櫻井家の拠点は、広島県堺に近い山奥に「可部屋集成館」にあります。

櫻井家の屋号が「可部屋」です。

江戸時代にこちらに移る前に、広島の可部に居を構えていたようです。

可部は2年ほど前にここより先が廃線になったJR可部線の終点です。

廃線になった区間は、非電化でしたが可部までは電化されています(単線ですが)。

可部の町は出雲街道とも呼ばれるR54沿いにある宿場町です(広島市が政令指定都市になる際併合)。

ですから可部町(広島の人は今でもこう言います)には、旧い家並みが残っているようです(何度も通っているのですが、ぼおっとしていて覚えていないのです)。

脇道が長くなりましたが、可部から櫻井家はたたらに適した仁多町(現奥出雲町)に移ったのです。

たたらで財を成したので立派な庭園のあるお屋敷に住まわれていて、一部を公開しています。

また維新後も、たたらの特性を活かした「角炉」という設備を作って製鉄を続けていたそうです。

この設備は、程